去り行く北京五輪世代の矜持と未来

「森保さん、カッコいいな」おこがましいけど夢は大きく、熱く【去り行く北京五輪世代の矜持と未来(12)】

吉田治良

京都で指導者の道を歩み始めた梅崎。不遇や負傷のたびに強くなっていった彼だからこそ、伝えられることがある 【YOJI-GEN】

落選を境に転落したキャリア

「成功」の定義は、ある意味シンプルだ。倒れた回数よりも1回でも多く起き上がればいい。だが、梅崎司のサッカー人生には、もう立ち上がれないと音を上げてしまいたくなるような試練が、それこそ津波のように押し寄せた。

 その大きな1つが、北京五輪落選だった。

 2007年の暮れに梅崎は、大分トリニータから、AFCチャンピオンズリーグ初制覇を果たしたばかりの浦和レッズに完全移籍する。「ここでポジションを取れば、日本代表、そしてもう一度海外という道筋が見えてくる」。そう信じて下した決断だった。迎えた1年目の08年シーズンは序盤から出場機会を掴み、サポーターから認められるのが簡単ではないクラブで、早々とチャントも歌われた。

「プレースタイル的にも攻めていましたね、(田中マルクス)闘莉王さんにはよく怒られましたけど(笑)。レッズで試合に絡み続けながら、北京を思い描きながら、あの時点での僕がやれることは全部やったかなって思います。すでにA代表に入っていた香川真司との比較でどうなのかなっていう不安もありましたけど、それでも自信はあったんです」

 しかし、最終的に北京五輪代表の反町康治監督がチョイスしたのは2学年下の香川。梅崎はバックアップメンバー止まりだった。

「あとになってソリさん(反町監督)に言われたんです。『18人ではなく20人枠だったらお前も連れて行った』って。リップサービスかもしれませんが、それくらいの立ち位置だったんだと思います。でも、本当にここに懸けていましたから、落選を知らされた後は、もう廃人みたいでしたね」

 日が沈んでも、自宅の一室で灯りもつけず、膝を抱えて座り込んでいた。早くも真夏日となったこの日の京都の太陽とは対極に位置する17年前の漆黒が、目に浮かぶ。

 本大会で3戦全敗に終わったチームも、「心からは応援できなかった」と、当時の正直な心情を告白した梅崎だが、しかし、それはまだ修羅の道の始まりにすぎなかった。

 北京五輪落選を境に、彼のキャリアは暗転する。

「そこからいろんなことが本当に上手くいかなくなりましたね。08年の後半戦は(ロブソン・)ポンテが怪我から復帰して出番が激減しましたし、翌09年シーズンの開幕直前には腰を痛めて手術。ようやく復帰できたと思ったら、今度はシーズン終盤の11月に右膝の前十字靱帯を損傷でしょ。さらに翌年の夏にも右膝の半月板を痛めて……。この約2年はもう奈落の底でしたね。3回続けて手術ですから、まあ苦しかった。このまま忘れられるんだろうなって、自暴自棄にもなりましたよ」

ウイングの7番手からの逆襲

アグレッシブなプレーで埼玉スタジアムを沸かせた梅崎。充実感を覚える一方で、ジレンマにも囚われていた 【(C)J.LEAGUE】

「めちゃくちゃ遅れてきた反抗期みたいでした」。そう本人が苦笑いしながら振り返ったように、やり切れない思いを母親にぶつけたこともあった。

 それでも、梅崎は起き上がる。きっかけの1つが、11年3月11日の東日本大震災だった。

「怪我を何度も繰り返しているうちに、頭と体がリンクしなくなって、ずっと昔の残像を追いかけていたんです。でもあの震災の映像を見たら、自分の悩みなんてちっぽけだなって感じて。生きているだけで幸せなんだから、サッカーの喜びとか楽しさをもう一度見つけようって思えたんです」

 この年、開幕から苦しい戦いが続き、一時は降格圏に沈み込んだゼリコ・ペトロヴィッチ体制1年目の浦和で、梅崎はスイッチを切り替える。

「当時、僕の序列はウイングの7番手くらいでした。そこから盛り返すために、夏場から自分のスペック、他の選手のスペック、監督の好き嫌いを徹底的に分析したんです。そうしたら、1カ月後くらいから試合に出られるようになって、2カ月後にはスタメンになっていました」

 結局ペトロヴィッチは10月に解任されるが、パフォーマンスが上向いた梅崎はリーグ戦のラスト6試合連続スタメンを飾り、チームの残留に貢献。さらにナビスコカップでも準決勝のガンバ大阪戦で1得点・1アシストをマークし、ファイナル進出の立役者となるのだ(決勝は鹿島アントラーズに敗れて準優勝)。

 復活を遂げた梅崎が、ミハイロ・ペトロヴィッチと出会うのは、翌12年シーズンだ。サンフレッチェ広島からやって来た攻撃サッカーの信奉者に重用され、以降のミシャ在任6年間は、左膝前十字靭帯損傷の怪我を負った最後の約1年を除き、コンスタントに出場機会を得ている。

 しかし、充実感を覚える一方で、梅崎は言いようのないジレンマに囚われてもいた。一瞬で時を巻き戻したかのように、当時のリアルな感情を吐き出していく。

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著者プロフィール

1967年、京都府生まれ。法政大学を卒業後、ファッション誌の編集者を経て、『サッカーダイジェスト』編集部へ。その後、94年創刊の『ワールドサッカーダイジェスト』の立ち上げメンバーとなり、2000年から約10年にわたって同誌の編集長を務める。『サッカーダイジェスト』、NBA専門誌『ダンクシュート』の編集長などを歴任し、17年に独立。現在はサッカーを中心にスポーツライター/編集者として活動中だ。

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