中村順司元PL監督が見抜いた「KKコンビの特質」とは? 元エース・上重聡が迫る

加賀一輝

【スポーツナビ】

 元日本テレビアナウンサーで現在はフリーとして活動する上重聡さんが、高校野球の名将と対談するシリーズ。第1弾は母校・PL学園の恩師である中村順司さんをゲストに招き、名将と教え子による「PL対談」が実現した。

 本稿では#1の模様をお届けしたい。上重さんの現役時代や伝説の「KKコンビ」秘話など、貴重なエピソードばかりだ。

監督の中では生徒のまま

 高校時代の恩師と会って話すというのは、歳を取っても緊張するもの。それは上重さんの場合も同じで、卒業から20年以上経っても中村さんに対しての緊張感が拭えなかった。

「高校を卒業したのは26年前なのですが、実は6〜7年前に名古屋でお昼ご飯をご一緒させていただきました。印象深かったのは『ちょっと上重立ってみろ』と言われ、シャドーピッチングをさせられて『投げ方こうだ! わかるだろ?』と……。もう野球は辞めていたんですけど、監督さんの中ではまだ教え子というか生徒のままの記憶なのかなと思いましたね」

 いざ、久々の対面。上重さんが26年前に卒業した旨を話すと、中村さんは「俺も歳をとったんだな」と笑顔。和やかな雰囲気で対談がスタートした。

「58」に強い縁

 まずは1998年春、中村さんが最後の甲子園を戦ったセンバツの話から。上重さんも最上級生の一人としてメンバーに入っていた。

中村 開会式後の1回戦で樟南(鹿児島)と戦うんだけど、初戦敗退になればPL学園最短の甲子園になる。前日は寝られなかったんだよ。

上重 優勝すれば監督さんの甲子園通算60勝に達するので、我々選手の合言葉は「節目の60まで行こうじゃないか!」。58勝で(ストップして)すいませんでした。

中村 58というのはね、俺が8月5日生まれなんだよな。今の車のナンバーが「85-58」ですごく縁があるんだよ。

上重 フォローいただきありがとうございます(笑)。

 この大会限りで勇退を発表していた中村さんのため、順調に勝利を重ねたPL学園だが、惜しくも準決勝で敗退。相手は松坂大輔擁する横浜だった。夏の延長17回にわたる大激闘だけでなく、春も行く道を絶たれていたのだ。

投げられなかった1年の夏

【スポーツナビ】

 話はそのまま上重さんの現役時代へ。1年夏のことを振り返る。

中村 上重は1年生の夏、ベンチに入っていたよな?

上重 はい、入らせていただきました。

中村 日生球場(当時)で前川(勝彦)が決勝で投げたけど、ふくらはぎを少し痛めていて。心配しながら三塁側のブルペンを見たら、上重が投げているんだよね。キャプテンの石田(拓郎)が「監督さんお願いがあります。僕は前川で負けても悔いはないです!」と言うんだ。だから前川にも「野手陣がこう言ってるから頑張れ」と話して、甲子園に行ったんだよな。

上重 甲子園に行かせていただいて、2回戦の県立岐阜商業戦で「9回の1イニング、上重行くぞ」と言っていただいたのですが……。前川さんが大阪府大会からずっと投げて甲子園も全部投げると言ったので、投げられなかったんです。

中村 3年生になったら(甲子園に)出ると思ったからね。違うか(笑)。

 前川氏は後にドラフト1位で指名される絶対的エース。上重さんに登板の機会はなかなか回ってこなかった。それでも上述の通り3年生で甲子園のマウンドに立っているのだからすごい。

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著者プロフィール

1988年3月6日、愛知県生まれ。成蹊大学卒業後、一般企業を経て独立。ライティング、MCなど幅広く活動する。2016年〜23年まで『スポーツナビ』にて編集・編成を担当。在職中に五輪・パラリンピックへの派遣、『Number』『文春オンライン』等への寄稿を経験。趣味は草野球で、1週間で20イニング投げることも。

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