【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話

市長選後の「敗戦処理」と久保允誉会長の爆弾発言 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(23)

宇都宮徹壱
日本初の「街なかサッカースタジアム」はなぜ、広島に誕生したのか? そしてなぜ、20年以上の歳月を要することとなったのか? 終戦と原爆投下から80年となる2025年8月、平和都市・ヒロシマにおける、知られざるスタジアム建設までのストーリーを連日公開(全30回)

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ロアッソ熊本GMの織田秀和。サンフレッチェ広島でも強化畑を歩んできたが、2015年の小谷野薫の市長選出馬を受けてGMからクラブ社長に就任することに 【宇都宮徹壱】

市長選後の関係修復にうってつけの社長人事

「小谷野さんの(広島市長選)立候補は、まさに青天の霹靂。私だけでなく、クラブ内の誰もが驚いていましたよ。しかも最初は、クラブ社長と市長を兼任できると思っていた節が感じられました。おそらくJリーグからは『立候補するなら、社長を辞めてからにしてください』と言われたんだと思います」

 声の主はロアッソ熊本GMの織田秀和である。場所は、熊本のえがお健康スタジアムの会議室。エディオンピースウイング広島(Eピース)について、関係者の取材を進めているうちに、とうとう九州にまで足を延ばすことになってしまった。

 織田は1961年生まれで広島市出身。広島大学付属中学・高校のサッカー部で活躍後、筑波大学を経てマツダに入社。ここで、のちに日本代表監督となるハンス・オフトの薫陶を受ける。1991年に現役引退後、いったんは社業に戻るものの、サンフレッチェ広島に出向することとなり、今西和男の下で強化畑を歩むこととなる。

 強化部長時代の織田の功績といえば、ミシャ・ペトロヴィッチを監督に招聘したこと、2007年のJ2降格以降もミシャにチームを託したこと、そしてミシャの後任候補に森保一を推薦したことが挙げられよう。しかし私はあえて、小谷野薫の市長選立候補と社長退任を受けて、後任社長就任を受諾したことに着目する。

 思えばマツダ出身者の社長就任は、信藤整(久保允誉の前任)以来、実に17年ぶりのこと。任命したのは、もちろん会長の久保であった。ただし「やれ」ではなく「やらんか?」というニュアンスだったという。そして当の織田といえば「自分は現場の人間であって、社長の器ではない」という強い自覚があったという。

 2015年の市長選での小谷野の立候補は、結果として落選に終わっただけでなく、サンフレッチェは地元行政や政財界との関係性がギクシャクする結果をもたらした。

 ここで後任社長に就任したのが、名門で知られる広島大学附属高出身であり、マツダとサンフレッチェで強化一筋のキャリアを歩んできた織田。周囲との関係修復(というより「敗戦処理」)には、まさにうってつけの人材であったといえる。

 もしかしたら会長の久保は、小谷野の落選を見越して、サンフレッチェ上層部から、一時的にエディオン(あるいは自身)の色を薄めることを考えていたのではないか――。そんな仮説を立ててみたくもなる。

宇品なら「新スタジアムを使うつもりはございません!」

2016年3月3日の会見で、サンフレッチェの久保允誉会長が宇品案を完全否定。市と県と商工会議所にとっては強烈なカウンターとなった(写真は5月13日の会見のもの) 【写真は共同】

 織田が新社長に就任して、1年が過ぎた2016年の3月3日15時。サンフレッチェ広島会長の久保が、市内のリーガロイヤルホテル広島で会見を開いた。

 会見の冒頭で「本日3月3日の午後3時にはこだわりがあります」と久保。サンフレッチェの語源である、毛利元就の「3本の矢」にかけたのだという。それだけ覚悟のほどが感じられる会見で、久保が語ったのはクラブが考える新スタジアムの独自案である。

 具体的には、①建設地はアクセスのよい旧市民球場跡地、②スタジアムからの平和発信、③多様な用途対応による経済的・社会的価値の確保、そして④堅実な資金調達と採算試算――。

 前年まで開催された、サッカースタジアム検討協議会(以下、協議会)の結果を受けて、市と県と商工会議所の3者は、宇品の広島みなと公園を建設予定地とする方針で固まりつつあった。その流れを受けての、サンフレッチェからの強烈なカウンター。その上で久保は、決定的な発言を言い放ち、会場をざわつかせた。

「広島みなと公園に新しいスタジアム建設が決まった場合、サンフレッチェはその新スタジアムを使うつもりはございません!」

 この時の久保には、確信と信念と反発があった。

 まず、宇品の港湾事業関係者から「あそこにスタジアムを作られたら、交通渋滞が発生して大変迷惑する」という訴えを聞き、広島みなと公園はあり得ないという確信に至った。一方で、かつての市民球場の真向かいに自宅があった経験から、中心街でのにぎわいを失ってはならないという強い信念を持ち続けていた。そして、市と県と商工会議所の3者だけで、スタジアム建設地が決められようとすることへの反発もあった。

 この久保発言は、当然ながら市と県と商工会議所に大きな波紋を呼び起こすこととなる。翌日の報道から、それぞれの当惑気味のコメントを拾ってみよう。

 まず、商工会議所会頭の深山英樹は「みなと公園に建設された場合は使用されないという発言に驚いている」と発言。

 次に、市長の松井一實は「検討協議会の提言を受けて作業部会を設けており、サンフレッチェ側の意見も十分に踏まえた」とした上で、「3月末までに一定の方向性を出したい」と従来の主張を繰り返している。

 そして知事の湯崎英彦は「検討はサンフレッチェや県協会の要望を受けて始めたもの。スタジアムを使わないということであれば、少し困惑している」とコメント。

 広島みなと公園は県の管轄であり、久保は湯崎から「宇品にスタジアムをつくるなら協力しますよ」と打診されていた。当人は「心が揺れた」ことをのちに明かしている。

「スタジアム建設の話が、ずっと膠着(こうちゃく)していたからね。『わかりました』という言葉が、喉まで出かかっていたんだけど、ぐっとのみ込んだんです。そして初志貫徹、街なかスタジアムを目指していこうと、あらためて決意しました」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)。宇都宮徹壱ブックライター塾(徹壱塾)塾長。

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