【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話

2008年6月18日、オールフォーヒロシマ結成 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(10)

宇都宮徹壱
日本初の「街なかサッカースタジアム」はなぜ、広島に誕生したのか? そしてなぜ、20年以上の歳月を要することとなったのか? 終戦と原爆投下から80年となる2025年8月、平和都市・ヒロシマにおける、知られざるスタジアム建設までのストーリーを連日公開(全30回)

※リンク先は外部サイトの場合があります

オールフォーヒロシマの公式HPより(現在は閉鎖)。同組織は旧市民球場跡地でのサッカースタジアム建設を求めて、2008年から11年まで活動 【提供:ALL FOR HIROSHIMA】

2度目のJ2とスタジアムDJが抱いた危機感

 指定された店は、紙屋町と並ぶショッピングや飲食の中心エリア、八丁堀にある鉄板焼屋だった。店の個室に案内されると、すでに今日の参加者7人全員が揃っていた。メンバーは40代から60代。ひとりだけ19歳の大学生がいたが、50代夫婦の息子だった。

「この子が小さい時、署名活動に連れて行ったんですよね」という母親に、メンバーのひとりが「それがこんなに大きくなるんだから、われわれもトシをとるわけだよね」と満面の笑みで頷く。メンバーの多くが、数年ぶりの再会だったようだ。

 彼らはかつて「オールフォーヒロシマ」というグループに所属していた(正式な表記は「ALL FOR HIROSHIMA」だが、当連載ではカタカナ表記で統一)。メンバーの多くはサンフレッチェ広島のファン・サポーターであり、市民レベルで「街なかスタジアム」の建設を訴えてきた人々である。

 オールフォーヒロシマが設立されたのは2008年6月18日。その年のサンフレッチェは、2度目のJ2を戦っていて、結果として勝ち点100のぶっちぎりで優勝とJ1復帰を果たしている。とはいえ、J1の中位よりやや下という予算規模を考えると、今後もJ1とJ2を行き来するエレベータークラブとなるのではないか――。それはクラブ関係者のみならず、心あるファン・サポーターもまた共有するところであった。

 この日の宴には、オールフォーヒロシマ立ち上げ時のメンバーも参加していた。サンフレッチェの元スタジアムDJで、のちに広島市議会議員となる、石橋竜史である。1971年生まれの石橋は、当時の思いについてこのように語る。

「サンフレッチェのように、人口も商圏規模も限られる地方クラブが生き残るには、自分たちで優秀な選手を育成していくほかない。その方向性は間違いなかったし、実際に成果も表れていました。でも、それにはやはり限界があります」

 スタジアムDJとして、肌感覚も含めて特に限界を感じていたのが、スタジアムの平均入場者数だったという。

「DJの仕事をさせていただいたのは、2000年から10年まででしたが、当時はどんなに頑張っても1万5000人くらい。ずっと1万人台で推移していました。平日の夜だと、5000人に届かない日もあったくらいです。ビッグアーチは5万人、実際には3万7000人くらい入りますから、ブースから見ていると本当にスカスカだったんですよ」

スポーツ先進国と地元・広島との彼我の差

オールフォーヒロシマ設立メンバーである、元スタジアムDJで元広島市議の石橋竜史(左)と元TVディレクターで気象予報士の波田健一 【宇都宮徹壱】

 クラブに危機感を覚えていた人物がもうひとり。当時、TSS(テレビ新広島)のディレクターだった気象予報士の波田(はだ)健一である。

 1969年生まれの波田は、単なるサポーターではない。クラブのオフィシャル携帯サイト「TSSサンフレッチェ広島」を2004年に立ち上げ、『ひろしま満点ママ!!』という情報番組では、ユニフォーム姿でホームゲーム当日の天気予報を伝えていた。

 地元メディアに身を置いていただけに、広島スポーツ界や行政の動きを鋭敏に察知していた波田は、広島市民球場移転問題の推移にも注目。やがて「跡地にスタジアムを建設できないだろうか」という期待を抱くこととなる。

「ちょうど市民球場の移転が決まって、跡地をどうするんだって議論になっていた時、『これは最初で最後のチャンスだろうな』と思ったんです。ビッグアーチのままだと、サンフレッチェの集客が頭打ちになるのは明らかでした。新しいスタジアムを作るんだったら、絶対に街なかがいい。そう考えた時、旧市民球場跡地がベストでした」

 石橋も波田も、サンフレッチェのファン・サポーターの間では有名人であるが、両者には興味深い共通項があった。それは20代の時、海外のスポーツ文化をダイレクトに触れていたことだ。

 石橋は地元の高校を卒業後、上京して芸能事務所に所属しながらタレントを目指していたが、1995年に渡米。ニューヨークを経てカナダのトロントに渡り、地元FM局でDJを務めていた。スポーツをエンターテインメントとして派手にショーアップする、現地の文化に大いに刺激を受けた石橋は、広島に戻ってからスタジアムDJとなる。

 一方の波田は、大学時代に英国への短期留学を経験。留学先はイングランドのノリッジだった。ちょうどプレミアリーグが開幕したタイミング。波田は、ノリッジ・シティFCのホームスタジアム、キャロウ・ロードの熱狂的な雰囲気に圧倒される。余談ながらノリッジは、現在EFLチャンピオンシップ(実質2部)だが、1992−93シーズンのプレミアリーグでは3位に輝いている。

 北米と英国の違いはあれ、スポーツ先進国の文化に浸っていた、石橋と波田。そんな彼らにとり、カープ一辺倒だった地元のスポーツ観戦環境に、愛着とは別の物足りなさを覚えるようになるのは、当然の成り行きであった。

 6月18日、石橋は自身のブログの冒頭で《本日、立ち上げられましたプロジェクト!その名も単純明快 「ALL FOR HIROSHIMA」。》と書いている。

《あれは、いつの晩だったでしょうか? 夜中に妻と何気ない世間話をしていた時のこと…/「壮大な夢だけど、お世話になった広島の土地にサッカー専用スタジアムを建設して恩返しが出来ればな。きっとそこには笑顔が溢れるんだろうな」の話題が。(中略)/いずれにせよ、「何かアクションを起こさないと時間だけが無情に流れてしまう」と思っていた矢先、気象予報士の波田さんから驚愕するほど同様の意見が!》

1/2ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)。宇都宮徹壱ブックライター塾(徹壱塾)塾長。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント