【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話

サンフレッチェ広島の社長が市長選に出馬した理由 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(22)

宇都宮徹壱
日本初の「街なかサッカースタジアム」はなぜ、広島に誕生したのか? そしてなぜ、20年以上の歳月を要することとなったのか? 終戦と原爆投下から80年となる2025年8月、平和都市・ヒロシマにおける、知られざるスタジアム建設までのストーリーを連日公開(全30回)

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2015年の広島市長選挙に出馬した小谷野薫。サンフレッチェ広島の社長職を辞しての立候補に、当時は「新スタジアム建設のワンイシューでは?」との声も 【写真は共同】

エディオン顧問からサンフレッチェ広島社長へ

「もともと東京の下町出身で、FC東京の前身の東京ガスを応援していました。近所の江戸川区陸上競技場での試合には、よく足を運んでいましたね。それが1993年から97年くらいの話。その後、Jリーグの実行委員会でご一緒した、ガイナーレ鳥取社長の塚野真樹さん、FC東京会長の大金直樹さんの現役時代も観ています。ちなみにサッカーだけでなく、プロ野球も好きで、当時下町のアンチ巨人にありがちなカープファンでした」

 小谷野薫は1963年生まれの62歳。現在は日本総合アドバイザリー事務所の代表であり、Jリーグのカテゴリーダイレクターも務めている。広島との最初の接点は「カープだった」と語るところに、サッカー村の外側の人間であることを強く窺わせる。

 そんな小谷野の経歴は、実に豪華。東京大学教養学部卒業後、渡米してMBAを取得し、野村総合研究所に入社する。さらに日興ソロモン・スミス・バーニー証券、クレディ・スイス証券を経て自身の会社を立ち上げ、2010年にエディオン顧問となり、2013年1月にサンフレッチェ広島の社長に就任している。

 前任のクラブ社長、本谷祐一が広島出身でエディオンでの叩き上げだったことを思うと、ほとんど対照的なキャリアと言っていい。この人事について、会長の久保允誉は「経営に関する知識はもちろん、サッカーに対する理解も深かったので、いつか(クラブ社長を)やらせてみたいと思っていましたね」。一方の小谷野は、当時の自身の状況をこのように振り返る。

「今はなきクレディ・スイス証券で、当時はM&A本部長をやっていました。ある案件でエディオンの久保会長とお話する機会があって、たまたまサッカーの話題になったら、『君、詳しいね』という話になって。そのうち、小売業界の再編の話題などと並行して、サンフレッチェについてもアイデア出しをするようになりました」

 これが2010年の話だ。この縁でエディオンの顧問となり、99%減資、そしてエディオンとマツダを中心とした第三者割当増資による経営再建計画を久保から依頼される。さらに2012年2月の株主総会では、小谷野が策定したサンフレッチェの「経営再建5カ年計画」が認められるなど、その手腕は遺憾なく発揮された。

 やがて小谷野は会長から「当事者意識をもってサンフレッチェの経営に関わってみないか?」と提案され、謹んで受け入れることとなる。

「宇品優位」の中、社長職を辞しての市長選出馬

現在はJリーグのカテゴリーダイレクターを務める小谷野。もし市長選に立候補していなかったら、新スタジアム建設はどのように決着していただろうか? 【宇都宮徹壱】

 ここで、サンフレッチェ広島の歴代社長を列挙してみる(カッコ内は就任期間)。古田徳昌(1992-95)、信藤整(1995-98)、久保允誉(1998-2007)、本谷祐一(2007-12)、小谷野薫(2013-15)、織田秀和(2015-2017)、山本拓也(2018−19)、仙田信吾(2020-24)、久保雅義(2025-)。

 このうち古田と信藤と織田はマツダ出身。久保允誉と本谷はエディオン、山本はナイキ、仙田はRCC(中国放送)で、いずれもサンフレッチェとゆかりのある企業の出身者である。現職の久保雅義は、現会長の允誉の長男。こうして見ると、サンフレッチェとも広島とも縁のない小谷野の存在は、実に異質なものに感じられる。

 小谷野の特異性は、その出自や経歴だけではなかった。自身をキャラクター化した「こやのん」を考案・商品化したと思ったら、2015年には広島市長選挙への立候補を表明。1月17日の中国新聞から引用しよう。

《任期満了に伴う4月12日の広島市長選に、サッカーJ1サンフレッチェ広島社長の小谷野薫氏(51)が17日、無所属で立候補することを正式に表明した。/小谷野氏は中区のホテルで報道陣に対し、旧市民球場跡地(中区)へのサッカースタジアム建設運動や、昨年8月の土砂災害の義援金集めなどを通じ、市民と触れ合う中でまちづくりへの思いを強くしたと説明。「跡地へのスタジアム建設は市中心部の活性化の重要なポイントだ。都市間競争に勝てる街をつくりたい」と述べた。(後略)》

 取材を通して感じる小谷野の人物像は、良くも悪くも「計算され尽くしている」というものであった。ビジネスでもキャリアでも、自身が目指す最高の形を緻密に想定し、そこから逆算して完璧な戦略を打ち立てる、というイメージだ。

 ただし、2015年の市長選立候補に関しては、そうした緻密さからかけ離れていたように感じられてならない――。そう感じるのは、おそらく私だけではないだろう。

 翌18日の中国新聞は、周囲の戸惑いを紹介しつつ《小谷野社長は「Jリーグからは「立候補はプライベートであり、サンフレッチェ広島の活動とはしっかり区別を」と言われた」と説明。今後は2月の宮崎キャンプ終了後、「織田強化部長にJリーグ実行委員代理を依頼し、経営には引き続き関与したい」と述べた。》としている。

 だが、Jリーグが「兼業」を認めるはずもなく、小谷野はサンフレッチェの社長職を辞し、退路を断って市長選に挑むこととなった。果たしてこの決断は、小谷野自身が下したものだったのだろうか? 私の質問に対して、当人はこのように述べている。

「100%、僕の意思でした。久保会長と僕で話し合いました。政治的な圧力はあるかも知れないけれども、広島の街づくりのためにも、われわれがはっきり主張しないと何も進まないと思っていました。言い出したのは自分でしたが、久保会長の存在がなければ、立候補していなかったのも事実です」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)。宇都宮徹壱ブックライター塾(徹壱塾)塾長。

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