「八村塁二世」が挫折を乗り越えて代表デビュー 山﨑一渉の課題と可能性

大島和人

山﨑一渉が6月から代表の活動に参加している 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 2023年の夏、男子バスケの日本代表はワールドカップ(W杯)で旋風を巻き起こした。2024年の夏は、パリ五輪で世界の壁に跳ね返された。そんな2年に比べると、ホーバスジャパンにとって2025年の夏は静かな日々かもしれない。

 しかしチームは未来に向けた大切な活動をしている。8月5日には、FIBA男子アジアカップが開幕する。「54年ぶりのアジア制覇」は大切な目標で、その先には2027年のW杯と28年のロサンゼルス五輪がある。

 日本代表は合宿を重ねて人材の発掘、スタイルの習得に取り組んだ。7月はオランダ、韓国、デンマークとの強化試合が2試合ずつ組まれ、新戦力も試された。

山﨑が怪我を乗り越え代表デビュー

 今回の日本代表には八村塁、渡邊雄太、富樫勇樹といったビッグネームが不在。NBAのサマーリーグに挑戦した富永啓生、馬場雄大、河村勇輝も7月の強化試合に参加していない。日本は韓国に連敗し、デンマーク戦も19日が69-64、20日は69-63の辛勝。アジアカップに向けて課題が少なからず残る6試合だったことは間違いない。

 一方でアメリカの大学でプレーする選手が6月のディベロップメントキャンプ(若手中心の強化合宿)から多く招集された。NCAAのシーズン中に彼らを日本に呼ぶのは難しいため、お互いにとって貴重なチャンスとなる。

 オランダ戦の登録メンバーにはジェイコブス晶(21歳/フォーダム大)、山﨑一渉(22歳/ノーザン・コロラド大)、川島悠翔(20歳/シアトル大)の3名が残った。彼らはいずれも身長2メートル台ながら、スモールフォワード(SF)やシューティングガード(SG)としてもプレーできるオールラウンダー。日本の未来を担う人材と言っていい。

 山﨑にとっては7月6日のオランダ戦が代表デビュー戦。大きな挫折を乗り越えた末に与えられたチャンスだった。

 19日の第1戦では10分13秒の出場で5点を決めている。翌日の第2戦は第1クォーターの早いタイミングでコートに立ったものの3Pシュート、ドライブからのレイアップをいずれも決めきれず、8分28秒の出場で無得点だった。まだ課題はあるのだが、候補同士の競争を突破し、代表としての一歩目を踏み出したことは大いに喜んでいい。

 19日の試合後、山﨑はこう語っていた。

「アメリカの大学に行って上手く行かないことや怪我があり、悩んだ時期が長かったです。応援してくださる方々に背中を押されて、ずっと頑張ってこられた結果で、今ここにいます。ここに来るまで別にDFが得意だとはあまり感じなかったのですが、やってみて身体の強さを活かせていて、そこはアメリカでやっていたからこそだと思います」

頂点と挫折

千葉ジェッツU15でプレーしていた山﨑。表情にあどけなさが残る 【(C)B.LEAGUE】

 山﨑の存在が我々に知れたのは2018年夏。彼の在籍していた松戸市立第一中は関東大会で海老名市立大谷中に敗れ、全中(全国中学生大会)出場を逃した。しかし山﨑はチームが73-74と敗れた中で67点を決めた。そのプレーぶりが動画サイトなどから拡散される中で、強烈な才能の存在が広まった。

 同年の9月上旬に、筆者はそのプレーを生で見ることになった。宇都宮ブレックスと千葉ジェッツのプレシーズンゲームを取材しに行ったところ、たまたまU15の試合が前座で組まれていた。千葉に190センチ以上ある選手がいて、第1クォーターだけで3Pシュートを2本、3本と決めている。それが山﨑だった。

 彼は部活を引退した後、千葉ジェッツの育成組織でプレーをしていた。実際にプレーを見ると高さやパワーより「動きとスキル」が印象的で、本人も「インサイドのプレーが課題」と語っていた。

 高校は名門・仙台大学附属明成に入学し、2年時にウインターカップ制覇も経験。決勝の東山戦では残り5秒で試合を決定づけるシュートも決めた。

明成高でもエースとして活躍した 【写真は共同】

 当人たちには迷惑かもしれないが、山﨑には「八村塁二世」の称号がついて回る。アフリカ系の父を持ち、明成では故・佐藤久夫コーチの薫陶を受けた。卒業後もNCAA1部に進学している(※今季はラドフォード大からノーザン・コロラド大に編入)

 しかし山﨑は2023年7月に、右膝の前十字靭帯断裂という重傷を負い、飛躍を期した留学2シーズン目を棒に振った。3年生として迎えた2024−25シーズンは出場時間を21.1分と1年時から大きく伸ばし、5.9得点を記録(いずれも1試合平均)。3Pシュートの成功率も36.8%と良好だった。

 彼は挫折を乗り越え、今回代表活動に臨む経緯をこう述べる。

「すごく苦しかったです、1年目はレベルの高さに苦しみ、自分の中でも全然でした。これからというときに怪我をして、でも3年目は戻ってきていいシーズンを送れました。高校時代も苦しかったし、大学に行っても思うようにいかなかったりした中で、それを乗り越えた先の成功も経験しています。そういうチャレンジが来たときこそ『乗り越えてやる』という気持ちを持っています」

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、バレーボール、五輪種目と幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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