伝説の名将が選ぶ「PL学園ベストナイン」 KKコンビは順当の一方で最激戦区は?

加賀一輝

【スポーツナビ】

 元日本テレビアナウンサーで現在はフリーとして活動する上重聡さんが、高校野球の名将と対談するシリーズ。第1弾は母校・PL学園の恩師である中村順司さんをゲストに招き、名将と教え子による「PL対談」が実現した。

 本稿では#2の模様をお届けしたい。今回は「中村元監督にPLベストナインを聞いてみた!」と題し、数多いる教え子たちの中から各ポジションのベストナインを選出。果たしてどんなメンバーになったのか。

PLベストナインは誰に?

 まずは中村さんが選んだベストナインの一覧を見てみよう。

投手:桑田真澄
捕手:清水孝悦
一塁:清原和博
二塁:松山秀明、尾﨑晃久、今岡誠
三塁:深瀬猛
遊撃:立浪和義
外野:大村三郎、若井基安、坪井智哉


 KKコンビや立浪をはじめ、最盛期を迎えた80年代中盤〜後半の選手が多く選ばれた。

 ちなみに二塁は好プレーヤーが多く、「私の一存では決められません……」と尻込む上重さんに中村さんが「3人入れておけ!」と助け舟を出し、このような形となった。

投手は桑田を軸に継投

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 ここからは各ポジションの選出理由やエピソードを紹介していく。

 投手はやはり、桑田の名前が出てきた。甲子園通算20勝の記録はいまだに破られておらず、PLだけでなく高校野球史に残る投手だ。

 他にも歴史を紡いだ投手が数多くいるため、上重さんから「継投で1試合勝つためにどんなリレーをしますか?」と提案。中村さんが挙げたのは、87年の春夏連覇時の主力である野村弘樹、橋本清、岩崎充宏の3人だった。この中だと野村が先発で、橋本と岩崎がリリーフ。パンチ力のある打線に対しては速球派の岩崎を重点的に当てていたという。

 さまざまな投手が挙がる中、結論としては「桑田→野村→西川佳明→宇高伸次→前川勝彦」の継投で落ち着いた。本格派右腕の桑田に始まり、左腕の野村&西川、サイドスローの宇高を挟んで、最後は球威のある前川が締めるーー。豪華なリレーだ。

 捕手は清水と森浩之の2人が挙がり、「桑田のボールを一番しっかり捕っていたキャッチングのうまさ」を理由に清水をチョイス。バッテリーが決まった。

一塁手を重視したワケ

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 内野に関して、中村さんは一塁手を重視していたという。

 一塁に守備の上手い選手を置くと、高い送球やショートバウンドを上手く捌いてくれる。そうすることで他の野手陣の信頼につながり、スローイングが良くなり、内野が締まっていく。打撃偏重のポジションになりがちだが、実は一塁はボールに触る機会も多く、アウトを積み重ねていくには欠かせない。

 中村さんの野球哲学、そのお眼鏡にかなったのが清原や吉村禎章、片岡篤史だったのだ。

 二塁はKK世代のキャプテン松山、春夏連覇メンバーの尾﨑の名前が出る中、のちに阪神などで活躍する今岡のエピソードが興味深かった。

 今岡が在籍していたのは、ちょうど甲子園球場のラッキーゾーンが撤廃されたタイミング。右中間が広くなったことで三塁打の増加が考えられた。そこで強肩が武器だった今岡を二塁に配置することで、相手の進塁を抑止する効果が生まれたという。中村さんも「しっかりやってくれた」と当時を振り返っている。

 三塁は春夏連覇時の主軸を務めた深瀬か、上重さんと同級生の4番・古畑和彦。遊撃は中村さんいわく「一番上手かった」立浪を筆頭に、宮本慎也と旗手浩二が続く。ちなみに旗手の息子はサッカー日本代表の旗手怜央。あらゆるポジションをこなす能力の高さは父親譲りなのかもしれない。

全ての所属チームでV…若井の「勝ち運」

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 外野はのちに「サブロー」の登録名で知られる大村が真っ先に挙がった。中村さんは大村について、こう振り返る。

「彼は『プロに行きたいです!』と言っていた。『よし、じゃあ試合前のノックでバックホームはもちろんだけど、場合によっては日生球場のバックネットにぶつけるようなボールを投げろ』と」

 強肩をアピールするためということだろう。実際、上重さんによると、大村の送球がすごすぎて球場のバックネットにボールがはまった伝説が残っているという。

 勝負強い打撃が持ち味の若井は、所属するチーム全てで優勝を経験。高校・大学・社会人・プロで頂点を極めた。もちろん名門・強豪ばかりなので、メンバーに名を連ねるのですら難しい。その「勝ち運」というのもベストナインにふさわしいだろう。

 坪井に関しては、中村さんは打ち方に関して「もっとこうした方がいいと思っていた」と感じつつ、ミート力の高さはしっかりと認めていた。他には加藤正樹、光武徳起の名前が挙がった。

福留孝介の“伝説”

【スポーツナビ】

 最後にポジション・学校問わず「最強の高校球児」について。

 投手は横浜高のエース・松坂大輔、野手は自校から福留孝介が最強の球児だったと中村さんは見解を述べた。

 福留は高校時代はショートだったため、立浪にその座を譲り今回のベストナインには入らなかったが最強野手として名前が上がった。
 ここではその福留の“伝説”について少し紹介したい。

 7球団が競合した左のスラッガー・福留は、在籍時からライト後方の巨大ネットを越える打球を連発するなど、「右の清原・左の福留」と並び称されていた。

 そんな福留が社会人を経て中日に入団する際、PL学園グラウンドに挨拶へ訪れた時のこと。上重さんによると、状況はこうだ。

「監督さんが『孝介、ちょっと打ってみろ! 1打席でホームラン打てなかったら、みんなを名古屋に招待してくれ』と言われて、福留さんは『わかりました。1球で良いですよ』と。私は投手を務めた後輩に『カーブを投げろ』って指示したのですが、そのカーブを待って左中間の場外に打ったんですよ。スーツというか、シャツを着た姿で。やっぱり福留さんはとんでもない人だなと思いました」

 のちに2000安打達成、メジャーリーグでもプレーした大物ぶりはこんなところでも披露されていた。
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著者プロフィール

1988年3月6日、愛知県生まれ。成蹊大学卒業後、一般企業を経て独立。ライティング、MCなど幅広く活動する。2016年〜23年まで『スポーツナビ』にて編集・編成を担当。在職中に五輪・パラリンピックへの派遣、『Number』『文春オンライン』等への寄稿を経験。趣味は草野球で、1週間で20イニング投げることも。

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