角田裕毅、復活の兆し レッドブル新体制はどこまで支えられるか――

柴田久仁夫

今の角田には、フェルスタッペンは依然として高くそびえる壁だ 【(c)Redbull】

ぶっつけ本番で7番手! 速さが戻った角田

 大きな手応えと、大きな落胆が交錯した週末だった。

 角田裕毅は決勝こそノーポイントに終わったものの、予選ではレッドブル移籍後最高となる7番グリッドを獲得した。攻めの姿勢と絶妙のマシンコントロール。長く見られなかった角田の本来の速さが、そこには確かにあった。

 スプリントフォーマットだった先週末のベルギーGP。ここ数戦続いていた角田の低迷はここでも変わらず、フリー走行18番手、スプリント予選はQ2落ちの12番手。そして翌日のスプリントレースも11位に終わっていた。2番グリッドから逆転優勝を遂げた王者マックス・フェルスタッペンとの差は、ますます広がるばかりだった。

 するとチームは本予選の直前、角田のマシンにフェルスタッペンと同仕様のフロアに換装する決定を下した。重要パーツであるフロアを換えれば、マシン挙動も大きく変わる。ぶっつけ本番の予選アタックだったが、角田は見事に期待に応え、7番グリッドを獲得してみせた。

 このまま行けば、決勝レースも上位入賞が期待できる。しかしレースでは、雨用のインターメディエイトタイヤへの交換の際、角田への連絡が遅れ、大きく順位を落とし13位完走に終わった。

謝罪ににじむ、角田への変わらぬ視線

レーススタート直前、角田のもとにメキエス代表が駆け寄った 【(c)Redbull】

 レースはスタート時に大雨に見舞われ、赤旗中断。戦いが始まったのは、それから1時間20分も経ってからだった。雨は完全に上がり、強い日差しがコースを照り付けていた。路面は急速に乾き始め、レインタイヤからドライタイヤへの交換のタイミングが、レース結果を大きく左右するであろうことは間違いなかった。

 真っ先に動いたのは、フェラーリのルイス・ハミルトンだった。11周目にピットに向かった判断が功を奏し、予選失敗でピットレーンからスタートしたにもかかわらず、7位入賞を果たした。

 角田は、真逆の展開だった。7番手周回中の角田はチームに、11周目にはドライタイヤへの交換の意思を無線で伝えた。ところが担当エンジニアのリチャード・ウッズからは、何も返事がない。

 延々と待たされた末に、「ピットインだ!」という指示があったのは、角田が12周目の最終シケインを抜けようとした時だった。角田はもう1周、ドライタイヤに比べて10秒以上ペースが落ちていたレインタイヤでの周回を余儀なくされ、13周目にピットイン。コースに復帰した時には、12番手まで順位を落としていた。

 レースに「たら、れば」は禁物とはいえ、もし12周目に入っていたら、入賞圏内の10番手以内で戻れたことは間違いない。おそらくハミルトンと、7位を争う展開だったことだろう。

 ローラン・メキエス代表はレース後の会見で、「チームの不手際だった」ことを認め、角田へも直接謝罪した。クリスチアン・ホーナー前代表だったら、はたしてそこまで手厚いフォローをしただろうか。メキエス代表の一連の行動は、極端にフェルスタッペン寄りだったレッドブルのチーム運営における、ささやかではあるが確かな変化の一つだと言えるだろう。

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著者プロフィール

柴田久仁夫(しばたくにお) 1956年静岡県生まれ。共同通信記者を経て、1982年渡仏。パリ政治学院中退後、ひょんなことからTV制作会社に入り、ディレクターとして欧州、アフリカをフィールドに「世界まるごとHOWマッチ」、その他ドキュメンタリー番組を手がける。その傍ら、1987年からF1取材。500戦以上のGPに足を運ぶ。2016年に本帰国。現在はDAZNでのF1解説などを務める。趣味が高じてトレイルランニング雑誌にも寄稿。これまでのベストレースは1987年イギリスGP。ワーストレースは1994年サンマリノGP。

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