【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話

広島・東京間で紡がれていった新スタジアム像 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(11)

宇都宮徹壱
日本初の「街なかサッカースタジアム」はなぜ、広島に誕生したのか? そしてなぜ、20年以上の歳月を要することとなったのか? 終戦と原爆投下から80年となる2025年8月、平和都市・ヒロシマにおける、知られざるスタジアム建設までのストーリーを連日公開(全30回)

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オールフォーヒロシマが作成した、旧市民球場を段階的にサッカー専用スタジアムにリノベートするプランを描いたパース 【提供:ALL FOR HIROSHIMA】

「今西さんの意志を受け継ぐのは、俺らしかいない!」

「代表だった槙坪(大介)くんが、サンフレッチェの久保(允誉)会長とつながりがあって、空いている事務所を紹介してもらったんです。それが偶然にも、今西(和男)さんのスタジアム推進プロジェクトが使っていた事務所だったんですね。僕は東京在住なので行ってないんですが」

 オールフォーヒロシマの元メンバーで、都内の大手ゼネコンに勤務する「またろ」は、1968年生まれで広島市出身。当人の強い希望で本名を出せないため、以降もこのハンドルネームを用いることにする。つづきを聞こう。

「そこは倉庫のようになっていて、当時のプレゼン用のパネルやパースなんかが、ホコリまみれになって出てきました。それを見たメンバーが『今西さんの意志を受け継ぐのは、俺らしかいない!』という気分になったそうです」

 またろがオールフォーヒロシマの一員となったのは、立ち上げから2カ月後の2008年8月。当時はネット議論の主戦場だった「2ちゃんねる」のスタジアムに関するスレッドで積極的に発信していた。やがて、オールフォーヒロシマの存在を知る。

 しかも立ち上げメンバーの波田健一は、中学・高校のブラスバンド部の後輩だった。この偶然に驚きつつも、今後の活動において建築や設計の専門知識を持つメンバーが必要となると考え、またろは自ら波田にコンタクト。ブラスバンド部の先輩・後輩は、実に四半世紀ぶりに再会することとなる。

 それにしても「今西さんの意志を受け継ぐのは、俺らしかいない!」という決意には、実に心に響くものがある。一度は挫折したかに見えた、スタジアム推進プロジェクトの試み。2006年から2年のブランクを経て、今度はサンフレッチェのファン・サポーターによる勝手連に引き継がれることとなった。果たして、こうした動きは他にはなかったのだろうか。

「なかったですね。今西さんの挑戦が挫折して以降、僕らの動きはファーストペンギン的だったと思います。だからといって、当時はそういったことを声高に主張することはありませんでした。『サンフレッチェのための活動』に見られてしまうと、この運動は支持を得られないとも思っていました。そもそも広島って『カープの街』であり『平和都市』でもありましたから」

「過去からのエール」となった丹下健三のマスタープラン

日本が世界に誇る建築家、丹下健三(1913-2005)。1954年に完成した広島平和記念公園の全体設計を担当し、「平和の軸線」という概念を打ち出した 【写真は共同】

 さて、私がオールフォーヒロシマに着目するようになったのは、またろとの出会いがきっかけである。彼が見せてくれた資料の中に、実に興味深いパースが含まれていた。それは旧市民球場が、段階的にサッカー専用スタジアムにリノベートされる、もしかしたらあり得たかもしれない跡地利用の未来像であった。

 2008年から11年まで、実質的には4年間の限定的な活動に終わった、オールフォーヒロシマ。その間には、署名活動やイベントの開催、さらにはデモ行進など、さまざまな動きを見せている。

 そんな彼ら彼女らの活動の「クライマックス」といえば、2011年5月20日に行われた、広島市長へのプレゼンテーションであった。

 この年の4月10日、広島市長選挙が行われ、無所属で元厚生労働官僚の松井一實が当選。3期での退任を表明した秋葉忠利前市長に替わって、広島市政のトップに立つこととなった。この機会を捉え、オールフォーヒロシマとして、市民球場跡地利用についてのプレゼンを試みたのである。

 この時の提案書を作成したのはまたろであったが、もうひとり重要な役割を果たしたのが、佐賀県鳥栖市で精神科医をしている「KOP」である。1980年生まれのKOPは、メンバー内では「国内外のスタジアムにやたらと詳しい」ことで一目置かれていた。

「実家が広島で歯科医院をやっていたので、僕も歯科医大を卒業したものの、国家試験は不合格でした。その後、九州にある医大に合格して精神科の医師になるんですが、ちょうどオールフォー立ち上げの頃は、実家にいてニート状態。それで波田さんのブログを見て、すぐに『ビラ配りでも何でもやります!』って連絡したんです」

 オールフォーヒロシマの活動に飛び込んだ一番の理由は、自身もサッカーファンのひとりとして街なかスタジアムを切望していたから。実はKOPには建築家に憧れていた時期があり、広島市中央図書館で資料を読み漁っている時に出会ったのが、丹下健三による「広島平和記念公園」のマスタープランである。

 平和記念公園と原爆ドームを一直線上に並ぶ、軸線の向こう側には中央公園があり、そこには文化・スポーツ施設、さらにはスタジアムまで描かれてあった。

「当時はひとりで『広島の中心街にスタジアムができないか?』と、あれこれ模索していました。その時、たまたま丹下さんのマスタープランを目にして、衝撃を受けましたね。中央公園に描かれたスタジアムを見つけた時には、過去からのエールにように感じられて、居ても立ってもいられなくなりました」

 マスタープランに描かれた、平和記念公園から中央公園に至る軸線。これこそが、若き日の巨匠が提唱した「平和の軸線」である。のちにエディオンピースウイング広島(Eピース)をめぐっては、後付けのように語られることの多い「平和の軸線」。しかし当時は、市民の間でも日常的に認識されていたとは言い難い状況であった。

【スポーツナビ】

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)。宇都宮徹壱ブックライター塾(徹壱塾)塾長。

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