アイルトン・セナ没後30年。今も解明されていない事故原因 沈黙を貫く設計者エイドリアン・ニューウィ

柴田久仁夫

本当の事故原因はなんだったのか

車体トラブル、設計ミス、セナ自身の運転ミス……事故原因はいまだに判然としていない 【Photo by Paul-Henri Cahier/Getty Images】

 セナの事故原因は、意外なことに今も確定はしていない。事故直前の車載映像では、タンブレロコーナーでセナが左にステアリングを切るものの、マシンは直進。グリップを失ったままコンクリート壁に激突するまでが映っていたという。

 ではなぜセナがステアリングを切ったのに、マシンは直進したのか。イタリア検察当局は、FW16のステアリングコラム(=ハンドルを支えている軸の部分)が再溶接された箇所から破断されていたことを突き止めた。しかしこの破断によってマシンがコントロール不能になったのか、事故の衝撃で破断したのかは今も不明だ。ただし緊急に行われた溶接作業は劣悪なものであり、事故直前になんらかの異常が起きていた可能性は高い。

 一方でFW16の設計者だったエイドリアン・ニューウィは、ステアリングコラムの設計が、「非常に拙いものだった」ことを認める一方で、「車はオーバーステアでコースアウトしており、その挙動はステアリングの故障では説明できない」と、のちに主張。「最も高い可能性は、右リアタイヤのパンクでグリップを失ったことだろう」と、結論付けている。

 イタリア検察当局はチームの共同経営者だったフランク・ウィリアムズ、パトリック・ヘッド、そしてニューウィら6人を、過失致死罪で訴追。だが3年間の裁判では、チーム側の過失は証明できないとして全員に無罪判決が言い渡された。

今も沈黙を貫くニューウィ

セナ死亡事故の関係者で今もF1で活躍するのはニューウィだけとなった 【(C)Redbull】

 当時の主要な関係者で今もF1で活躍しているのは、ニューウィただ一人となった。しかもただF1にいるというだけではない。ライバルたちを圧倒する最速のF1マシンを毎年のように送り出し、これまで合計20以上のタイトルを勝ち取ってきた。

 1994年のFW16もコンストラクターズ選手権こそ制したものの、ドライバーズタイトルは新鋭ミハエル・シューマッハに奪われた。しかしもしセナがイモラで事故に遭っていなければ(セナのNo2扱いだったデイモン・ヒルが白熱したタイトル争いを繰り広げていただけに)、セナが4度目のチャンピオンになっていた可能性は極めて高い。

 もしセナが生きていたら――。あまりに意味のない仮定だが、もし生きていたらその後のF1の歴史が大きく変わったことは間違いないだろう。

 セナは生前、「キャリアの最後はフェラーリで終えたい」と公言していた。もし生きていたら、その後フェラーリの黄金時代を築いたのはシューマッハではなく、セナだったかもしれない。

 ウィリアムズを1997年に去ったニューウィはマクラーレンに移籍し、ミカ・ハッキネンの二連覇に大きく貢献した。さらに2006年から今に至るレッドブル時代に設計したマシンを駆ったセバスチアン・ベッテル、マックス・フェルスタッペンは、共に世界チャンピオンとなった。

 一方でセナの死亡事故の影は、後年までニューウィについて回った。事故から9年後の2003年、イタリア最高裁が再審理を命じ、ニューウィは再び被告の座に。その裁判は無罪が確定する2005年まで続いた。

 レッドブルの隆盛を支えてきたニューウィだが、今季中にチームを去ることは確実なようだ。その後、どのチームで新たな挑戦を始めるのか。あるいはF1から引退してしまうのか。いずれにしても1994年の事故については、ニューウィは今も口を閉ざし続けている。

(文中敬称略)

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著者プロフィール

柴田久仁夫(しばたくにお) 1956年静岡県生まれ。共同通信記者を経て、1982年渡仏。パリ政治学院中退後、ひょんなことからTV制作会社に入り、ディレクターとして欧州、アフリカをフィールドに「世界まるごとHOWマッチ」、その他ドキュメンタリー番組を手がける。その傍ら、1987年からF1取材。500戦以上のGPに足を運ぶ。2016年に本帰国。現在はDAZNでのF1解説などを務める。趣味が高じてトレイルランニング雑誌にも寄稿。これまでのベストレースは1987年イギリスGP。ワーストレースは1994年サンマリノGP。

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