市長選後の「敗戦処理」と久保允誉会長の爆弾発言 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(23)
4者会談と「第3の案」を提案した商工会議所会頭
「このままでは、両者が物別れのままだから、松井さんと湯崎さんには『サンフレッチェを交えた4者会談にしましょう』と提案しました。一方で久保さんには『第3の案』を検討してみてはどうか、という提案を個別にさせていただいたんです」
深山が語る「第3の案」とは、協議会では外されていた中央公園案。最終的に、広島みなと公園と旧市民球場跡地の2案となったものの、中央公園案はぎりぎりまで候補のひとつに残った経緯がある。幸い、久保の反応も悪くはなかった。
「この『第3の案』であれば、商工会議所としても協力する。そう、深山さんはおっしゃっていました。正直なところ、中央公園というのもアリだとは思いました。ただ、地域住民の方々の承認が得られるか、そこが最も気になるところではありましたが」
久保が懸念していた「地域住民の方々の承認が得られるか」については、稿を改めて述べる。いずれにせよ、深山の働きかけにより、8月10日にサンフレッチェを加えた4者会談が実現。ここで「他の候補地も再検討する」ことが確認され、9月14日の4者会談で中央公園が再浮上する。
そして2019年2月6日、2年半ぶりに開催された4者会談で、新スタジアムの建設地を中央公園で決定することで合意。最後は久保が自ら、市長や知事に歩み寄って握手を求めるなど、会談は終始和やかものだったと伝えられる。
中央公園の決定まで2年半を要したものの、この間は市と県と商工会議所の3者が、近隣に暮らす基町地区の住民に対して、定期的に説明会を開催している。こうした経緯から、すでに2回目の4者会談で「第3の案」を推し進めることが、当事者間で合意形成されていたのは間違いないだろう。
旧市民球場の移転が決定したのは、2005年9月16日。実に13年半もの歳月をかけて、ようやく新スタジアムの建設地が決定した。そしてここから、広島中心街の風景は一気に変わっていくこととなる。
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