“超”真面目な男・茶野篤政が過ごした徳島での日々 大活躍する試合にあった共通点
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無名の大学生が1年でNPBに行くまで
「独立リーグ、そんな長くいる場所じゃないと思うんで。1日1日必死に頑張ってほしいなっていうだけですね」
2022年シーズン、たった1年でNPBへの切符をつかみ取った。高校時代、最後の夏はベンチ外だった。大学に入ってから巧打と俊足で活躍し始めていたが、それでも無名の存在であったことに変わりはない。
そんな茶野が徳島に来て、1年で大きく飛躍した。彼はどうして成長できたのか?
「徳島インディゴソックス」と聞いて思い出すのは、しんどい記憶だという。
「まあでも、1年間通して考えたら、やっぱり人に評価されてなんぼの世界だったので。ただ結果出せばいいだけじゃないっていう意味では、なかなかしんどい1年だったなと思いますね」
結果をただ出すだけではダメ。その結果を人に評価してもらわなければ。高く評価してもらって、初めて次に進める。そんな難しさがあった。
結果を出さなきゃ……。評価してもらわなきゃ……。
「そうですね。1年間はずっとそんな感じで。うん」
茶野と徳島をつないだのは茶野の母校、名古屋商科大野球部で監督を務める赤松幸輔(元・オリックス)である。赤松自身も同校のOBであり、PL学園で桑田真澄、清原和博、立浪和義らを育てた中村順司監督の下で鍛えられた。2015年に香川に入団し、松嶋亮太、増田大輝らとともに北米遠征にも参加している。この年のドラフト会議でオリックスから育成指名を受けた。
2017年に自由契約となった後、福島ホープス(BCリーグ)の選手兼任コーチを務め、2018年に引退。茶野が2年生だった2019年、総監督だった中村氏からの誘いを受けて、名商大のコーチに就任した。現在は監督を務めている。
独立リーグを勧めようと思ったのは、茶野が4年生の春である。名商大グラウンドで行われた中京学院大とのオープン戦で、左中間に特大のホームランを放ったことがきっかけだった。
「照明の上を越えてったんですよ。あ、これだけ逆方向に飛ばせるんだ、こいつ。もうこれは、(野球を)やらさんともったいないなと思って。そこで決めましたね。いまでも覚えてますもん、あの打席だけは」
足がある。体も強い。足を生かして打撃がさらに良くなれば、さらに上へ進める可能性があるのではないか? 茶野の1学年上である捕手、丹治崇人が徳島でプレーしている。実際に茶野を連れて、徳島の試合を見に行くことにした。2021年9月のことである。
茶野自身はあまり独立リーグにいい印象を持っていなかったらしい。だが、実際に足を運んでみると、想像していたものとは少し違っていた。
「ピッチャーは大学に比べたら全然レベルが高いなと思いました。独立リーグ、あんまりいいイメージなかったんです。やっぱり社会人の下かなあ? とか思ってたんですけど、でも普通にピッチャーのレベルも高いし、こういうとこでやるのもいいなあと思って」
本音を言えば、社会人野球へ進みたいと考えていた。だが、いまの時点で受け入れてもらえるところは決まっていない。まったく同じ境遇にいた赤松コーチは、いまの茶野の心境がよく理解できる。赤松コーチもいざ自分が飛び込んでみるまで、四国リーグについて何も分かっていなかったからだ。
「僕もまったくおんなじ感情を持って入ったので。いや、だって名古屋にいたら、アイランドリーグなんか分かんないですよ!」
赤松コーチも四国リーグのことをナメていた。「プロを目指して」と言っても、大したヤツはいないだろう。そうたかをくくっていたが、当時の香川は強かった。チームにいる選手全員が「NPBに行きたい!」と本気で思っている。やっぱり環境に左右されるんだな、ということを痛感した。
あの環境で茶野を鍛えれば、きっと成長するはずだ―。そんな確信が赤松コーチにはある。
「僕は自信持ってます。お金の面を差し引いたとして、野球やるには最高の環境だと思ってるんで。まあ、あいつの性格だったら正直いけるなって思いますよね。どこ行っても順応できるだろうと思ってたんですよ」
「超」がつくほど真面目で、目標に向かってブレない性格の茶野なら、一心不乱にやってくれるはずだ。丹治と連絡を取り合っていた赤松コーチが選んだのは徳島だった。
2021年の徳島には隣県の三重から入団し、俊足を武器にアピールを続けている外野手がいた。村川凪(四日市大)である。茶野も観客席から食い入るように村川のプレーを追った。
「足の速さで注目されている選手がいるよー! みたいな話を聞いて。赤松さんに『お前も、もうちょっと足磨いて、プラス長打が出たら注目してもらえるんちゃうか?』っていうのはそのときから言われてて。そういう話も聞いたら、やっぱりここがいいなあって」
その年のドラフトを見ていたとき、村川がDeNAから育成1巡目で指名されたことに、すぐに気づいた。名前も覚えている。
「徳島のあの人、かかったなあ」
その事実は、これから四国リーグに挑戦しようとしている茶野にとって、自分も追いかけることができるかもしれない成功への道のりに見えた。