【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話

知られざる「原爆スラム」と基町アパートの歴史 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(26)

宇都宮徹壱
日本初の「街なかサッカースタジアム」はなぜ、広島に誕生したのか? そしてなぜ、20年以上の歳月を要することとなったのか? 終戦と原爆投下から80年となる2025年8月、平和都市・ヒロシマにおける、知られざるスタジアム建設までのストーリーを連日公開(全30回)

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基町アパートの自治会長のひとり、板井三那子は広島市立大学の博士課程で学ぶアーティスト。アパート内にあるアートギャラリーの運営も担う 【宇都宮徹壱】

スタジアム北側に林立する基町アパートとは?

「住居者以外/通り抜け禁止」――。

 Jリーグであれ、WEリーグであれ、そしてACL(AFCチャンピオンズリーグ)や代表戦であれ、エディオンピースウイング広島(Eピース)で観戦する際、このような看板を持った警備員を目にすることがある。その背景にあるのが「基町アパート」だ。

 基町アパートとは、Eピースのバックスタンド側の向こう側に、幾棟にもわたって林立する高層アパート群。原爆投下によって焦土と化した広島の中心地に、1960年代から70年代にかけて建設された、当時としては珍しい高密度高層住宅団地である。

 基町アパートのスケールは破格だ。1万5000人を収容する4500戸の住居に加えて、小学校、幼稚園、保育園、200もの店舗と6つの医院と3つの共同浴場、さらには郵便局や交番や集会場を併せ持つ、まさにひとつの街である。

 なぜ基町アパートが作られたかといえば、原爆投下を含む戦災によって家を失った人々や戦後復興の過程で移り住んできた人々、さらには経済的困窮者や社会的弱者を収容するためである。余談ながら再開発以前、彼らが暮らす不法バラックは「原爆スラム」と呼ばれていた(1973年に公開された映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』では、再開発中の原爆スラムの様子を確認できる)。

 建設から半世紀以上が経過し、基町アパートには急激な高齢化の波が押し寄せている。ある資料によれば、高齢化率は47.4%で、広島市全体の約2倍。また、日本以外にルーツをもつ住民の割合は22.2%を占め、こちらは市全体の14倍にものぼるそうだ。

 さながら「日本の未来像」を想起させる、基町アパートの風景。そうした土地に寄り添うかのうように、最新のサッカースタジアムが建設されたことの意義は決して小さくはない。にもかかわらず、試合日は「通り抜け禁止」となっているのが実情だ。

 基町アパートには、自治会長が20人いる。そのひとりに話を聞くことができた。板井三那子は広島市立大学大学の博士課程で芸術を学ぶ31歳。「私自身は、サッカーはぜんぜん知らないんですけれど」とした上で、こうつづける。

「やっぱり、スタジアムができて楽しくなったと思っています。ゴールが決まると、ドンってガラスが揺れて『あ、サンフレッチェが先制したな』ってわかりますし(笑)。ただし、ここに住んでいる人たちの多くは、あまりサッカーの話はしないですね」

報道に見る基町アパート代表者の発言の変化

今でも多くの居住者が暮らしている基町アパート。中央公園に新スタジアムを建設するには、地域住民との粘り強い交渉が必要だった 【宇都宮徹壱】

 基町アパートに隣接する中央公園が「第3の案」として、新スタジアム建設候補地に再浮上したのは、2016年9月14日のことである。広島市流通センター株式会社の代表取締役、杉山朗はこう解説する。

「もともと中央公園の評価は、それほど悪くはなかった。けれども投票してみると、1票も入らなくていったん消えたんです。その後、市民球場跡地案と宇品案とで意見が割れて、第3の案として中央公園が復活するんですが、地域住民の合意が得られない可能性が高い。5年とか10年とか、説得には時間がかかると思われていました」

 実際、基町アパートの住民の間からは戸惑いの声が広がり、自治会は「反対」の立場を表明する。以下、2016年11月8日の中国新聞から引用。

《(前略)「第3の候補地」として再浮上している中央公園自由・芝生広場(中区)がある基町地区の自治会の代表者らが6日夜、会合を開き、建設に反対する意向を固めた。/約20人が約1時間、非公開で協議した。基町地区社会福祉協議会の徳弘親利会長は、反対の理由を「保育園や幼稚園とほとんど離れていない。高齢者の住人も多く、交通面で不安がある」と話す。(後略)》

 基町アパートの代表者として、市側との交渉に立った徳弘親利は、1941年生まれの旧満州(中国東北部)出身。旧ソ連の対日参戦により、命からがら祖国にたどり着いた経験を持つ。長じて基町で魚屋を開業。基町アパートに入居後は、福祉活動や自治会運営に尽力する、地域の顔役でもあった。

 古くから基町アパートに暮らす人々には、戦後の混乱期をくぐり抜けてこの地に根を下ろした人々も多い。もちろん、被爆1世も一定数いることだろう。そんな彼らの庭である中央公園は、周囲には「アンタッチャブルな場所」と映っていたことが窺える。

 新スタジアム建設の話が持ち上がった時、徳弘は何を思ったのだろうか。当人に話を聞きたかったのだが、高齢と体調不良を理由に取材は叶わなかった。そこで過去の新聞記事から、新スタジアム建設に関するコメントを抜き出してみた。

「何も説明を受けておらず、コメントのしようがない」(2016年9月15日)、「まずは住民が懸念する問題への対応を尋ね、文書でも回答を求めたい」(2017年1月24日)、「従来通り中央公園案への反対の立場を続け、条件闘争をするつもりもない」(2018年12月14日)、「住民の生活がなおざりにされず、将来の地区の活性化にもつながるように粘り強く行政と協議していきたい」(2019年2月9日)――。

 3年の間で、スタジアム建設を容認する姿勢に変化していることがわかる。これには、市側を代表して何度も説明を行った、前出の杉山による粘り強い交渉が不可欠であった。当時、広島市の市民局文化スポーツ部長だった杉山は、2016年8月から19年3月にかけて、基町アパートを何度も訪れては、徳弘と膝を突き合わせて語り合っている。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)。宇都宮徹壱ブックライター塾(徹壱塾)塾長。

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