“ミスターウルフドッグス”の幸せなバレー人生 痛みに苦しんだラストシーズンも「何ひとつ、後悔なんてない」
第3セットから出場した忘れられない試合
そろそろ、限界かな。
最後の1年になるかもしれない覚悟を抱き、今できる最善の治療とリハビリをして臨んだラストシーズン。決して後ろ向きではなく前向きに、引退を受け入れられることができた、忘れられない試合もある。昨年12月1日、ホームアリーナのエントリオで行われた東京グレートベアーズ戦だ。
2セットを東京に連取された第3セット、スタートから近が投入された。何が求められているのか。何を果たすべきか。自らの役割を全うした結果、フルセットで勝利を収めた直後、バルドヴィン監督に言われたひと言が、何より嬉しかった、と振り返る。
「『Thank you』って。自分が出てやろうとか、こんなことをやってやろうという野心なんてまるでなくて、とにかくチームのために何ができるかしか考えていなかったから、ヴァレさんにそう言われて、すごく嬉しくて。その後も少しずつ出場機会をもらえて、そのたび(マネージャーの)シゲ(重村健太)さんも『お前のワンタッチ、期待されてるぞ。がんばれ』とか言ってくれるので乗せられて(笑)。でも大げさじゃなく、あの(東京戦)試合からは、たとえこの試合でケガをしてもいい。これが最後の試合になってもいい、と心から思っていました。結果、最後に大きなケガをしてしまって、本来ミドルではない山崎(彰都)やリヴァン(ヌルムルキ)には迷惑をかけて申し訳ない気持ちはありましたけど、彼らもそこに不満を持たずチームのためにと献身的に役割を果たしてくれた。だからみんなが『やろうぜ』と思える本当にいいチームになれたし、今までを振り返っても最高だと思えるチームでした。その中で現役生活を終えられる。何ひとつ、後悔なんてないですよ」
「納得いくまでやり切れた僕は、本当に幸せでした」
「天皇杯で駿台(学園)と対戦したときもそう。普通はハイセットを打つだろ、というところでリバウンドを取って、ファーサイドに飛ばしたところから機動力を活かして打ってくる。これ、本当に高校生か?と思いましたよ(笑)」
学生時代からハイレベルなバレーを学び、世界各国のトップ選手たちも日本でプレーする。かつては考えられなかった現実が当たり前となった今、「(入団)当時の自分たちが今の時代に入ってくる若手選手だったら、200%試合に出られなかった」と言うのも決して誇張ではない。
だからこそ、これからの世代に期待を寄せるとともに、懸念も抱く。
「僕がそうだったように、実績がない選手も我慢して使い続けて育ててもらう、という時代ではなく、移籍も活発になって、実績のある選手を獲ってくる時代になった。若い選手の目線で見ればなかなかチャンスは来ない。そういう状況でも何とかやっていけよという期待もあるけれど、素直に、これからもっと頑張らないといけないんだぞ、とも思う。どちらがいいと比べることはできないですけど、チャンスをもらえて、納得いくまでやり切れた僕は、本当に幸せでした」
2年目のSVリーグに向け、新たなシーズンが始まった。ユニフォームを脱いだ“ミスターウルフドッグス”も愛すべきバレーボールとともに、歩み続けて行く。
1人でも多くの選手が、「やりきった」と最後まで戦い切れるように、と願いながら。