元日本代表・大竹里歩が全うしたバレー人生 父への反抗、春高での激戦、現役最後の1年で見つけたもの
ジェネレーションギャップを感じる中で
大竹自身も「ずっと戦っていたいぐらい楽しかった」と振り返る熱戦だが、思わぬところに影響が及んでいたことを知ったのは、22年に久光(現・SAGA久光)に入ってからだった。
「チームの若い子たちが『あの春高を見て、自分も本気でバレーをやろうと思ったんです』と言ってくれた。しかも1人じゃなく何人もいて。ジェネレーションギャップも感じるんですけど(笑)、でも自分が一生懸命やってきたことを見て、“自分も頑張ろう”と思った子たちと一緒に選手としてできているなんて、すごく幸せだし素直に嬉しいって思いました」
21年にデンソーを辞める時、引退も決意した。だが「やり切る前に辞めるのはもったいない」と父からも説得された。続ける道などあるのか、と模索した時、移籍リストに名前が載った大竹に声をかけたのが久光だった。
Vリーグや皇后杯など多くのタイトルを制した常勝軍団ではあったが、大竹が入団する前年は8位に沈んだ。経験豊富な選手と若い選手が新たに強い集団となっていくために、ミドルブロッカーとしての力はもちろん、人と人をつなぐ大竹の人間力も高く評価されての打診だった。
期待の表れをそのまま示すように22/23シーズンから主将に就任。出場機会も多くあり、23/24シーズンにはレギュラーラウンド3位。Vリーグ最後の女王を狙う射程圏内にいたが、ファイナルラウンドの初戦で敗れ、最終順位を6位で終えた。
実は、このシーズンを終えたら引退しようと決意していた。「やりきろう」と考えて臨んだシーズンでもあったが、最後の最後で大事な勝負所で負けた責任が、主将である自分の不甲斐なさだと自身を責める気持ちも拭えなかった。
悩みに悩んで、次こそ最後の1年、と心に決めて現役続行を決意したのが昨年の3月。引退後のキャリアも考え、指導者研修にも参加し、これまでとは違う経験を重ねながらシーズンを過ごすと、新たな視点と楽しさが加わった、と明かす。
「自分よりも周りに目が向くようになって、特に(昨年末の)皇后杯で負けてから、北窓(絢音)や深澤(めぐみ)、若い子たちの意識やプレー、表情がガラッと変わって一皮むける瞬間を見られることが楽しくて仕方がなかったし、とにかくね、一生懸命でかわいいんですよ」
「大竹家に生まれたからこそ」
11歳から始めたバレーボールを31歳まで全うした。23年に結婚し、遠距離生活を続けてきた夫との暮らしもある。しばらくは心身ともにゆっくりした時間を家族と共に過ごす予定だが、これからは「大竹家に生まれたからこそ、バレーボールに携わって恩返しをしたい」と微笑む。
「バレー教室や解説、機会をいただけたらいろんなことにチャレンジしたいし、女子バレーも盛り上げたい。佐賀に来て、フロントスタッフの方々がチケットを売るため、お客さんに来てもらうためにどれだけ努力しているかという姿も見て来たし、久光は選手も一緒に意見を出し合って来たので、私自身も学ばされることがたくさんあった。選手にとっては結果を出すことが一番で、それは間違いないかもしれないけれど、それだけじゃお客さんは来てくれない。どうすればもっとSVリーグが盛り上がるか。試合をしていること、チームや選手を知ってもらえるか。みんなで、考えていきたいです」
苦しかったことや嬉しかったこと、ひとときの反抗期も、すべて必要な経験。歩み続けてきた人生に胸を張り、これからの人生も生きていく。もっと楽しく、もっと幸せになるために。