中村憲剛が期待するE-1選手権、注目の新戦力 「どうしても意識する」後輩選手とは?
東アジアの大会はチームの転換期になりやすい
思わず、苦笑いをする。
7月4日、川崎市内の事務所の一室。中村憲剛は、かつてサッカー日本代表の一員として出場した東アジア選手権について、ゆっくりと振り返りだした。
初出場は2008年2月、中国・重慶での大会だった。
夏に北京五輪を控え、スポーツでの国威高揚を図っていた開催国は、いつにも増して激しく岡田ジャパンに襲い掛かってきた。
「激しい、では片付かないレベルの接触プレーがありましたよね。判定も微妙なものが少なくなかったりして…本当に大変でした」
語るうちに、記憶はより鮮明さを増していく。
静かにうなずきながら、ぽつりと言う。
「この大会というのは、やっぱり特別かもしれませんね。いろいろな意味で」
中村は中盤の底から、相手の浅い最終ライン後方に左足でロングパスを放った。
反応した安田理大の走る先に、はかったようにボールが跳ねていく。
GKとの1対1。これは決まったか…。前線に走りつつ、帰結を見つめる。
次の瞬間。目を疑うような出来事が起きた。
空中でGKと交錯した安田が、文字通り吹き飛んだ。
すれ違いざま、突き刺すような飛び蹴りを腹部に見舞われていた。
担架で運びだされ、そのまま病院送りとなった。見たこともないラフプレーだったが、相手はイエローカードのみで済んでいた。
◇
「終盤にはケイタ(鈴木啓太)が、相手選手からのど輪を食らった場面なんかもありましたよね」
スタンドでは、発煙筒に点火をした観客が取り押さえられたりもしていた。
異様な雰囲気の中、試合は何とか終わった。
「1-0で勝ちはしましたけど、ピッチの状態など環境面も含めて、相手のいろんな圧力と戦わなければいけなかった」
加えて、日本代表自体が難しさを抱えていた時期でもあった。
2007年の年末にイビチャ・オシム監督が脳梗塞で倒れ、急きょ岡田武史監督が就任した。
「岡田さんもどこまで自分の色を出していいか、迷われていたんじゃないかと思います」
これなら世界を驚かせることができるーー。そんな期待が高まっていた日本代表を引き継ぐのは、誰であっても難しかった。
「『接近・展開・連続』というスローガンができて、その攻撃の構築に大木武コーチを新たに招聘されていました。こうやって思い返すと、短い期間で何とかオシムさんがいなくなった穴を埋めようと、本当に苦心されていたと感じます」
東アジア選手権は1勝2分けの2位に終わった。
岡田監督は、それを機にチームの色をがらりと変えた。中村憲剛と鈴木啓太がメインだったボランチには、遠藤保仁と長谷部誠が起用されるようになった。
「きっと、そういうチームとしての転換期になりやすい大会なんですよね。位置づけ的に。東アジアの大会だから、やっぱり優勝という結果はいつも求められてしまう。一方で東アジアの大会だから、ちゃんと新戦力の発掘もしましょうともなる」
相反する2つのノルマを課されて、満点の回答を出すのは非常に難しい。
加えて、中国戦のように状況が味方しない試合も多くなりがちでもある。
「この大会に臨む監督の方たちは、いつも大変だと思います。それから、選手としても難しいところもあります。僕としては、2013年大会も忘れられない」
中村憲剛は2008年大会に続き、東京で開催された2010年大会にも出場している。だが、2013年大会の代表メンバーに、その名前は残っていないのだ。
「そうですね。辞退させてもらったんですよ」
ザッケローニ監督が率いた当時の日本代表は、2011年のアジア杯で優勝。
それで得た権利で、FIFAコンフェデレーションズ杯2013に出場することになった。
W杯のプレ大会という位置づけ。会場も2014年W杯の開催地であるブラジルだった。
ブラジル、イタリア、メキシコと、各大陸の王者と戦える絶好の機会。そこに中村憲剛も代表メンバーの一員として招集された。
「だから、その1か月後の東アジア杯は辞退させていただいたんです。コンフェデの前にW杯予選も戦っていたので、コンフェデと合わせると1ヶ月以上活動していました。心身共にきつかったというのもありましたし、そこから東アジア杯にとなると大会的にも移動的にも負荷が大きいし、クラブを離れる時間も長くなってしまうし」
だが、ここでも東アジアの大会が、チームの転換点になった。
3戦全敗に終わったコンフェデ出場勢に代わって出た若手選手が、代表定着の足掛かりを得たのだ。
「ホタル(山口蛍)やトシ(青山敏弘)、ヨウイチロウ(柿谷曜一朗)たちが呼ばれて、日本を大会初優勝に導いて。それがきっかけになってチームに定着し、ブラジルW杯まで彼らは行った。一方で、僕はあのコンフェデを機に、代表に呼ばれなくなりました」
「辞退せずにあの大会に出ていたら。それは今も思ったりします。いずれにしても、この大会はいつだって絶妙な時期に開催されるんですよね。チームが変わった直後だったり、W杯へ向けて新顔を試す最後の機会になったり」