バドミントン松友美佐紀、所属フリーでも続ける「殻を破る」挑戦【単独インタビュー】

平野貴也

25年4月から選手としては所属フリーで活動する松友美佐紀 【平野貴也】

 五輪を目指すだけが、すべてではない。バドミントン選手の松友美佐紀は、金メダルを獲得してもなお、競技の世界に成長の可能性を感じ取っていた。松友は、高橋礼華との「タカマツ」ペアで、2016年リオデジャネイロ五輪の女子ダブルスで優勝。日本初の金メダルに輝いた。20年に高橋の引退によりペアを解消した後は、金子祐樹と混合ダブルスで活動してきたが、パリ五輪の出場権は獲得できなかった。

 25年は長く活動してきた日本代表から外れ、所属していたBIPROGYを3月末で退社。今後の去就が注目される中、BIPROGYとはアドバイザー契約を結び、選手活動は所属フリーで継続することになった。5月末開幕のシンガポールオープンには、五輪2大会連続銅メダルの渡辺勇大(J-POWER)と混合ダブルスでエントリーしている。世界の頂点に立った後、チームを離れてもバドミントンを追求し続ける彼女は、何を目指すのか、話を聞いた。

何よりも大切にしてきた「できない理由を探さないこと」

松友(右)は、五輪を制した女子複での挑戦を終えた後、金子との混合複でプレー。全日本総合選手権では優勝を飾った。今後は、制限をかけずに幅広く活動する 【平野貴也】

――最初に、25年4月からの活動方針について教えてください

 自分の気持ちとしては、長い間、BIPROGYはいろいろな経験をさせてもらったチームなので、何かできることがあればという思いがあり、アドバイザーとして関わらせていただくことになりました。後輩たちに質問や相談をされたときに、その選手が今までに考えたことのない発想を出して手助けできるように、考え方を柔軟にしておくことが、今は大事だと思っています。選手としては、自分でいろいろとやっていこうと思っていますが、まずは、5月にシンガポールオープンにエントリーを予定しています。

――松友選手は、五輪で金メダルを取っても、新たな種目での五輪挑戦が終わっても、成績に左右されずにバドミントンを追求している印象があります。競技を続ける理由は?

 バドミントンを続ける理由は、五輪で金メダルを取ることだけではありません。競技を通じて様々な経験を重ねることで、良い意味で自分の考えられる範囲から外れて、物事を捉えられるようになること、選手として、人として成長することだと思っています。

――あらためて、選手として活動する中で大事にしているものは何ですか

 何よりも大切にしてきたのは「できない理由を探さないこと」です。どれだけ練習をしても、必ず勝てる約束はありません。練習をすればするほど(絶対に勝ちたいと思って)緊張するし、結果が出ない、やってきたことが出せなかったときは、練習した分だけ絶望する。逃げたくもなる。そういう経験をたくさんしました。高校を卒業して実業団に入ってから、自分の人生をかけて、本気で世界一になろうと思ってやっていましたが、最初は全然勝てませんでした。周囲から「練習し過ぎだ、そんなに練習をやって意味があるのか」と、言われたこともたくさんありました。そんなときに、1回休んでもいい、今日はいいやと逃げることは簡単だったと思います。でも、私の信念として、できない(無理だと認める)理由を探すのではなく、やる理由や、できるようになる可能性や方法を探して、自分の殻を破ることを考えてきました。今も選手活動を続けているのは、その(信念の)集大成を迎えようとしている、ということだと思っています。

――競技に対する姿勢の根本として、自分で考えて自分が目指すものに取り組み続けることを大事にしているのですね

 練習し過ぎだ、意味があるのかと周囲に言われても、私が目指すところ、できるようになりたいものは、諦めてもたどり着けるほど簡単なものではなくて。目の前の結果に一喜一憂してしまいがちですが、何事も短期で一気に変わることは、なかなかありません。そこで無理だと思ってしまう人が多いなと思います。でも、実際は、少しずつの挑戦を続けて、失敗して、そこから学んで、また失敗して学んで……と進むもの。失敗することの方が多いかもしれないけど、挑戦してみなければ成功する可能性はないと思います。
 可能性を追い求める気持ちが、自分自身の中から消えない限り、周囲からどう思われようと、自分を信じて挑戦を続けていいはずだ――柔和な表情で話す中でも、頑なな意思が軸として存在していることが感じられた。確固たる価値観は、プレーの追求に限らず、キャリアの歩み方にも通じる。世間から見える目標は、成績面ばかり。年齢を重ね、五輪への挑戦を終えれば引退するものと思われがちだ。もちろん、成績は目標の一つ。しかし、彼女が競技の中で目指しているものは、より幅広い可能性を知る中で自らを磨くことだった。

「人生で一番楽しかった」経験が持つ意味

――変わらない姿勢や信念もある中で、環境は変わっていきます。金子選手とのペアでの活動は、24年8月のダイハツジャパンオープンが最後でした。そこからは、これまでになかった経験をしてきましたね。24年10月には、インドネシアでBadminton-XL(現役のトップ選手、過去に実績があり、様々な競技関連活動をしているレジェンド選手らオールスターが集ったプロ興行)に参加していましたね

 インドネシアの大会は、人生で一番楽しかったです。ここまで(長く)やってきて、まだ一番があるんだと驚きました。自分が憧れていた選手や対戦してきた選手たちと一緒に練習したり、ペアになったり、ご飯を食べたり、いろんなことを教えてもらったり、聞かれたり。(有名選手だらけで)誰でも呼んでもらえるイベントではないし、ここまで続けて来なければ招待されなかったはず。頑張ってきてよかったなと思うくらい、楽しかったです。本当に大きな経験でした。起こること、経験することすべてが楽しいと思ったのは、初めての感情でした。

――エキシビションだからとか、新鮮だから、というだけではなさそうだと感じるくらい、非常に楽しそうな姿が印象的でした

 バドミントンって楽しいなと感じたのだと思います。エキシビションではあるけど、真剣勝負。奇抜なルールで、時間制限で1点サドンデスになったときは、たまらない緊張感もありました(笑)。また、それをどの選手も楽しんでいて(互いが状況に応じて決断する)スポーツの駆け引きを味わえました。何かを正解だと決めつけて型にはめていくやり方や、そこから外れたら可能性がなくなると感じる集団心理のような、余計なものが削ぎ落されて、もっと広い世界が存在していると感じた……のかなと思います。

――選手生活の中で大事にしてきたと話した、自分で可能性を探すことの価値が肯定された嬉しさのような感覚があったのでは?

 そうかもしれない。うん。あっ、そうですね。(言葉にしてくれて)ありがとうございます(笑)。海外の選手とは、顔見知りではあっても、話す機会はほとんどありませんでした。でも、みんながどんなことを感じているのかを知ることができて、自分と同じ価値観を共鳴し合える人や、様々な価値観を持った人たちが、世界にはたくさんいるんだと感じました。
 キャリアの多様化は、世界各国で進んでいる。日本のバドミントン界でも、実業団を離れてプロとして活動する選手が増えているが、ワールドツアーや国内リーグを戦い続けるほかにも、選手として生きる価値のある道はあるのではないか。かつてのスターやライバルたちが、その可能性を示していることは、大きな刺激になっていた。五輪やシーズンが終われば、主力選手は、現役続行か引退か、意向を確認される。松友は「メディアの方は、プツッと(期日を持って)引退するかどうか聞かれるじゃないですか。仕事だって分かっていますけど、そんなに、みんなのことを辞めさせないでください」と言って笑った。各自が可能性を信じる方向へ、型にはまらずに進めばいいと考える彼女は、自身でも体現するつもりだ。

1/2ページ

著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント