8年前、息子・寺地拳四朗の世界奪取に「今、死んでも、安心して死ねる」と吐露した寺地永会長の親心とは

船橋真二郎

世界奪取を果たした有明コロシアムのリングで寺地拳四朗は真っ先にベルトを父・寺地永会長の腰に巻いた。親子の特別な日 【写真は共同】

 私事だが、2年前に50歳になった。それから折にふれて思い出されたのが寺地拳四朗(BMB、33歳/25勝16KO1敗)の父・寺地永(てらじ・ひさし)会長の言葉だった。

 50(歳)を過ぎたら、いつ死ぬか分からないですから――。

 もう8年前の夏になる。まだ“拳四朗”のリングネームで戦っていた寺地がプロ10戦目、初挑戦でWBC世界ライトフライ級王者となった3カ月後。『ボクシング・マガジン』の取材で京都・宇治のBMBジムを訪ねたときだった。

 2017年5月20日、老練なサウスポーの王者、ガニガン・ロペス(メキシコ)に苦闘を強いられながら、僅差0-2の判定をものにした拳四朗は、まず真っ先に緑のベルトを父の腰に巻いた。

 元東洋太平洋ライトヘビー級王者、元日本ミドル級王者の寺地永が果たせなかったのが世界奪取。大一番の10日前に帝拳ジムで行われた公開練習。志半ばでリングを去った不完全燃焼感を「いまだに引退していない思いがある」と表現した。「拳四朗が世界を獲ってくれたら、引退できる」。そんな父の思いに「僕がベルトを獲って、お父さんに先に掛けてあげたい」と息子は応じ、約束は東京・有明コロシアムで果たされた。

 念願のベルトを腰に巻きながら、両手を上げてみたものの、「実際にリングで巻いて
もらったら、恥ずかしくて」と“引退式”を終えた父は「早く巻いてあげたかった」と、すぐに息子の腰にベルトを巻き直した。

 その差20センチ超。身長189センチで立派な体躯の父、小柄で童顔の息子がリングで繰り広げた3カ月前の親子のシーンを思い返してもらうと、冒頭の言葉に続けて、父としての真情を吐露したのだった。

「これで親としての責任は大体、果たしたと思うんで。今、死んだとしても、安心して死ねます」

 屈託なく笑った寺地会長は当時53歳。それは特別な節目の年齢でもあった。

 始めたきっかけ、ボクシングの傍ら競艇選手を目指していたこと、異色と形容されることも多い寺地の経歴の裏にあったのは、決して異色ではない親心だった。

今の拳四朗の姿は望んだ以上

サンドバル戦に向けた公開練習でベルト2本を肩にポーズをとる寺地と後方で見守る寺地会長。今はこんな距離感?(2025年7月16日) 【写真:船橋真二郎】

 30日に横浜BUNTAIで開催されるトリプル世界戦「U-NEXT BOXING.3」のメインで、WBC2位、WBA3位のリカルド・サンドバル(アメリカ、26歳/26勝18KO2敗)を挑戦者に迎え、寺地がWBC・WBA世界フライ級統一王座の初防衛戦に臨む。

 あれから8年。世界戦通算16勝(11KO)1敗。ライトフライ級で8連続防衛を果たし、2階級制覇、両階級で王座統一も成し遂げた。33歳になり、「(現役は)そんなに長くはない」と終わりも口にするようになってきた。

 だからこそ3階級目のスーパーフライ級も視野に入れ、有終を飾るに相応しい相手、舞台を求めながら、目の前の1戦1戦にこれまで以上の重みを感じている。

 本番2週間前、世界初挑戦の前から寺地が練習拠点にしている東京・練馬の三迫ジムで行われた公開練習で、寺地会長も「そろそろ集大成が近くなってきた」と話した。

 現在の息子への思いは。

「今の拳四朗の姿は望んだ以上です。僕が獲れなかった世界タイトルを息子が代わりに獲ってくれて、それだけでも満足ではあったんですけど。どんどん強くなって、一時は具志堅(用高)さんの防衛記録を目標にして。でも、いろいろなこともあって、ダメになって。それでもまた自分の力を上げてきたんで。もう僕の領域は超えました(笑)」

 躍進を支えたのが加藤健太・三迫ジムトレーナーとの出会いだったことは言うまでもないだろう。

 当初は他のジムの選手で遠慮があった、と加藤トレーナーが振り返ったことがある。前王者のロペスとの再戦となった3度目の防衛戦の前、対サウスポーに苦しみ、調子が上がらない拳四朗に危機感を抱いて、距離をグッと縮めた。

 熱の入った指導、的確なアドバイス、綿密な対策。拳四朗が信頼を寄せるようになるまで時間はかからなかった。6度目の防衛戦からは、ずっとサブセコンドに付いてきた加藤トレーナーが寺地会長に代わってチーフセコンドも任された。

 アマチュアの土台の上にプロで戦う基礎は寺地会長が築いた。今も主武器のジャブ、右カウンターをプロ仕様に磨き直し、自身が現役時代にフィジカルを見てもらっていた篠原茂清トレーナーのもとで体づくりを進めてきた。

「本人が加藤くんを信頼して、うまくいってるところに僕が入り込んで、変になってもかなわんので(笑)。ボクシングに関しては一任して、見守る感じになりました」

 試合が決まってから上京し、ホテル住まいで練習に励んでいた頃は、大荷物と息子を車に積んでハンドルを握り、高速を往復した。

 都内にマンションを購入し、後援者から贈られたマイカーで練習に通うようになってからは、減量が追い込み時期に入る試合の1週間前に東京に来て、慎重を期して息子を送り迎えしている。

 ライトフライ級の終盤は「(減量が厳しく)見ていて、かわいそうなぐらい」と心配な気持ちを明かしたこともある。

「自分自身も経験して、減量が体に及ぼす影響は分かるんで。減量で寿命を縮めてる感はありました。今は全然、違います。試合前の顔が変わりました」

 目標とする3階級制覇。「そこまで行けたら、拳四朗も思い残すことはないと思うんで」。もちろん、「ダメージを残さずに終わること」が父としての何よりの願いだ。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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