【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話

サッカースタジアム検討協議会が示した2つの案 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(21)

宇都宮徹壱
日本初の「街なかサッカースタジアム」はなぜ、広島に誕生したのか? そしてなぜ、20年以上の歳月を要することとなったのか? 終戦と原爆投下から80年となる2025年8月、平和都市・ヒロシマにおける、知られざるスタジアム建設までのストーリーを連日公開(全30回)

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宇品にある広島みなと公園。かつては旧市民球場跡地と並んで、新スタジアムの建設候補地となっており、特に広島県と広島市が強力に推していた 【宇都宮徹壱】

もしも「広島みなと公園」に新スタジアムができたなら

 広島駅から広電(路面電車)に乗車して32分。ほぼ真っすぐに南下して、宇品波止場公園で右折し、終点の広島港で下車する。ここはかつて「宇品港」と呼ばれていた。

 明治期の日清・日露、そして昭和期の戦争において、宇品は兵站拠点の最前線として活況を呈していたという。しかし令和の現在、往時を偲ぶものは何も見当たらない。隣接する広島港宇品旅客ターミナルからは、宮島や江田島や呉・松山行きのフェリーが出ている。日曜日なのに、周囲は驚くほどに閑散としていた。

 なぜ観光スポットでもない、宇品を訪れたのか。それは、エディオンピースウイング広島(Eピース)が建設された中央公園、そしてオールフォーヒロシマのメンバーが建設地に望んでいた旧市民球場跡地と並んで、宇品の広島みなと公園もまた候補地に挙がっていたからだ。というより、一時はスタジアム建設の最有力候補地ですらあった。

 ちなみに、オールフォーヒロシマのメンバー間では「宇品案(広島みなと公園)」に賛成する者は皆無。のみならず、会長の久保允誉をはじめとするサンフレッチェ広島の関係者ほぼ全員が、宇品案にはネガティブな印象しか持っていなかった。よそ者である私としては、逆に「なぜ宇品はこれほど嫌われたのか」が気になってしまう。

 宇品案を強く推したのは行政、とりわけ広島県である。その理由について、知事の湯崎英彦に文書で質問したところ、県の広報からこのような回答を得た。

《「広島みなと公園」は多機能化・複合開発が可能であり、コスト性や、広島の新たな都市核・交流拠点形成に寄与することが期待されるなど経済やまちづくりへの波及効果も優位でしたが、交通アクセスの面で課題がありました。(中略)3万人規模のスタジアムを建設するには、事実上、広島みなと公園しかない中で、最終的な候補地決定のため、交通アクセス面での課題について検討を行っていたものです。》

 行政側は、新スタジアムのキャパシティを「3万人」と設定。この規模感の施設を建設するためには、旧市民球場跡地では面積が足りないため、交通アクセスの課題はあるものの《事実上、広島みなと公園しかない》と判断していたことが窺える。

 駅から30分のアクセスというのは、悪くはない距離感だと思う。ただし、最大3万人の観客を移送するのに、路面電車だけではどうにも心もとない。シャトルバスを増発するにしても、付近の道路事情を考えると、かなり厳しいように感じられる。いずれにせよ「宇品に決まらなくてよかった」というのが、よそ者である私の率直な感想であった。

37万筆の署名とサッカースタジアム検討協議会

サッカースタジアム検討協議会は19回にわたって開催され、途中「勉強会」として完成間もないパナソニックスタジアム吹田への視察も行われている 【宇都宮徹壱】

 2013年6月6日、広島の新スタジアム問題は、新たなステージを迎えることとなった。この日、広島市と広島県、広島商工会議所、そして広島県サッカー協会の4者が合同で設置した「サッカースタジアム検討協議会(以下、協議会)」の初会合が開催された。

 協議会は2014年11月21日まで実に19回にわたって開催され、その間にパナソニックスタジアム吹田やノエビアスタジアム神戸を視察する「勉強会」も行われている。委員は、スポーツやまちづくりの有識者や競技団体の代表者による11名。協議会の会長には、広島修道大学教授で、都市環境デザインが専門の三浦浩之が選出されている。

 三浦は、サッカーを含めたスポーツ、そしてスポーツビジネスの専門家ではない。会長に選ばれた理由について、当人は「おそらくは都市戦略での専門性に加えて、行政や地元財界、そしてサッカー界とは等間隔の距離感を保っていたことも、大きな理由だったと思います」と振り返る。

 ちなみにサンフレッチェ側の委員は、2013年にクラブ社長に就任した小谷野薫、後援会会長の加藤義明(協議会での肩書は「公益財団法人広島県体育協会会長」)、そして県協会名誉会長の野村尊敬が名を連ねていた。

 11人中、サンフレッチェ側は3人。ややアウェイな印象もあるかもしれない。それでも行政側の代表者と同じフィールドで、新スタジアムのあり方について語り合えることは、これまでの経緯を考えれば実に画期的。それ以前はクラブとして、市や県に「街なかに新スタジアムを!」などと訴えることは、タブー中のタブーであった。

 そんな彼らにとり、さながらサポーターのような存在となっていたのが、元オールフォーヒロシマの三輪隼土である。1987年生まれの三輪は、大学時代から活動に参加しており、この当時は税理士の資格試験に向けて猛勉強中。だだし時間の融通が利くため、すべての協議会に一般傍聴者として参加していた。

 それだけではない。協議会の発言内容を全文書き起こしては、オールフォーヒロシマのメンバーに共有しており、違和感を覚える議論や報道に対してはツイッター(現・X)で舌鋒鋭く指摘する「ゲリラ活動」を展開していた。協議会の内容は、今でこそ市のHPで内容を確認できるが、当時は三輪の発信だけが頼りであった。

「自分がやってきたことが、どれだけ影響を与えたかはわからないです」と、無事に税理士となった38歳の三輪は謙遜しながらも、こう続ける。

「それでも、宇品案一択というのはおかしい、ということはSNSを通して共有できたんじゃないですかね。僕自身、宇品が建設地にふさわしい理由がちゃんと説明されていたなら、批判することはなかったと思うんです。けれども『交通機関に問題があるなら、観客をフェリーで運べばいい』なんて意見が出てきたら、それはおかしいと指摘せざるを得ないですよね(苦笑)」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)。宇都宮徹壱ブックライター塾(徹壱塾)塾長。

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