樋口新葉が世界選手権で得た充実感「今までとは全然感覚が違った」 自分を大事にして臨む、3度目の五輪シーズン

沢田聡子

変化を受け入れながら進んだ2024-25シーズンを振り返る樋口新葉 【スポーツナビ】

 13歳のジュニアスケーターだった樋口新葉が2014年の全日本選手権で銅メダルを獲得してから、10年あまりの年月が経った。わずかに及ばなかった2018年平昌五輪代表選考を経て、2022年の北京五輪では個人4位・団体2位と好結果を残した。翌シーズンは右脚の疲労骨折もあり1試合のみの出場となったが、昨季から競技会に復帰。そして2024-25シーズン、世界の舞台でトップクラスに食い込む成績を残して復活を遂げた樋口に、3度目となる五輪シーズンにどんな思いで臨むのか、話を聞いた。(取材:2025年6月9日)

目標を決めて滑ることができた2024-25シーズン

――2024-25シーズンはグランプリ(GP)シリーズ(スケートアメリカ)初優勝、全日本選手権3位、世界選手権6位と好成績を残しました。どのように振り返りますか?

 シニアに上がって10年ぐらい戦い続けていた中で、初めてグランプリで優勝できたのは、すごく嬉しいことでした。前よりも点数が低い部分もあったと思うのですが、その中でも以前とは違った良さを出しながら、結果を残すことができた。変化を受け入れながら進んでいる感じがして、すごく収穫というか、いい部分だったのかなと。

 復帰してから、全日本選手権で表彰台に上ったり世界選手権に行ったりすることは、簡単なことではないと思っていました。でもそれを目標にしながらしっかり進んできて、結果として残すことができたので、そこが一番良かったなと思う部分です。

――「以前とは違った良さ」は、自分ではどういうところだと思いますか?

 以前はジャンプなどのエレメンツにすごく力を入れていました。でも今は本当にいろいろな経験をして、演技に感情を乗せたり、その時の気持ちを表現したりする面白さに気づけたことが、以前との違いかなと思います。

――最近、北京五輪代表選考会だった2021年の全日本選手権を動画で見たのですが、現在の方がスケーティングのスピードが上がっている印象がありました。ご自身でもそうした感触はありますか?

 いえ、自分の中では「やっぱり復帰してから落ちてしまっているな」と思う部分も少しありました。そこを取り戻すという意味で練習をしていたので、それが結果として出たのかなとは思います。自分の感覚も大事ですけど、採点競技ですから観る人の感覚がすごく大事だと思うので、そう言っていただけるのはすごく嬉しいです。

――今季のフリーは、振付を担当したシェイ=リーン・ボーンさんが提案した「迷いがあっても、表現者として信じるものを伝えていく」というテーマだったそうですね。世界選手権での演技もエモーショナルで、樋口選手にとって心を乗せやすいプログラムだったように見えました。

 いつも、自分がどういうふうに進んでいけばいいか分からないことが多いんです。毎シーズン最後のシーズンになるかもしれないという覚悟でいますが、「なかなか使いたい曲がないな」と思っていた中で、(ボーン氏に)提案をしてもらいました。確かにそのイメージで滑るのがいいと思いましたし、本当にその時の感情のまま、毎試合違う思いで滑ることができていました。歌詞の意味も調べて、自分なりの解釈で理解して。それを今までの人生と重ね合わせて、「どう表現しようかな」とすごく考えました。シーズンを通して、自分が貫きたい目標を決めて滑ることができたんじゃないかなと思います。

――シェイ=リーン・ボーンさんとは、内面の話もしながらプログラムを作るのでしょうか。

 目標やスケートに対する思いなど、今考えていることを話しながら作ります。シェイ=リーンには、体調や生活などプライベートの話をするときもあります。「こういう目標、テーマで滑りたい」と言うこともありますし、「こういう曲はどうか」と提案してもらいながら作っていくことが多いです。

選択肢を多く持つことの必要性に気づく

世界選手権のフリー演技後の樋口。「自信を持って思い切り滑れたのは初めて」と語る 【Photo by Tim Clayton/Corbis via Getty Images】

――五輪出場枠がかかった世界選手権については、過去に辛い経験もあったと思います。今季の世界選手権ではやり切ったという思いが表情にも表れていましたが、自信になりましたか?

 ここまでいろいろな過去があった中で、自信を持って思い切り滑れた世界選手権というのは初めてでした。計画的に物事を進めていく方なので、今まではちょっと計画通りにいかないことがあったとき、対応し切れない部分がありました。でも今回は、そういうことがあっても受け入れて「じゃあ次はどうしたらいいのか」と考えることができたんです。たくさん選択肢を持った中で自分が一番いいと思う選択をして、目標を決めてそこに進み、最後まで試合をやり切ることができていたと思います。

 世界選手権だけではなく、今シーズン・昨シーズンはそれがずっと継続してできていたと思います。GPファイナル出場も直前に決まったりすると思うのですが、出られた場合・出られなかった場合の計画を、いくつか選択肢の中に入れておく。以前はどうしても一つのことだけ考えて、それ以外の選択肢をなくしてしまう傾向があったので、「そうじゃないんだな」と今になってすごく思っています。

――今季の世界選手権のフリーを拝見して、その演技だけで十分に復帰された意味があったと感じました。

 復帰シーズンは「やっても、やってもできない」みたいな感じでした。結果も出ないですし、覚悟はしていたんですけど、あまりにもうまくいかなかった感じがあって。ただ「それじゃ終われないな」とも思ったので、今季はずっと続けてきました。

 世界選手権のショートとフリーは、本当にすごく出し切れました。最後の試合だと思っていたので、自分の気持ちも、見えたものも、今までの試合とは全然感覚が違ったので。すごく落ち着いていた感じがしました。

――世界選手権を戦い終えた後、「自分に矢印が向けられるようになった」と発言されたそうですが、その言葉の真意をお聞かせください。

 自分の方向性が大事なのに、周りに振り回されていました。「周りがこうしているから、自分はこうした方がいいのかな」という、自分じゃなくて先に他の人が来てしまうのが小さい時からの癖で。そこは、まだ今も直りきらない部分でもあります。でも休養を挟んで復帰してからはすごくしんどい時期が続いていたので、まず自分のことを考えられるように頑張りました。

――今、その“しんどさ”は少し和らいだのでしょうか。

 しんどさにもいろいろあるんですけど、北京オリンピックの後は怪我もありましたし、メンタル的にもすごく辛かったです。もう何もしたくないというか、自分がどうしたらいいのか、何がしたいのか分からないという時期が続いていたので。今はその時よりは、来シーズンのことを考えられているだけ、まだましかなと思います。

 ジュニア時代やシニアに上がったころに比べたら、やっぱりメンタルの維持の仕方がすごく難しくなってきています。技術的には、もう現在よりも上げる、大きく変化するということは特に考えていません。メンタルによって練習や試合の感覚もすごく変わってきますし、目標すらもずれてきてしまう部分もある。自分の気持ちを大事にできると、思うように進めるのかなと思います。

――フィギュアスケーター、特に女子は選手生命が短いと以前から言われていましたが、近年は20代の女子スケーターも活躍している印象がありますし、経験が競技に生かせる部分もあるように思います。

 やっぱりジュニアのころは分からないことがたくさんあって、それを誰も教えてくれなかった。自分の経験の中でしか次に生かせない部分があるので、そういう経験をしていたからこそ、次の世代の人たちが少しでも悩まなくていいような環境が作れると、もっと上のレベルを目指せるのかなと思います。

――経験を生かした滑りもベテランならではの魅力ですが、そういう楽しさも感じていますか?

 もちろんこだわることも大事なのですが、こだわりすぎずに。「自分が一番気持ちよく滑るためにはどうしたらいいのか」と考えたときに、その材料として「失敗しない」とか「勝つこと」が入ってくるので、まず自分がやりたいことを大事にするようになりました。

――来季はオリンピックシーズンです。オリンピックについては明言していませんでしたが、今はどういうお気持ちですか?

 今季が終わって、すごくやり切ったなと思いました。悔しい失敗もあったのに、「ここまでやれたな」と思えた試合が、本当に初めてで。ただ、せっかく獲った五輪出場枠ですし、来シーズンも続けると決めたので、やるからにはやっぱりそこを目指したいというのはあります。

 たださっきも言ったように、どうなっても自分の人生がうまくいくように、選択肢をたくさん持っておく必要があるので。自分は今まで「スケートだけ、それしかない」と思っていたのですが、実はスケーターではない人生の方が長い。その中で自分がすごく大事にしているものがスケートだから、そこを考えたときに「どうしたいか」ということが出てくる。もし自分がスケートで来季うまくいかなくても、「そこで終わりではない」ということをもう一回気持ちの中に入れながら、何かを選択できるといいなとは思っています。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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