バレー元日本代表・津曲勝利が語る「リベロの哲学」 “周りを動かす仕事人”の役割
リベロというポジションが生まれる以前、彼は准看護師として働きながら、9人制バレーの世界でプレーしていた。そこから、1999年にサントリーサンバーズ(現・サントリーサンバーズ大阪)に入団、日本代表の一員としても世界と対峙した。12年の現役引退後、サントリーや日本代表でコーチとして経験を重ね、指導者の視点からバレーボールの戦術や技術の変遷を深く見てきた、まさにリベロのパイオニアだ。
津曲は、リベロの醍醐味を「受け身のようで、実は試合を動かすこと」だと語る。彼が歩んできた道のりやその哲学に迫ることで、リベロというポジションの真髄に迫る。
縁の下の力持ちの「駆け引き」と「割り切り」
99年からリベロとしてサントリーでプレーするようになってから、その楽しさもいろいろな形で味わってきました。たとえば、相手スパイカーと、自チームのブロッカーを見て、「ブロックが揃っているから、きっとこのコースを抜きに来るだろう」と予測したり、相手セッターのツーアタックに反応する場面。狙い通りにいけば面白かったですが、振り返ればやはり、楽しかったことよりも大変だったことのほうが多いですね。自分から攻めることができない“受け”の立場であることに加え、失敗した時に注目されるポジションでもあるからです。その1つ1つを気にして、周りの意見を聞きすぎてしまっては自分の身が持たないので(笑)、いかに割り切ることができるかが重要でした。
私の場合は、サンバーズとして国内優勝を経験したし、代表に入って世界の選手たちのボールをたくさん受けて来ました。何より、その立場に見合うだけの練習をしてきた自信もあります。だからこそ、「これはいい」「このプレーはダメ」と自分の基準を決めていましたし、たとえ失敗しても「これだけ練習してきた自分が拾えないのだから、他のリベロもたぶん失敗するだろうな」と考えるようにしていましたし、それぐらいの意識を持って練習に取り組んできました。
コート全体を動かす「リベロ発信」のポジショニング
ただ、昔も今もあまり変わっていませんが、サーブで最初からリベロを狙う選手はほとんどいません。むしろアウトサイドヒッターを狙って崩そうとするので、試合によっては1セットが終わるのにまだほとんどサーブレシーブをしていない、ということもありました。あれほど練習を重ねてきたのに、試合になれば自分のところにボールが来ない。リベロとしてこれほどもどかしいことはありません。
象徴的だったのが、08年北京五輪予選の初戦、イタリア戦です。第4セットで24対17と日本がマッチポイントでリードした状況から、逆転負けを喫しました。相手のフローターサーブに崩されてしまったのですが、その間、私はなかなかボールに触る機会がありませんでした。もちろんできる範囲でフォローしますが、それも限界があります。あの試合はまさにそう。「何のために練習してきたんだ」と苛立ちを抱えたことも、印象に残っています。
いつまでも受け身では、そこにいるだけです。いかに自分のエリアに打たせるかというのも、リベロの役割の1つです。自分が得点を取ることはできなくても、リベロが全体を動かして、そこで上がったボールから攻撃の起点になれるかというのも大事な役割です。今の日本代表、小川智大選手や山本智大選手のプレーを見ると、まさにそう感じます。特に小川選手は、サーブレシーブの時から自分が拾う範囲を増やせるように、隣でレシーブするアウトサイドヒッターの選手を動かして、自分がレシーブしに行くシーンも多く見られます。それこそが、まさにリベロ発信のポジショニング。あそこまで周りを動かして、コントロールできている選手は今までなかなかいませんでした。縁の下の力持ちと呼ばれるポジションの中でも、自分の役割を広げて、新しいプレーを確立していくという意味では、リベロの面白さを体現している選手と言えるのではないでしょうか。