【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話

街なかで男女のプロサッカーが楽しめることの意義 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(28)

宇都宮徹壱
日本初の「街なかサッカースタジアム」はなぜ、広島に誕生したのか? そしてなぜ、20年以上の歳月を要することとなったのか? 終戦と原爆投下から80年となる2025年8月、平和都市・ヒロシマにおける、知られざるスタジアム建設までのストーリーを連日公開(全30回)

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サンフレッチェ広島のバンディエラであり、今はトップチームのコーチを務める青山敏弘。建設中の新スタジアムに複雑な心境を抱いていたことを明かす 【宇都宮徹壱】

新スタジアムで引退した青山敏弘の複雑な想い

「建設中のスタジアムは、実はあまり見ていませんでした。完成したら、自分が知らないサンフレッチェになってしまうんじゃないかって、怖さを感じたので」

 2004年の入団以来、サンフレッチェ広島一筋で21シーズンプレーしたバンディエラであり、2015年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。日本代表として2014年のワールドカップにも出場している青山敏弘は、エディオンピースウイング広島(Eピース)に、複雑な感情を抱いていた。

「僕にとってのホームスタジアムは、やっぱりビッグアーチなんですよね。大好きな場所だったし、自分たちの歴史が凝縮されていて、僕自身もあそこで現役を終えるとばかり思っていましたから」

 最後のシーズンとなった2024年、青山はリーグ戦3試合を含む6試合に出場している。初めてEピースのピッチに立ったのは、7月14日のアビスパ福岡戦。1-0でリードした90+5分、塩谷司に代わっての出場だった。

 2012年の「START FOR夢スタジアムHIROSHIMA」で、街頭で署名活動を訴えた選手たちの中で、Eピースのピッチでプレーした者は2人しかいない。今も現役を続けている塩谷、そして青山である。広島ビッグアーチを愛して止まなかった男は、新スタジアムのピッチに入る時、何を思ったのだろうか。

「去年は試合に出るチャンスがほぼない中、あの場所にいる意味を探すのに必死でしたね。もちろん、試合に出たくないということではなく、『なんで自分はここにいるんだろう』という……。その一方で、新しいスタジアムのピッチに立ちたくても立てなかった人たちも、たくさんいるわけです。そうした想いというものを自分は背負っている。その責任を果たさなければならない、という使命感をもってピッチに入りました」

 現役最後のゴールを決めたのもEピースだった。12月5日に開催された、ACL2の1次リーグ、vs東方足球隊戦。スタメン出場となった青山は、36分に同点弾を決めている。これと前後して、J1ホーム最終節となった12月1日(vs北海道コンサドーレ札幌戦)では、82分に途中出場。試合後には引退セレモニーが行われた。

 結果として、複雑な思いを抱いた新スタジアムで、現役生活を終えることとなった青山。サンフレッチェの伝説的なバンディエラは、今年からトップチームのコーチとして、新たなキャリアをスタートさせている。

サンフレッチェがWEリーグに参入した理由

勝利を喜ぶサンフレッチェ広島レジーナの選手たち。前身となるチームを持たず、ゼロの状態からスタートしたレジーナは、WEリーグ随一の集客力を誇る 【宇都宮徹壱】

 1993年にJリーグが開幕した際、サンフレッチェ広島のホームスタジアムは、1万3800人収容の広島県総合グランドメインスタジアム(広島スタジアム)であった。この年、リーグ戦でビッグアーチが使用されたのは、わずか3試合。その後、1994年は11試合、95年は15試合と増加し、96年から正式にホームスタジアムとなった。

 つまり33年のクラブの歴史の中で、ビッグアーチがホームスタジアムだった時代は28年にも及ぶわけで、そのうちの20年にわたってプレーした青山が「あそこで現役を終えるとばかり思っていました」と語るのも当然と言えよう。

 一方、WEリーグに所属するサンフレッチェ広島レジーナは、2021年の設立からようやく4年。最初の2シーズンは広島広域公園第一競技場を使用していたが、2023−24シーズンの3月以降からはすべての試合をEピースで開催するようになった。今後レジーナは、Eピースでさまざまな歴史を刻んでゆくことになる。

 そんなレジーナのホームゲームを取材する機会を得た。4月19日に開催されたSOMPO WEリーグ第18節、vs INAC神戸戦。前半の上野真実のゴールを守りきり、1-0でビッグ3の一角に勝利した試合の公式入場者数は、この節で最多となる4061人。ちなみにこのシーズン、レジーナは平均入場者数5482人を達成しており、WEリーグ史上初めて、5000人を突破したクラブとなった。

「最初のころは集客に苦労しましたね。1年目の平均が1233人、2年目は少し苦戦して1089人でした。チケットをばら撒くことはしたくなかったので、お金を払って見に来ていただくということにこだわりました。苦しくても、そこは変えたくなかったんです。Eピースが完成した、2023−24シーズンの最終節で、最多となる6305人を記録。そのあたりから、選手たちの意識も変わっていきましたね」

 そう語るのは、サンフレッチェ広島社長の久保雅義である。会長である久保允誉の長男として1972年に生まれ、2012年にサンフレッチェに入社。2021年3月に女子チーム(のちのレジーナ)の準備室長に就任する。以後、サンフレッチェの社長に就任する2025年1月まで、雅義はレジーナを立ち上げ時から支え続けることとなった。

 レジーナは、前身となるチームを持たずにゼロの状態から立ち上げた、WEリーグでは唯一かつ初めての事例である。そして、WEリーグ参入を決めた2020年といえば、世界中がパンデミックに揺れていた年。サンフレッチェの経営さえも不透明な中、会長の允誉はなぜ女子チームの立ち上げに断を下したのであろうか。

 私の疑問に対して、当人は「Jリーグのオリジナル10であったこと」と「地元のスポーツ振興に役立てること」という2つの理由を挙げている。実はもうひとつ、すでに建設が決まっていた新スタジアムのことも頭にあったのではないか。

 允誉会長が、どこまで現在の状況を予期していたのはわからない。しかし結果として広島は、男女のプロサッカーが街なかで楽しめる、全国で唯一の都市となった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)。宇都宮徹壱ブックライター塾(徹壱塾)塾長。

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