畑山隆則に引き分けで涙をのんだリック吉村の“秘蔵っ子” 大畑親子とともに再び世界を目指す

船橋真二郎

父・大畑秀昭さんの願い

ボディプロテクターをつけ、ミットを構えるリック会長にパンチを打ち込む大畑 【写真:船橋真二郎】

 2013年のある日、秀昭さんが引退後、長年務めた古巣のトレーナーを離れた頃のことだった。自宅近くの多摩川沿いをランニングしていると向かいから自転車でやってくる懐かしい顔と行き会った。

「ボクシングをやりたい」。息子が相談してきたのは、何年ぶりかで会ったリックさんにジムを開くと聞いた直後だったという。

 れんだ(=連打)と名付けたとおり、父の願いはひとつだった。ただし、本人の意思と関係なく、押しつけるようなことだけはしないと心に決めていた。

 それでも、小躍りしたくなるほどの気持ちを抑え、「やるからには何を目指すんだ?どうなりたいんだ?」と尋ねた。その答えは秀昭さんをもっと喜ばせた。

「チャンピオンになる」

 1970年代初頭、ニューヨークのベッドルームで憧れのモハメド・アリになりきって、ジャブを繰り出す少年がいた。

「そのときから絶対に世界チャンピオンになりたかった」

 リックさん本人の記憶によると連汰と同じ「6歳か、7歳の頃」。もちろん、そのことを秀昭さんは知っていた。

「私がボクシングを続けられたのは、石川ジムでリックさんと会ったから」

 ネバー・ギブアップが信条のリックさんを通して、また秀昭さん自身が身をもって、目標を持って諦めずに頑張る大切さを経験したからこそ、幼い息子から引き出した答えだった。

リック吉村を追いかけて

 子どもの頃から『あしたのジョー』が好きだった秀昭さん。ボクシングを始めたのは22歳のときだった。「体が弱くて、根性なしで」。なかなか一歩踏み出せなかったが、当時は昭島にあった石川ジム(現在は立川)に通い始めた兄に背中を押された。

 青森・三沢基地勤務で八戸帝拳ジム所属の前日本スーパーライト級王者、リック吉村が横田基地に転属され、移籍してきたのはちょうどその頃。おごったところがまったくなく、ジムの誰よりも練習に打ち込む一方で、後輩や練習生たちと一緒になって掃除をする人間性にひきつけられた。

 それから1年ほどで1度は日本ライト級王者に返り咲いたが、初防衛戦でデビュー以来12戦全勝10KOの新鋭・坂本博之に9回KO負けを喫して再び王座陥落。ここで八戸帝拳ジム時代から痛みを抱えてきた右肩にメスを入れた。

 練習に復帰してきたのは手術の数日後。10カ月のブランクで再起。さらに2カ月後には坂本が返上した王座を奪還した。

 諦めたら終わり――。その後も何年にもわたって示し続けることになる真摯な姿勢とたゆまぬ努力。それを間近で見てきた秀昭さんがリングに立つのは25歳、リック吉村の3度目の防衛戦の前座だった。

「リックさんが頑張って、頑張って、結果につながるところを見せてくれたんで。私も頑張って、頑張って、プロの試合に勝てました。家族や友だちからは、絶対に無理だ、やめとけ、と言われてきた私が」

 セコンドのひとりとして畑山戦をサポートし、リングサイドで見守っていた秀昭さんは言う。ただチャンスを待ち続けて22度の防衛を重ねたわけではない。決して腐らずに練習から試合までの日々を1戦1戦、しっかり生きたからこその世界戦実現だった、と。

「リックさんがジムを開くまで何年かかったか。その間は会ってないですけど、プロ化して、チャンピオンを育てる目標を持って、絶対にやることをやってきてるんですよ、リック吉村なら。プロ加盟で大勢の方にクラウドファンディングに協力いただけたのもそうです。だから、もう1回、世界に行くところを見せてくれると思うんです。それが連汰であってほしいんですけど」

小学1年生の頃に手合わせした因縁の相手

プロデビュー戦勝利後に3人で笑顔。次は新人王獲得に向けた戦いが始まる(2024年11月24日) 【写真:船橋真二郎】

 秀昭さんとの再会は、リック会長にとっても長年の願いを叶える嬉しい出来事だったという。

「多分、大畑さんの最後の試合(6回戦)。ダウンして、ストップで負けた。そしたら(拳を叩きつけるしぐさをして)リングにガン!ガン!って。ワタシがジムをやるときは大畑さんにトレーナーになってほしいと思いました。あのハートが好きだった」

 秀昭さんは「リックさんがボクシングのお父さん」と息子を全面的に預けてきたが、受け継がれているものがある。リック会長が振り返るのは、大畑がまだ8歳の頃のことである。

 別のジムに出稽古に行って、途中でスパーリングを止められたときだった。ふと涙を浮かべる幼い大畑に優しく尋ねた。

「どうして泣いてるの?れんだ君は言いました。僕はもっとできるのに……。打たれて痛かったからじゃないです。悔しくて。それはほんとにいいことですね。だから、また頑張る。ワタシと同じ。サカモトに負けて、悔しい!負けず嫌い(笑)。とても大事」

 大畑は「ボクサーとしてのスピリットはリックさんに教わった」と言う。

「例えば、練習で疲れてきたとき、スパーで負けそうなときは、ネバー・ギブアップ!ここでもう一歩、ガンバレ!とか。気持ちで負けないことをいつも教わってきたので」

 プロデビューにはこんな経緯があった。高校2年生のJCL全国大会は準優勝。2連覇を飾ってデビューするつもりが果たせなかった。負けたままでは悔しいと再チャレンジを決めた。が、台風で3週間ほど延期された翌年も再び準優勝に終わる。

 いずれも相手はジュニアの育成に定評のある兵庫・森岡ジムの選手。すでに築山陽向は昨年4月にプロデビューし、髙橋侑真は今年3月にプロテストに合格。いつか戦うことがあったらと負けた悔しさをバネにしてきた。

 実は次の相手の関優多とも因縁がある。大畑がボクシングを始めた小学1年生の頃、元石川ジムトレーナーの田野良夫さんが開いたTANOジムに出稽古に行き、手合わせをしたのが2学年上の関だったと秀昭さんが教えてくれた。

「連汰の初の出稽古の相手です。まだ体の大きさが全然違うから、向こうは軽くやってくれたんでしょうけど、何もできなくて。ここで戦うのはドラマチックだな、と思うし、試される相手です」

 リック会長は「いい相手。タフファイトになるけど、勝ってほしい」と期待を込め、自身の道のりを想起させる心構えを語った。

「(新人王の)決勝戦のことも考えるけど、大事なのは次の試合。ちゃんとランニングして、練習して。で、終わったら、また次の試合。毎回の試合で勉強して、次はもっといい試合、もっといいボクシングをする。長い目標は世界。でも、一番大事なのは次。その繰り返し」

 3人の挑戦はまだ始まったばかり――。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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