日本ボクシング史上最高の日本人対決へ―― 井上尚弥が自身と中谷潤人に課したハードルの意味

船橋真二郎

一気に2階級上げ、スーパーフライ級でオマール・ナルバエスに挑戦することを発表した当時の井上尚弥(左)。弟・拓真はオマールの弟・ネストールとの対戦を発表。兄弟対決だった(2014年11月6日) 【写真:船橋真二郎】

 あの日、井上尚弥(大橋)は確かに困惑していた。

「あれと同じような試合を期待されても……」

 今から9年ほど前の2015年12月28日。2階級目となるWBO世界スーパーフライ級王座の初防衛戦を翌日に控え、かつて東京・九段下にあったホテルグランドパレスの会場で計量をクリアしたところだった。

 大勢の記者に取り囲まれ、ソファに腰を下ろしながら取材に応じていた井上の表情がややこわばったように見えたのは、ちょうど1年前の年末に自身が演じた圧巻のKO劇の再現を多くのファンが期待しているのではないか、と話を向けられたときだった。

「あれと同じような試合」とは、世界戦だけで30戦(28勝12KO1敗1分)の百戦錬磨、1度としてダウン経験のなかった39歳の2階級制覇王者を4度倒す2回KO勝ちで、国内外にセンセーションを巻き起こしたオマール・ナルバエス(アルゼンチン)戦である。

 鉄壁を誇ったナルバエスから最初のダウンを奪う直前の一撃でおでこを強打し、負傷した右拳を手術。丸1年のブランクを余儀なくされた。いかなモンスターも弱冠22歳でプロ9戦目、ケガによる長期離脱からの復帰戦にかけられた過度な期待をけん制するのも無理からぬことだったかもしれない。

 そして、若き井上はこう続けたのだった。

「あれはもう自分で自分のハードルを上げちゃったんで」

八重樫東がこぼした嘆息

 結果はご存じのとおり。過去にウォーズ・カツマタのリングネームで6勝6KO(1敗)と日本のリングを席巻、通算でも24勝21KO(6敗1分)の強打者で同級1位のワルリト・パレナス(フィリピン)をまったく問題にしなかった。

 ナルバエス戦に続き、スピード、パワーともに一気に2階級上げた効果をいかんなく発揮。ガードの上から叩き伏せるように2度倒し、鮮烈な2回TKO勝ちを飾った。

 とはいえ、筆者は会場の有明コロシアムにいながら試合を直に目にしていない。直前に行われたIBF世界ライトフライ級タイトルマッチで、激闘の末に2度目のチャレンジで3階級制覇を達成した八重樫東(大橋)の試合後会見に出ていたからだった。

 会見がスタートするのとほぼ同じタイミングで井上のパレナス戦は始まり、ほどなくして会場からのどよめきが伝わってきた。

「えっ?終わっちゃった!?」。八重樫が思わず声を上げ、その場の誰もが会見場の脇に設置されていたモニターに意識と視線を向けた。

「まったく……。人が一生懸命、12ラウンド戦い抜いて、『疲れたー』と言ってたら、これですよ……」

 国内史上3人目(男子)となる殊勲を果たしたヒーローが呆れるようにこぼした嘆息は、井上尚弥という稀有な存在への畏怖の裏返しであり、そのまま見る者に与える驚きを表しているように感じられたものだ。

 それから世界戦24戦全勝22KOの圧倒的な戦績とともに世界4階級制覇、バンタム級とスーパーバンタム級で世界4団体統一、史上最多7年連続8度の国内年間MVPなど、毎回のように期待を超えるパフォーマンスと試合内容で数々の偉業を成し遂げてきたことは言うまでもない。

 ライトフライ級、スーパーフライ級時代は度重なる拳のケガなど、アクシデントとの戦いもあったが、高まる一方の注目とプレッシャーのなかを勝ち上がっていく姿を見るたびに思い出されたのが、冒頭の若き日の困惑した表情と言葉だった。

 まさに一戦ごとに自身が高く上げてきたハードルを自ら超えながら、さらなる高みに登りつめてきたのが井上だろう。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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