【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話

今西和男のGM退任とスタジアム推進プロジェクト 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(06)

宇都宮徹壱
日本初の「街なかサッカースタジアム」はなぜ、広島に誕生したのか? そしてなぜ、20年以上の歳月を要することとなったのか? 終戦と原爆投下から80年となる2025年8月、平和都市・ヒロシマにおける、知られざるスタジアム建設までのストーリーを連日公開(全30回)

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2002年の今西和男(右)。この年にサンフレッチェ広島は初のJ2降格となり、長年務めてきたクラブGMを退任。スタジアム推進プロジェクトの事務局長となる 【写真は共同】

スタジアム推進プロジェクトとは何か?

 クラブ初のJ2降格を受けて、GMを退任することとなった今西和男。1982年に前身のマツダSCの副部長兼総監督となって以降、実に20年にわたるサッカー現場での指導から潔く身を引いたことになる。

 この頃の今西の思い、そしてスタジアム推進プロジェクトに関する言及は、驚くほど限られている。今西の半生を丹念に追った、木村元彦による『徳は弧ならず 日本サッカーの育将 今西和男』でも《ゼネラルアドバイザーとしてサンフレッチェには関わりながら、サッカー専用の「スタジアム推進プロジェクト」の事務局長に就任する。》というくだりがあるのみである。

 今西自身が当時の記憶を語れないとなれば、その近くにいた関係者に話を聞くほかない。この頃、サンフレッチェ広島に所属していた何人かに証言を求めたが、プロジェクトの存在は知っていても、実態や内容を語れる者は皆無であった。おそらくは、クラブとは完全に切り離されていたと思われる。

 幸い、当時の議事録のコピーを入手することができた。第1回の担当者会議が行われたのは、2003年4月21日の13時から。場所は、デオデオ(現・エディオン)大手町ビルの7階会議室。当時のサンフレッチェ広島社長、久保允誉も出席しており、その発言内容も残っている。

 いわく「ヨーロッパのサッカ一場はサッカーで使用しない時でも何らかのにぎわいがある」「5~7年かけてもそのようなスタジアムを創っていきたい」「資金調達の方法も行政に100%は無理だ」「海外の状況も参考にしたい。私にもアイディアがある」。

 前年のワールドカップ(W杯)日韓大会で、サッカーどころの広島は蚊帳の外。そしてクラブは、この年からJ2を戦う。スタジアム推進プロジェクトは、広島サッカー界隈が雌伏と模索のまっただ中の時代に、立ち上げられることとなった。

 このプロジェクト発足の契機を作ったのが、1999年から2011年まで3期12年にわたって広島市長を務めた秋葉忠利である。2期目を目指した2003年の市長選で、公約のひとつに掲げていたのが「サッカー専用スタジアムの検討」。そして当選後の所信表明では「現在の市民球場を候補地に」と、踏み込んだ言及もしている。これには当然ながら、地元サッカー界も色めき立つこととなる。

 これを追い風と判断して立ち上げたのが、スタジアム推進プロジェクトであった。

前市長の「翻意」と意外な有力候補地

2003年のユニフォーム。1997年からデオデオ(現・エディオン)が胸スポンサーとなっているが、この年はプライベートブランド「Your Voice」だった 【宇都宮徹壱】

 2003年から始まった、スタジアム推進プロジェクト。その議事録から、プロジェクトの概要と議論の流れをまとめると、以下のとおりである。

 参加していたのは、広島県教育委員会生涯学習部、広島市市民局文化スポーツ部、広島県体育協会、広島市スポーツ協会、広島商工会議所、広島青年会議所、広島県サッカー協会、サンフレッチェ広島後援会、そしてサンフレッチェ広島の9団体。これら、さまざまな思惑を秘めた団体の意見を取りまとめていたのが、事務局長の今西であった。

「スタッフ会議」「定例会議」「委員会議」など、会議の名称はさまざま。最初の会議は2003年4月21日に行われ、最後は2006年6月8日。それから3年後の2009年10月30日、「サッカースタジアム建設推進プロジェクト会議」なるものが立ち上がっているが、今西は関わっていないので別物と考えて差し支えないだろう。

 このうち、2003年が最も多く会議が開催されており、この年だけで21回。2004年がぐっと減って6回、05年が4回、そして06年は1回となっている。2003年の時点では、8月にオランダやベルギーやイングランドなどの欧州視察を計画している。しかし結果的に国内が中心(豊田スタジアム、神戸ウイングスタジアム、仙台スタジアムなど)、海外は韓国(ソウルW杯スタジアム)のみで終わっている。

 残された議事録から、どのような熱量で新スタジアム建設のビジョンが語られたか、想像するのは難しい。ただし全体を通してみると、どうにも尻すぼみの印象は否めず、当時の今西の苦悩ぶりが目に浮かんでくる。

 ひとつの要因として思い当たるのが、同年の市長選で当選した秋葉の「翻意」だ。

 所信表明では「現在の市民球場を候補地に」と明言したにもかかわらず、サンフレッチェの担当者が期待を胸に市長を訪ねると、秋葉は平然とこう言ったという。「私は、皆さんが(スタジアムを)つくるというなら協力していきましょう、と申し上げたまでです」――。つまり、思い切り「はしごを外された」わけである。

 今西をはじめ、スタジアム推進プロジェクトの当事者たちの失望と狼狽(ろうばい)は、いかばかりであっただろうか。そんな中でも彼らは、多くの議論を重ねながら、新スタジアム建設候補地を5つに絞り込んでいる。列挙すると、以下のとおり。

①広島大学東千代田キャンパス跡地(新設)
②広島スタジアム(改修)
③広島港五日市地区(新設)
④広島広域公園第一球技場(改修)
⑤広島市民球場跡地(新設)

 このうち、最も有力視されていたのが③広島港五日市地区であった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)。宇都宮徹壱ブックライター塾(徹壱塾)塾長。

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