【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話

ビジネスと草野球で紡がれた新旧社長の信頼関係 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(14)

宇都宮徹壱
日本初の「街なかサッカースタジアム」はなぜ、広島に誕生したのか? そしてなぜ、20年以上の歳月を要することとなったのか? 終戦と原爆投下から80年となる2025年8月、平和都市・ヒロシマにおける、知られざるスタジアム建設までのストーリーを連日公開(全30回)

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2007年から12年までサンフレッチェ広島の社長を務めた本谷祐一。現在は瀬戸内の小さな島で釣りと畑仕事を楽しむ日々を送っている 【宇都宮徹壱】

島の生活を満喫する元サンフレッチェ社長

「久保(允誉)会長は創業者の2代目で、1992年に社長に就任されているんですが、僕が本店にいた頃からのお付き合いでした。当時は販促部長をされていて、早朝野球で何度も一緒にプレーしていた間柄です。久保さんはピッチャーで僕がサード。まあ、サラリーマンの草野球でしたけれど、いちおう僕は大学まで真剣に続けていましたからね。ガンガン打っていたので、それで顔と名前は覚えてもらえたと思います(笑)」

 2007年、2度目のJ2降格の責任をとる形で、久保がサンフレッチェ広島の社長を退任。後任に指名されたのが、本谷祐一であった。1954年生まれの71歳。久保の4歳下になるが、草野球でつながりがあったというのが興味深い。

 そんな本谷と待ち合わせたのは、広島駅に隣接したホテルグランヴィア広島のカフェ。日に焼けた額に白髪、そしてラフな白い襟なしシャツという出で立ちは、元Jクラブ社長というよりも、瀬戸内で暮らすベテラン漁師を想起させる。実際のところ本谷は、瀬戸内海中西部にある斎島(いつきしま)の生まれであった。

「周囲4キロくらいの小さな島で、今住んでいるのは4世帯、7人くらいじゃないですかね。呉市が運営する定期便もあるんですが、将来的には誰も住まなくなってしまうかもしれないです。島には先祖のお墓もあるんですが、僕の畑がある上蒲刈島に移そうと思っています。今はそこで、釣りと畑仕事をしながらのんびり暮らしています(笑)」

 本谷が大阪の桃山学院大学を卒業後、広島に戻って就職した理由は「満員電車が嫌だったから」。当時のダイイチに1978年に入社する。

「入社した当時、店舗があったのは中国エリアと四国の一部の主要都市でしたね。のちに福岡で店長もやりましたけれど、僕が入った時はまだ九州に店舗はなかった。入ってすぐの頃は、本店で冷蔵庫を売っていました」

 その後は順調に出世を重ね、1996年には店舗開発部長に就任。さらには、デオデオの陸上部とアーチェリー部のGMを兼任していた。ここまでの経歴を見る限り、サッカーとの接点は皆無である。

 のちにクラブ社長として、サンフレッチェのJ1復帰、初のACL出場、そして2012年のJ1初優勝といった、さまざまな快挙に立ち会うこととなる本谷。実は新スタジアム建設においても、彼は重要な役割を果たすことになる。

野球一筋の男がJクラブを任されるまで

紙屋町にあるエディオン広島本店。サンフレッチェ広島の経営を立て直すために、社長の久保允誉はサッカー経験よりも店長経験をより重視していた 【宇都宮徹壱】

 本谷が新スタジアム建設に関与した話に触れる前に、もう少し彼のキャリアについて追いかけることにしたい。

 久保がサンフレッチェ社長に就任した際、自身が特に信頼を寄せている3人の腹心を出向として呼び寄せている。1人目が営業担当の山田恵司、3人目が広報担当の眞鍋茂。本谷はデオデオからの2人目の出向者で、1998年に事業本部長として迎えられた。この3名に共通するのは、ダイイチやデオデオでの店長経験があること。その理由について、久保はこのように語っている。

「クラブ経営を軌道に乗せていくために重視したのが、毎月の収支や目標設定をきちんと立てること。対戦相手や天候、平日夜か週末かによって入場者数も変わってきます。そういった諸条件を頭に入れながら、具体的な数字を提示して社員の共通認識にしていく。これは店舗経営とほとんど一緒なんですよね」

 3人の中では山田と眞鍋がサッカー経験者だが、プロサッカークラブの経営や運営の知識やノウハウがあったわけではない。その点でいえば、3人とも素人であった。

 こと「サッカー」に関しては、マツダから来ている人間のほうに、圧倒的な知見と経験があった。しかしクラブ経営を立て直すには、ただサッカーを知っているよりも店長経験がより重要である、というのが久保の考え。とりわけ、事業本部長の本谷には期待を寄せていたようだ。

「サンフレッチェに出向するまでは、陸上部とアーチェリー部のGM業務をやっていました。まあGMといっても、監督のお世話係みたいなものでしたけど」

 そう謙遜する本谷。未体験のサッカーについて不安はなかったかと尋ねると「競技は違うけれど、ずっとスポーツの現場にはいましたからね」。そして、こう続ける。

「それと久保さんは本業の社長でもありましたから、ずっとサンフレッチェばかりに向き合うわけにもいきません。ですから、僕が現場監督という感じで、困ったことがあったらどんどん報告するようにと、久保さんからは言われていました」

 出向したばかりの頃は、クラブ収益の安定化に苦労したという。いくら店長経験があるとはいえ、初めて経験するプロサッカークラブの経営は、試行錯誤の連続だった。

「いろんなことに着手しましたが、そのひとつが損益の明確化。毎試合ごとに、どれくらいの入場料収入が必要で、そのために何人のお客さんを集める必要があるのか。具体的な数字に基づいた会議をずっとやっていました。それと僕自身、クラブ経営というものを知る必要があったので、JリーグのGM講座で学ばせていただきました」

 プロのクラブ経営者を育成するべく、Jリーグは1998年からGM講座を開催しており、本谷は早い段階で受講している。余談ながら同期には、ヴェルディ川崎のホームタウンを東京に移転することに尽力した坂田信久、清水エスパルスの強化育成部長や名古屋グランパスのGMを歴任した久米一正(故人)など、錚々たる顔ぶれが揃っていた。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)。宇都宮徹壱ブックライター塾(徹壱塾)塾長。

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