書籍『ジャイアンツ元スカウト部長の回顧録』

元Gスカウトが語る山口俊獲得の舞台裏 不安も多かった清宮の1位指名

長谷川国利

【写真は共同】

 横浜の敏腕スカウトはなぜ巨人へ移籍したのか?今明かされる長野久義、菅野智之獲得の舞台裏。30年にわたるスカウト人生の一部を綴った『ジャイアンツ元スカウト部長のドラフト回想録』(長谷川国利著)から2016~18年のドラフトに関するエピソードを抜粋してお届けします。

査定担当をしながらも助言した山口俊の獲得

 2015年限りで原監督が退任され、高橋由伸が新たに監督に就任しました。私も同じタイミングで2003年から務めた巨人のスカウトを離れることになりました。2015年のシーズン途中には原沢さんもGMを退任されて新たに堤辰佳GMが就任しています。堤GMは慶應大の野球部出身でキャプテンも務めていて、高橋由伸の直系の先輩にあたります。もしかしたら原監督や東海大のカラーを一度払拭したいという考えがあったのかもしれません。というのも、毎年巨人がキャンプで使っていた『沖縄セルラースタジアム那覇』は、その後に東海大野球部がいつも使っていたのですが、東海大側には何の連絡もないままこの年から慶応大野球部が使うことになっていたのです。そのことを東海大・安藤監督から相談された私は頭に血が上りました。「王さんが監督になったら早稲田が、長嶋さんが監督になったら立教が使うんですか!」と巨人の沖縄キャンプ担当者に思わず問い詰めてしまいました。「恣意的なものではない」とは言っていましたが。そんなこともありました。

 私も年齢的にスカウトのなかではベテランになっていましたし、監督が代わるタイミングで体制も一新したいという気持ちもよく分かります。そこに恨み節などは全くありません。ただ新しいスカウト部の面々を見て「このメンバーには俺はまだまだ負けないよ!」という気概だけは持っていました。

 長くスカウト部長を務められていた山下さんも年齢的なこともあって2016年限りで退任され、後任のスカウト部長に就いたのは岡崎郁さんでした。岡崎さんはずっとコーチや二軍監督というグラウンドで汗をかかれてきた方です。スカウト経験がないなかで、いきなり山下さんの後任、部長になったのですからその苦労は大変だったと思います。現在の水野雄仁スカウト部長もそうですよね。スカウト経験のある榑松伸介が次長という役割で補佐しているでしょうが、普通に考えたらアマチュア球界との関係性をそこまで深く知らない人間にいきなりスカウト部長を任せるのは無理があります。巨人では時折そういう人事があるのが不思議です。

 2016年から私に新しく与えられたのは査定担当の仕事でした。所属している選手を評価する役割です。シーズン中は試合に帯同してある程度のフォーマットに沿って成績を入力しながら、色んな点数をつけていくことがメインの仕事になります。初めての経験だったので一から仕事を覚える必要がありましたが、やってみて色々と気づくこともありました。一番大変だったのがシーズンが終わった後の契約更改です。新聞やテレビでは一、二度話し合って、ハンコを押して記者会見を行っているように見えるかもしれません。ですがその前に、事前の下交渉を行っていますし、そのために必要な過去数年分の資料をまとめておく必要もあるのです。

 実際に報道される契約更改の会見は儀式的な意味合いが強いもの。もちろん事前の下交渉の時間が十分にとれず、当日保留するというケースもあります。私が見ていた中では金額よりも待遇面や評価するポイントなどの改善を訴えるケースの方が多かったですね。例えばピッチャーだったら実際に試合には投げていなくてもブルペンで肩を作って準備するのも大変だから、そのあたりも査定の対象として考慮してもらいたいとか、自分だけではなく選手全体のことを考えて意見してくるようなこともありました。

 心情的に嫌だったのは自分がスカウトとして評価して獲ってきた選手に対してマイナス評価、ダメ出しをすることでした。選手は誰にでも長所と短所があるものです。「まだ足りない部分があるけどそれを補って頑張っていこう」と言って獲ってきているのに、いざ査定担当になったら「お前はここがダメだから年俸を下げる」みたいなことは言えないですよね。だからあからさまな怠慢でミスがあった時などは指摘しましたが、それ以外ではここが悪い、ここができていない、みたいな話はしませんでした。

 査定をしていて少し疑問だったのは、同じ活躍をしても同じ点数にはならないということです。どういうことかというと、3年間結果を残している選手よりも10年間結果を残している選手の方がプラスが大きくなるような係数がありました。チームに対して長く貢献してくれたことへの評価かもしれませんが、あまりその差が大きくなり過ぎるのは公平性を欠くのではないかと思いましたね。

 面白かったのは選手によって考え方が全然違うということ。自分の活躍したところだけを鮮明に覚えていてアピールして、ミスやマイナスになる点を指摘されても「そんなことありましたか?」と話す選手もいました。そんな様子を見て、こういう選手はストレスも溜まらないだろうし、ある意味強いなと感じたものでした(笑)。

 アマチュア時代に見ていた選手のプレーをプロの現場で見る機会が増えたことは勉強になりました。スカウトをしていると、なかなかそういう機会は少ないですから。私がアマチュア時代に持っていたイメージとは良い意味でも悪い意味でも全然違う選手になっているケースもよくありました。プレー以外でもアマチュア時代に話した時には凄くポジティブに見えた選手が、プロになって話してみると全然違うと感じたこともあります。改めて選手の先を見通すことは難しいと実感しました。そういうことを知ることができたのもプラスの経験でした。

 査定担当時代にも頼まれて編成にかかわる仕事もありました。印象深いのは2016年のオフにDeNAからFAになった山口俊の獲得です。堤GMから「何とかできないか?」と相談されたのですが、巨人が獲得に動いたタイミングが遅かったこともあって劣勢な状況でした。当時中日でコーチをしていたデニー友利と山口の繋がりが強くて、中日にほぼ決まりかけていたと思います。希望があるとすれば横浜時代に山口の担当スカウトで、山口の両親とも家族ぐるみで付き合いがある武田康の存在でした。2006年から武田も巨人に移籍してきていたので彼にも相談して動いてもらいました。それでも厳しい状況だったのですが、最終的には球団が認めていなかったポスティングシステムでのメジャー移籍を「結果を出したら認める」という条件付きで提示したことによって、何とか獲得することができました。ただ、ポスティングシステムについては渡邉恒雄元会長が一貫して認めないという姿勢をとっており、この時も承諾は得ていなかったはずです。山口が結果を出していざポスティングとなった時に球団内では相当揉めたという話は聞きました。

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