【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話

市長選後の「敗戦処理」と久保允誉会長の爆弾発言 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(23)

宇都宮徹壱

4者会談と「第3の案」を提案した商工会議所会頭

当時、広島商工会議所の会頭だった深山英樹。スタジアム問題をめぐって生じた、サンフレッチェと行政との溝を埋める決定的な役割を果たした 【宇都宮徹壱】

 3月3日の久保の会見は、小谷野の市長選立候補以上に、クラブ側と行政側の溝を深めることとなった。決裂しかけた両者の間を取り持ったのが、商工会議所の会頭を務めていた深山である。1941年生まれの深山は、地元の修道高校時代にサッカー部を応援したり、当時から妻と連れ立ってサンフレッチェの試合を観戦したりしていた。

「このままでは、両者が物別れのままだから、松井さんと湯崎さんには『サンフレッチェを交えた4者会談にしましょう』と提案しました。一方で久保さんには『第3の案』を検討してみてはどうか、という提案を個別にさせていただいたんです」

 深山が語る「第3の案」とは、協議会では外されていた中央公園案。最終的に、広島みなと公園と旧市民球場跡地の2案となったものの、中央公園案はぎりぎりまで候補のひとつに残った経緯がある。幸い、久保の反応も悪くはなかった。

「この『第3の案』であれば、商工会議所としても協力する。そう、深山さんはおっしゃっていました。正直なところ、中央公園というのもアリだとは思いました。ただ、地域住民の方々の承認が得られるか、そこが最も気になるところではありましたが」

 久保が懸念していた「地域住民の方々の承認が得られるか」については、稿を改めて述べる。いずれにせよ、深山の働きかけにより、8月10日にサンフレッチェを加えた4者会談が実現。ここで「他の候補地も再検討する」ことが確認され、9月14日の4者会談で中央公園が再浮上する。

 そして2019年2月6日、2年半ぶりに開催された4者会談で、新スタジアムの建設地を中央公園で決定することで合意。最後は久保が自ら、市長や知事に歩み寄って握手を求めるなど、会談は終始和やかものだったと伝えられる。

 中央公園の決定まで2年半を要したものの、この間は市と県と商工会議所の3者が、近隣に暮らす基町地区の住民に対して、定期的に説明会を開催している。こうした経緯から、すでに2回目の4者会談で「第3の案」を推し進めることが、当事者間で合意形成されていたのは間違いないだろう。

 旧市民球場の移転が決定したのは、2005年9月16日。実に13年半もの歳月をかけて、ようやく新スタジアムの建設地が決定した。そしてここから、広島中心街の風景は一気に変わっていくこととなる。

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※文中敬称略

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)。宇都宮徹壱ブックライター塾(徹壱塾)塾長。

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