Jリーグは広島のスタジアム問題をどう見ていたのか? 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(24)
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新スタを見送り出し続けてきた「ミスター」
今はなき硬派のサッカー専門誌『フットボール批評 issue05』。奥付を見ると、発行日は「2015年5月7日」とある。引用したのは、私が執筆した「Jリーグのスタジアム構想 劇場空間が生み出す“地域創生”の可能性」という記事で、クラブライセンス事務局スタジアム推進役の佐藤仁司へのインタビューを構成したものである。
「ミスター」の愛称で知られる佐藤は、1957年生まれ。1980年に三菱自動車工業株式会社に入社。1990年より三菱サッカー部の主務兼運営委員となり、プロ化準備業務を担当する。Jリーグ開幕後は、2005年11月まで浦和レッズで運営部長や広報部長などを歴任。同年12月よりJリーグに転籍し、2009年6月よりスタジアム担当となっている。
この年、当時の鬼武健二チェアマンの肝いりで「スタジアムプロジェクト」がスタート。当初は佐藤を含めて2人の小ぢんまりとしたチームだった。しかしその後、2012年から審査が始まったJリーグクラブライセンスが追い風となり、長野で、吹田で、北九州で、亀岡(京都)で、次々と新スタジアムがオープン。そして昨年、エディオンピースウイング広島(Eピース)を含む3つのスタジアムが開業することとなった。
私は昨年、3つの新スタジアムのこけら落としをいずれも取材している。しかし佐藤は、これらに立ち合っていない。当人いわく「スタジアムが完成したら、次の現場に行ってしまうので」。そして、こう続ける。
「私たちにとって重要なのは、こけら落としではなくて、その前の段階で行うスタジアム検査なんです。Jリーグ規約に明記されているスタジアム基準の充足を確認して、Jリーグの公式試合の開催に支障がないと見定めなければなりません。それらが『問題なし』と確認されて、初めて公式試合ができるわけです。その時点で、私たちはお役御免。新しくできたスタジアムには、基本的に足を運ぶことはないですね」
Jリーグクラブライセンス制度という切り札
「この時はビッグアーチのことをボロクソに言いまして、これで広島には出入り禁止になるんじゃないかって思いました」と佐藤。だが、単にこき下ろすのではなく、未来に向けた提言もきちんと残している。3日後の11月8日、中国新聞がシンポジウム登壇者の発言要旨を掲載している。その発言内容を引用しよう。
《(前略)ビッグアーチができる時、20年後の求められるのはこうだという視点が欠けていた。それはJリーグにも責任がある。これからつくるスタジアムには、同じ過ちを繰り返してはいけない。/20年先によかったと思われるものをつくっていかないといけない。(後略)》
広島ビッグアーチが開業したのは1992年。Jリーグが開幕する前年であり、当時はスタジアムに関する基準も今と比べものにならないくらい緩かった。「Jリーグにも責任がある」という佐藤の発言は、そんな当時の状況を認めてのものだったのは明らかだ。
そうした反省を踏まえて断行されたのが、2013年に導入されたJリーグクラブライセンス制度。その審査は前年の2012年から始まり、クラブの財務環境のみならず、競技環境、観戦環境、育成環境も対象となった。
「この2012年のライセンス導入は、スタジアムプロジェクトにとって、まさに切り札になりましたね。トイレの洋式化とか、屋根のカバーとか、ぐいぐいアクセルを踏めるようになりました。まあ『ライセンスを振りかざして』というのは、決していい表現じゃないかもしれませんけども、全体の底上げにつながったことは間違いないです」
Jリーグによるビッグアーチの評価は「B等級基準を満たしていない」という、実に厳しいもの。その上で「観客席の3分の1以上に屋根を設置すること」や「トイレ設備の充実」を求めた。これを受けて広島市は、予算を計上して2018年度に洋式化改修工事を実施したものの、さすがに屋根については手つかずのままとなった。
「当時のスタジアムは、洋式トイレの比率が非常に低くて、京都(西京極)の洋式率は13.4%、広島でも17.2%でほとんどが和式でした。川崎の等々力陸上競技場も、改修前は16.6%で、メインスタンドですら洋式はほとんどなかったんです。ライセンス制度が始まる以前、スタジアムのトイレ環境は非常に劣悪だったということです」
クラブライセンス制度の意義を強調した上で、佐藤はこう続けた。
「経営面では、サンフレッチェはなんとか対応してきましたが、スタジアム整備は将来にわたっての課題であり、依然として懸案事項として残り続けていました。どこかの段階で、抜本的な対策が必要だというのが、われわれの認識だったんです」