「筋トレやるぐらいだったら引退する」「賞金で老後資金」――独特すぎる“脱力系”テニスプレーヤー、初の四大大会デビューへ

秋山英宏

現代テニスの潮流に背を向け、独特のスタイルを貫く伊藤あおいがウィンブルドンの舞台でどこまで通用するのか注目だ 【Photo by Robert Prange/Getty Images】

昨年、突如として現れた奇才

 6月30日開幕のウィンブルドンで、21歳の伊藤あおいが四大大会デビューを果たす。6月23日付世界ランキング109位。最初に発表された出場選手リストでは本戦枠に届かなかったが、欠場する選手が出て繰り上がった。

 昨年10月の木下グループジャパンオープン女子で、予選を突破、WTAツアー本戦初出場ながら4強入りして注目された。1回戦では元世界ランク4位で2020年全豪オープン優勝のソフィア・ケニン(アメリカ)を破っている。今年1月の全豪で四大大会の予選初出場を果たしたが、初戦で石井さやかとの日本勢対決に敗れた。次の全仏も予選敗退。しかし、ランキングで好位置をキープしたことで、ウィンブルドンの本戦出場を勝ち取った。

 昨秋までは、熱心なテニスファンでもその名前を知る人は少なかったと思われる。18歳以下で争うジュニア部門では国内外のビッグタイトルは持っていない。年代ごとの国別対抗戦での日本代表歴もない。本人いわく「小学校中学校のころは全国大会に出られないレベル」だった。しかし、実力を蓄え、昨秋のジャパンオープンでの活躍で認知度も急上昇。“独特すぎる”プレースタイルはテニスファンの間で話題になった。

「摩訶不思議なプレーをするらしい」「どうやって全豪女王に勝ったのだろう?」――そんな関心から、このころ、インターネットの動画で伊藤のプレーをチェックしたファンも少なくなかったようだ。

絶滅危惧種の変則系技巧派

 どこが独特なのか。世界のテニスはスピード化、フィジカル化の一途をたどるが、伊藤は絶滅危惧種とも言える技巧派だ。変則派、脱力系と言ったほうが実際のプレーに近い。フォアハンドでは、力を入れて叩くトップスピン系をあまり使わない。多用するのはボールに逆回転を与え、ラリーのペースを変える「スライス」。速球ならぬ遅球だ。一方で、すばやくネットにつく速攻も見せる。その緩急に加え、配球するコースやショット選択に意外性がある。これで相手はリズムを狂わせ、やがては本来の自分のプレーを見失ってイライラを募らせる。

 動画を見たファンは「こんな選手がいたのか!」「天才か!」「全然やる気なさそうなのになぜか勝っている!」と盛り上がった。関心を持ったのはファンだけではない。女子ツアーを運営するWTAは、上記大会の会期中にウェブサイトで伊藤を紹介した。

〈イトウはかなり常識外のやり方で勝利を収めてきた。さりげないフォアハンドスライス、忍び寄るようなネットダッシュ、さらに相手を不意打ちする緩急やコースの変化、これらを型破りに組み合わせる〉

「常識外」「不意打ち」「型破り」――こんな文言が、伊藤の斬新なプレースタイルへの関心を物語る。後日、WTAのウェブサイトは伊藤のインタビュー記事も掲載した。新しい選手の台頭、しかもユニークなスタイルを持った若手の活躍に、ツアーを運営する側も好感を持ったのだろう。余談だが、四大大会やオリンピックなどを統括する国際テニス連盟の広報担当者も、突然表舞台に現れた伊藤に興味を持ったらしく、日本テニス協会の職員に「イトウって誰なの?」と聞いてきたという。
 
 代名詞とも言えるフォアハンドスライスについて、伊藤は昨年、こんな話をしている。

「普通のフォアハンドが本当にひどいレベルで。言い方悪いですけど“カスい”ので、スライスでも使わないと普通に一方的に打たれて終わっちゃうので、ミスってくれることを期待しながら、スライス打ってます。どう見ても相対的に(相手の選手に)完全に負けていて、スピードも深さも、たぶん、ボールの重さとかも全部負けているので。昔からそうなんですけど、普通にひどいかなっていう。私の中では全力なんですけど」

 “カスい”とは、強度が足りない、というような意味だろう。全力で打っても強度が出ない。ならば、フィジカルを鍛え、少しでも強度を出そうと考えるのが標準的な選手だろう。しかし、「筋トレやるぐらいだったら、引退選んでます」という伊藤に、その選択肢はない。その代わりに戦術面、つまりショットの選択やその組み立てで強度不足を補うのだ。

「ミスってくれることを期待して」というのは確かにその通りだろうが、腹の中では「相手が嫌がること」をしようとも思っている。昨年のある大会の記者会見で、伊藤にこんな質問を投げた。

――男子の西岡良仁選手は相手に嫌がられるテニスを自覚しながらやっているそうですが、伊藤さんはそこを意識していますか?

 質問が終わらないうちに「もちろんです」という答えが返ってきた。

「それがないと私じゃないので、全力で嫌がらせだけはしていこうかなって思っています。もし負けたとしても、相手の嫌な心に残るプレーを心がけています」

 全力で嫌がらせ――伊藤のスタイルをワンフレーズで言い表すならこれがぴったりかもしれない。

 私がたまたま引き合いに出した西岡も、ジャパンオープン女子での伊藤の活躍に、X(旧ツイッター)で反応した。

〈ひっそりと応援してたけどこのレベルで勝ち上がってるの凄い。何かの試合をYouTubeで観てから1番面白いから応援してたけどツアーで沢山勝って賞金稼いで欲しい笑絶対このプレースタイルのままやり抜いて欲しい〉(※原文ママ)

 女子ツアー以上にパワー化が目立つ男子ツアーで、その波に必死であらがう西岡からのエールである。

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著者プロフィール

テニスライターとして雑誌、新聞、通信社で執筆。国内外の大会を現地で取材する。四大大会初取材は1989年ウィンブルドン。『頂点への道』(文藝春秋)は錦織圭との共著。日本テニス協会の委嘱で広報部副部長を務める。

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