未来の指揮官・興梠慎三が分析するミシャレッズと鹿島の違い【去り行く北京五輪世代の矜持と未来(15)】
近寄りがたいオーラ、柔らかな笑み
数分後、クラブハウス内の一室に姿を現したその人物、興梠慎三は現役時代を想起させる先ほどまでの近寄りがたいオーラを、見事なまでに消していた。
ほんの半年前まで浦和のストライカーとして鳴らした彼は今、11シーズンを過ごした愛着あるそのクラブで「パートナー営業担当およびアカデミーコーチ」という役職に就いている。こちらの緊張を一瞬で解いてしまうような柔らかな笑顔を見て、興梠のかつてのチームメイトであり、良き友である森脇良太の言葉が思い浮かぶ。
「男気に溢れていて、豪快だけど心根が優しいんです。営業は、そんなシンゾーにもってこいの仕事ですよ。大好きなお酒を飲みながらスポンサーの人と会食をして……めちゃくちゃ楽しそうじゃないですか(笑)」
それでも、「営業」という言葉が興梠とイコールで結びつけにくいのは、現役時代のプレースタイルが、どこか飄々としていて、捉えどころがなかったからかもしれない。
同じく浦和時代のチームメイトで、こちらも2024年シーズンを最後に引退した梅崎司は、興梠を「天才」と評する1人だ。
「僕は大好きなんですよ、慎三のプレーが。ちょっと毛色が違うというか、本物の天才だったと思います。すごく頭がいいけど適当なところもあって、ゴールに飢えていないようで飢えている。彼みたいなストライカーって、もう出てこないんじゃないかな」
現在、興梠は協賛パートナーへの挨拶回りや会食に加えて、様々なイベントにも積極的に顔を出している。スポンサー獲得のための名刺交換会に参加したり、パートナー企業のイベントでサポーターの引越しを手伝ったりと、多忙な日々が続く。
まだ名前が残っているうちに
「苦ではないですよ(笑)。僕は小さい頃からずっとサッカーしかしてこなかったので、パートナーの方々とお話をして学ぶこともたくさんありますし、自分自身の成長につながっていると感じています。パートナーのみなさんは本当に浦和レッズを愛し、浦和レッズを強くしたいという想いで協賛してくれています。僕は営業のプロフェッショナルではありませんが、そうしたみなさんが抱えている不安とか要望に対して、現場から伝えられることは少なくないんです」
京都サンガF.C.の梅崎、サンフレッチェ広島の青山敏弘と、同じタイミングで引退し、そのままJ1クラブのトップチームコーチに就任した北京五輪世代もいる。興梠の実績を考えれば、同じ道を選択することも可能だったはずだ。現在はアカデミーコーチも兼任し、週に3回、小中学生を指導しているというが、なぜあえて“二足の草鞋”を履いたのか。その答えは単純明快だった。
「正直、本格的なコーチ業は5年後でも6年後でもやれるのかなって。引退したばかりのこの1年というのは、パートナー企業の方々にとって、僕の名前はすごく使いやすいと思うんですね。これから先、また新たに引退する選手が出てくるなかで、まだ名前が残っているこの1年にしかできないことがある。今はピッチで選手に何かを伝えるよりは、違った角度からチームのために貢献しようと、そう判断したんです」
それでも、「来年からは指導者一本で行きたい」と考えている。カテゴリーを大きく下げるつもりはなく、まず目指すのはユースチームのコーチだ。引退会見では「いつか浦和レッズの監督になって、自分が獲れなかったJリーグのタイトルを獲りに行く」と野心も口にしている。
ただ、盟友の森脇が「意外だった」と話したように、当初は「監督になりたい」と引退後の目標を口にすると、驚かれることが多かったという。