スタジアム推進プロジェクトの終焉と今西和男の退場 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(07)
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市民球場跡地をめぐるコンペティション
①広島大学東千代田キャンパス跡地(新設)
②広島スタジアム(改修)
③広島港五日市地区(新設)
④広島広域公園第一球技場(改修)
⑤広島市民球場跡地(新設)
プロジェクトの初期段階では、③の五日市地区が有力だったこと、そして埋立地ゆえに地盤沈下のおそれなどがあり、候補から外れたことはすでに述べた。代わって有力候補に浮上したのが、⑤の広島市民球場跡地である。
市民球場は広島中心街に位置し、繁華街である紙屋町にも隣接していた。ところが施設そのものが老朽化したことで、旧・東広島貨物駅のヤード跡地に新たなスタジアム(MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島)が建設されることとなったのである。その跡地に、サッカースタジアムを建設できたとしたら、どんなに素晴らしいことだろう――。
広島市民にとり、広島カープと球団本拠地である市民球場は、別格の存在である。その郷土愛ゆえに、カープとサンフレッチェの両方を応援しているファンもいるにはいるが、人気と知名度で後者が前者を上回ることはなかった。かくして広島では「野球は街なか、サッカーは山奥で」という先入観が固定化されていたのである。
そんな中、広島市主催による、旧市民球場跡地利用のコンペティションが行われることが発表される。募集期間は2005年11月15日から翌06年1月20日まで。スタジアム推進プロジェクトとしては、これに応募しない手はなかった。
もしも首尾よくコンペで1位となれば、悲願の新スタジアムを街なかに建設できる可能性が高まるのではないか。サッカーは山奥で観るものではない。街なかで愛するクラブを応援して、勝っても負けても紙屋町に繰り出し、酒を酌み交わしながら今日の試合を振り返る。そんな週末を過ごすことができたら、どんなに素敵なことだろう――。
水族館と観覧車を併設したサンフレッチェ案
《市民球場跡地にはかなりのメリットがある。空洞化する中心部へ150万人を集める。/サッカーは20試合1試合2万人で40万人、公園であるため商業施設は難しい。/サッカースタジアムと水族館を視察してきた。広島は川が多い。淡水魚の水族館を予定している。/広島の観光客・修学旅行は減少している。資金は行政から出すのは難しい。民間で作りたい。》
ここで唐突に「水族館」が出てくる。
このコンペには、サンフレッチェ広島として2案を提出。そのうちひとつは、純然たるサッカー専用スタジアムであったが、もうひとつは水族館と観覧車を併設した、現代の感覚からすると実に破天荒なアイデアであった。その理由について、当時サンフレッチェの社長だった久保允誉はこう語る。
「淡水魚の水族館っていうのは、中国エリアにないので面白いんじゃないかと。これはかなりの動員数というか、集客が見込まれるんじゃないかということで。観覧車は、地元経済界のある方から『作りたい』と。僕は反対だったんです。原爆ドームのすぐ近くに観覧車はないでしょうと。でも、寄付金のこともあるから、ちょっとは(意見を)入れておかないとね」
この頃、プロジェクトのメンバーが重視していたのが、年間入場者数であった。スタジアムで行われる試合数は、ナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)を合わせて20試合。仮に1試合に2万5000人を集めても、年間50万人にしかならない。しかし彼らは、新スタジアムの年間入場者数について、その3倍の150万人とすることを目指していた(ちなみに旧市民球場は、最後のシーズンとなる2008年に139万680人を集めている)。
そこで彼らがひねり出した数字が、サッカー競技場が年間50万人、水族館と観覧車の定着時入場者数が、それぞれ60万人。合計170万人となるが、重複を勘案して150万人とした。数字の妥当性には、いろいろ疑義もあろう。それでも、街なかにスタジアムをつくるためには、試合数が少ないサッカー以外にも集客が見込める仕組みを提示することで、なんとか認められたい――。そうした涙ぐましい関係者の思いが伝わってくる。
結果、どうなったか? 堀治喜著『誰が、市民球場を壊したのか?』によれば、サンフレッチェの2つの提案は、26の候補の中に残ったものの、2006年5月21日の第3回選考過程(実質的な1次審査)であえなく落選。同書によれば、サッカースタジアムの案は合計5つあったそうだが、いずれもこのタイミングで落とされている。
そこに「市民球場跡地にサッカースタジアムなど、もってのほか!」と言わんばかりの、当時の市の姿勢を見る思いがする。