青木祐奈、紆余曲折のスケート人生を振り返る 現役続行の理由とは【単独インタビュー】

沢田聡子

「滑走屋」のオファーをもらい、嬉しくて泣いてしまった

大好きだというアイスショー。「ファンタジー・オン・アイス」では友野一希とのコラボレーションも印象的だった 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

――最近活躍しているアイスショーについてお聞きします。「滑走屋」(高橋大輔さんプロデュース)出演の経緯を教えてください。

 最初、中庭先生から「『大輔くんのショーに』というオファーをいただいたよ」と電話をいただいて。外出中だったんですけど、泣いてしまいました。ずっとアイスショーが大好きで、ノービスの時に優勝してから少し出させていただいて、「すごく楽しいな」という感覚をずっと持っていました。ジュニア時代は結果が出なかったので出られず、その中でもやはり「アイスショーに出たいな」という気持ちは消えていませんでした。それをモチベーションに頑張っていたところもあって、お話をいただいてすごく嬉しくて、「全身全霊でやります」とお答えしました。

――高橋さんと一緒に出演して、いろいろ刺激があったのではないですか。

「滑走屋」に2年連続で出演させていただいて、突き詰める姿が印象的でした。30秒のパートを、3時間ぐらいかけて作る。本当に自分が納得するまで徹底するところが、やっぱりプロだなあと。妥協のない、その突き詰め方がすごく勉強になりました。

――「ファンタジー・オン・アイス」では、友野一希選手とのコラボレーションが印象的でした。友野選手は青木選手を尊敬しているそうですが、青木選手から見た友野選手はどんな感じでしたか?

 元々一希くんは個性のある選手で、見ていて楽しい。それは、本当に素晴らしいことだと思っています。一希くんにしか出せないキャラクターがあって、憧れというか「羨ましいな」と思います。

――いつもとは違う友野選手と青木選手を見られましたが、最初は照れたりしませんでしたか?

 一希くんとは「滑走屋」でも一緒に出演していたので、恥ずかしさが一切なくて、割と気にせず思い切り、がっつりやっていました。本当に、相手が一希くんでよかったなと感じていて。「表現の面を大切にする」というスケートに対する考え方が似ていますし、息が合う部分が多いと感じていました。お互いアイデアを出し合いながら、自分たちの中でも一週間で作ったとは思えないくらいのものができたかなと思っていて、すごく楽しかったです。

――「ファンタジー・オン・アイス」では、今までにないダークな印象のソロプログラム『like you're god』(2025年3月「滑走屋」広島公演でも披露)も滑りました。振付をヒップホップのダンサーさんにそうお願いしたということですが、スケーティングは青木さんが振り付けたのでしょうか?

「この部分はこう踊りたい」とダンサーさんに伝え、陸で作っていただいた振りを氷に落とし、滑るコースを考えました。振付は「自分でやろうかな」とも考えたんですけど、ビートがあって重い曲だったので、ダンサーさんにお願いしたら多分かっこいいものができるかなと思いました。今回はそれでたくさんアイデアをいただいて、すごく勉強になりました。

現役続行の原動力は振付師という目標「引き出しを増やしたい」

青木は「全ての演技で感謝を伝えたい」と語る 【スポーツナビ】

――今は、表現の幅を広げることに貪欲な時期でしょうか?

 自分の中で「振りの幅を広げて引き出しを増やしたい」という意志があったから、現役を続けたところがあって。一年を通して自分のものにしたら完全に体に入ってくると思うので、本当に今季は結果ではなく、そちらをメインにやっていきたいなと思います。

――今季のショートは昨季の『アディオス・ノニーノ』(ミーシャ・ジー氏振付)を継続、フリーは7月のアクアカップで披露した新プログラム『ラ・ラ・ランド』ですね。フリーの振付師はアレクサンダー・ジョンソンさんです。

 ジョンソンさんは(宮原)知子ちゃんのエキシビションナンバーや、アメリカの選手のプログラムを振り付けています。カムデン(・プルキネン)選手(アメリカ)のコーチという認識で、インスタグラムでつながっていました。彼があげていた動画を見て「すごく素敵だな」と思って。振付師を探していたところだったので、声をかけてみました。

――ミーシャ・ジーさんとはやりやすい分、そこに甘えてしまうというような発言をしていました。新しい風を入れたいということでしょうか。

 やはりミーシャとはもう5、6年くらい一緒にやらせていただいているので、お互いの感覚もわかりますし、すごくやっていて心地がいいんです。でも新しい刺激が欲しかったので、その勉強をするためにもう一年続けているということもあって、違う方にお願いしようと思いました。動画で拝見したジョンソンさんは自分が今までやってきたものとは違うステップをやっていて、そこにすごく惹かれてお願いしました。「誰でもいいから、新しいものを」みたいな、本当にその一心でした。

――今シーズンに向かう姿勢は、いい感じで肩の力が抜けていますね。

 そうですね。もう本当に、結果は正直望んでなくて。もちろんやっていく中で結果がついてきたら嬉しいですし、すごくありがたいことですけど、自分が表現したいものを表現して、とにかくいい作品を作り上げて披露したいという気持ちが一番強いです。結果にこだわって、ガチガチになって試合を楽しめなかったらちょっともったいないので、今シーズンは楽しくできたらいいと思っています。

――一般的には、今季はオリンピックシーズンです。メディアはそういう見方をしてしまいますが、青木さんご自身はどのように臨みますか?

「オリンピックシーズン」だとは、正直1ミリも考えていなくて。多分選手の皆さんは注目されて頑張っていくと思うのですが、たとえば全日本選手権でみんなオリンピックに向かっていく中で、「自分がちょっと会場を和ますような存在になれればいいかな」と。ちょっと肩の力を抜いていただけるような、楽しんでもらえたら嬉しいな、という気持ちも込めて、(フリーに)『ラ・ラ・ランド』を選びました。

――素敵な空気が流れそうですが、そういう時は好成績も出るような気もしますね。ジャンプの調子はどうですか?

 6月末に一度捻挫してしまって、7月の試合はちょっと構成を落としてやっていたんですけど、今は調子が戻っているので、このままやっていきたいなと思っています。やっぱり、ジャンプが入らないと曲が間に合わない。曲調的にも、失敗するとちょっとダメージがきついので(笑)。クラシックだとあまり気にならないのですが、『ラ・ラ・ランド』だと「もう間に合わない」みたいな感じになってしまうので、ジャンプは作品の一部だと思って、しっかり決めていきたいと思っています。

――青木選手を小さいころからずっと見ているファンの方へメッセージを。

 本当に“山あり谷あり”の選手なので、その中でも常に応援してくださる方もいて、本当に感謝しかないです。試合会場に行ってバナーが一つでも見えると、「自分の味方がいるんだな」と心強いです。そのファンの方々にも楽しんでいただけるようなプログラムを目指して、とにかく全ての演技で感謝を伝えたいと思います。

青木祐奈(あおき・ゆな)

2002年1月10日生まれ。神奈川県出身。MFアカデミー所属。5歳でスケートを始め、6歳で羽生結弦さんらを育てた都築章一郎コーチに師事。3回転ルッツ-3回転ループを武器に、12歳で全日本ノービス選手権優勝。しかし中学2年生の時、ジュニアデビューシーズンを前に腰椎分離症を発症、その後は結果が出ない苦しさを味わう。高校3年生の夏には左足首を骨折。ショート最下位でフリーに進めなかった2021年全日本選手権を機にMFアカデミーに移籍、中庭健介コーチに師事する。以降少しずつ調子を上げ、昨季はNHK杯で銅メダルを獲得、遂にグランプリシリーズで表彰台に立った。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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