「F1の華」モナコGPが消滅の危機? 再生のためにすべきことは

柴田久仁夫

市街地レースが珍しくなくなった今のF1。それでもモナコは特別だ 【(c)柴田久仁夫】

「マリオカートみたいだった」

「F1の華」と称えられるモナコGPが、このままでは消滅してしまうかもしれない。

 そう言わざるをえないほど、先週末のレースは退屈な展開だった。首位のマシンが故意にペースを落としても、後ろのマシンは抜くことができない。10数台が数珠繋ぎになって、F2より遅いペースで走り続けるのを延々と見るだけのレースだった。

 去年のモナコGPもそんな展開だったことを踏まえ、今年はレース中のピットストップを最低2回義務付ける特別ルールを制定した。しかし結果は、上述の通り。むしろ去年より、酷いレースだったかもしれない。チームメイト同士が示し合わせて、後ろの1台がわざと遅く走って後続をブロックする間に、前の1台がリードを築く。そんな操作が、たやすくできたからだ。

 レーシングブルズの2台、ウィリアムズの2台は、そうやって共にダブル入賞を達成した。しかしウィリアムズのカルロス・サインツは、自身がポイントを獲得できたにもかかわらず、「本来のペースより2〜3秒遅く走っても抜かれないし、簡単にレースを操作できる」と、このルールに批判的だった。

 4位に終わったマックス・フェルスタッペンは、もっと手厳しかった。ライバルたちのピットインの間に、終盤50周目には首位に上がったフェルスタッペンだったが、まだ2回目のタイヤ交換を済ませていなかった。もしこのタイミングで赤旗が出てレースが中断されれば、大逆転勝利の目もあった。しかしそんな幸運は訪れず、最終周にピットに向かった。

「まるでマリオカートみたいだった。いっそバナナを投げつけて、それで順位を決めたらいい」

 フェルスタッペンの辛辣な言葉には、「モナコでは何をどう変えても、事態は改善しない」という諦めが感じられた。

かつてのモナコでは、それでも抜きつ抜かれつがあった

抜けないモナコで去年は勝てたシャルル・ルクレール。しかし今年は抜けないモナコゆえに2位に終わった 【(c)️Ferrari】

 どうしてそんなことになってしまったのか。

 確かにモナコは、伝統的に抜けないサーキットである。コース幅が狭く、エスケープゾーンがほとんどない市街地コースなのだから、当然と言えば当然だ。1987年に初めてここを訪れて以来、これまで30回以上現地取材してきたが、波乱の展開、どんでん返しが起きたモナコは、そのうち10回もなかったと思う。

 たとえばアイルトン・セナが首位を独走しながら単独クラッシュを喫して、そのまま自宅に帰ってしまった1988年。あるいは雨の中、優勝候補のデーモン・ヒルやジャン・アレジが次々にリタイアし、完走わずか3台のサバイバルレースを予選14番手のオリビエ・パニスが制した1996年などなど。

 しかしそれ以外のほぼ順位に変動がなかったモナコでも、退屈と感じたことはほとんどなかった。その一番の理由はドライバーたちがマシンと格闘し、無傷でチェッカーまで走り切ろうという必死さが、コース脇で観ているこちらまで存分に伝わってきたからだと思う。

 当時のモナコはまだ、一瞬のミスで後続車に抜かれることは珍しくなかった。何よりそれ以前に、ミスはガードレールへの激突に直結する。そんな緊張感が、少なくとも2010年代までのモナコには存在した。

 しかしF1マシンがより大きく、重くなったことで、モナコでの闘い方は激変してしまう。

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著者プロフィール

柴田久仁夫(しばたくにお) 1956年静岡県生まれ。共同通信記者を経て、1982年渡仏。パリ政治学院中退後、ひょんなことからTV制作会社に入り、ディレクターとして欧州、アフリカをフィールドに「世界まるごとHOWマッチ」、その他ドキュメンタリー番組を手がける。その傍ら、1987年からF1取材。500戦以上のGPに足を運ぶ。2016年に本帰国。現在はDAZNでのF1解説などを務める。趣味が高じてトレイルランニング雑誌にも寄稿。これまでのベストレースは1987年イギリスGP。ワーストレースは1994年サンマリノGP。

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