降格したクラブで試される男たち「自分だからできることがある」【去り行く北京五輪世代の矜持と未来(17)】
多くの人に心配され、反対されたが…
いずれも引退後、2024年シーズンに降格の憂き目を見たクラブのフロントに身を置いているのだ。いかにも、挫折やコンプレックスを跳ねのけ、たくましく這い上がってきた北京五輪世代らしい選択だろう。
21年9月にザスパ群馬(当時の名称はザスパクサツ群馬)に移籍したとき、すでに細貝は「地元・群馬でプロキャリアを終える」と心に決めていた。それでも、まさかスパイクを脱いだ後、自分がこのクラブのトップに収まるとは思ってもみなかっただろう。
当時の群馬の社長、赤堀洋(現会長)から直々に後継者に指名されたのは、昨シーズンの終盤、チームが最下位に低迷し、J3リーグへの降格が早々と確定した24年10月だった。
「自分の中で引退を決めたちょうどそのタイミングで、来シーズンについてクラブと話し合う機会があったんです。そこで直接『引退します』と伝えたんですが、そうしたらその場で社長代行兼GM(今年4月から社長兼GM)というポストを提示されて……。いやもう、びっくりしましたよ(笑)」
現役を退いた後も何らかの形で群馬に携わっていきたいと思っていた細貝だが、指導者という選択肢は一切なかった。
「自分には向いていないと思うし、だからライセンスも一切取りに行きませんでした」
とはいえ、選手上がりでいきなり社長業への転身は、はたから見ればいかにも振り幅が大きい。同級生の興梠慎三が言うように「ちょっと特殊なケース」であろう。周囲からは反対もされた。
「J3に落ちたばかりでもありましたからね。『引き受けて大丈夫なの?』って、多くの人に心配されました。でも、選手としてチームを勝たせられなかったという想いもありましたし、こういうときだからこそ、自分が引き受けるべきだと考えるようになったんです。いや、むしろ自分しかいないなって」
補強に関するジレンマは少なくない
「チーム編成はもちろん、監督人事もやります。残ってほしいけど引き抜かれてしまう、欲しいけど予算的に手が届かない……補強に関してはジレンマがありますが、そこに関わる資金面もこれからしっかりと固めていかなくてはなりません」
チームの基盤を築く難しさを痛感しながらも、細貝の表情からは難解なゲームの攻略に挑む、子どものようなワクワク感が伝わってくる。Jリーグでも屈指の専用練習施設、『GCCザスパーク』内のクラブハウスで、セカンドキャリアの充実感を口にする。
「選手、そして僕たちスタッフも含め、この素晴らしい環境で充実した時間を過ごしています。サッカークラブは生き物ですから、良いときもあればうまくいかないときもありますが、一日も早くJ2に戻るという目標はブレずに、経営者としても、現場を預かるGMとしても進んでいきたいと思っています」
そんな細貝に、負けず劣らず多忙な日々を過ごしているのが、昨シーズンにJ3からJFLへの降格を余儀なくされた、いわてグルージャ盛岡のGM兼強化部長、水野だ。
同業のよしみで、よく連絡を取り合うという細貝が「全部自分でやるって言っていましたよ。強化もスカウトもスポンサー集めも」と証言する通り、水野の仕事は多岐に及ぶ。なかでも力を注いでいるのが、「地域密着」の取り組みだ。
23年1月、当時J3リーグに所属していた岩手への移籍が決まり、盛岡駅に初めて降り立った日のことを、水野はよく覚えている。
「駅にも、駅周辺にも、グルージャ感が一切なかったんです。それがすごく悲しくて。このクラブが地域に根付き、このクラブを岩手県全体で盛り上げていこうという一体感が、まるで感じられなかった。まずは、そこから変えていきたい。週末にグルージャの試合があるから、それまで仕事を頑張ろうって、みんなにそう思ってもらえるようなクラブにしたいんです」