山田大記と郷家友太が実体験をもとに訴える「ソナエルJapan杯」に参加することの意義

宇都宮徹壱

東日本大震災で被災した郷家友太(左)と、昨年の静岡県豪雨で被災者支援活動を行った山田大記が、実体験をもとに「ソナエルJapan杯」への参加を呼び掛けた 【YOJI-GEN】

 8月8日からスタートしたJリーグとYahoo! JAPANの共同企画「ソナエルJapan杯2023」が、いよいよ終盤戦を迎えている(実施期間は9月4日まで)。人々の防災意識を高めることを目的とした同企画には、できるだけ多くのクラブのファン・サポーターに参加してもらいたいが、なにより現役で活躍する選手の言葉は、その背中を強く押してくれるに違いない。11歳で東日本大震災を経験したベガルタ仙台の郷家友太と、昨年の静岡県豪雨で被災者支援活動を行ったジュビロ磐田の山田大記が、自然災害に対する想い、災害に備えることの重要性を語ってくれた。

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郷家友太にとっての2つの震災

宮城県多賀城市出身の郷家が東日本大震災を体験したのは11歳の時。サッカーの練習もできない中で、チャリティーマッチでの三浦知良のゴールに勇気づけられたという 【写真は共同】

 8月15日まで「終戦」一色だったテレビや大手新聞は、9月1日に向けて「防災」一色になっていくことだろう。1923年9月1日に発生した関東大震災から、今年でちょうど100年。ちなみに、この日が「防災の日」に制定されたのは1960年で、今年で63回目となる。

 一方、百年構想を打ち出しているJリーグは、今年で開幕30周年。その歴史のほとんどをカバーした平成時代は、実に多くの大地震に見舞われてきた時代でもあった。阪神淡路大震災(1995年)、新潟県中越地震(2004年)、東日本大震災(2011年)、そして熊本地震(2016年)。主なものだけでも、これだけ挙げられる。

 大きな震災が起こるたびに、Jリーグはすぐさま被災地支援に動いた。最も記憶に残るのは、やはり2011年の「3.11」であろう。東日本大震災を受けて「チカラをひとつに。TEAM AS ONE」というスローガンのもと、Jリーグに所属する全クラブが義援金募金や復興支援活動を実施。Jリーグ選抜と日本代表による「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」も日本サッカー協会とともに開催している。

 あれから12年。当時、被災した子供たちの中から、Jリーグで活躍する選手も出てくる時代になった。1999年生まれの24歳、ベガルタ仙台に所属する郷家友太も、そのひとりである。

「地震が発生した時は、小学校の教室にいました。定期的に避難訓練をやっていたので、机の下に隠れて揺れが収まるのを待ちました。その後は両親が迎えに来るまで、学校で待機していたことを覚えています」

 郷家が暮らしていたのは、仙台市に隣接する多賀城市。震災時に甚大な津波被害があり、1746世帯が全壊、市内の犠牲者は188人に上った(関連死含む)。郷家の一家が、市内で津波被害があったことを知ったのは、地震発生の翌日だったという。

「停電でテレビが見られない状況でしたからね。水道も止まっていたので、父親と妹と3人で、自転車に乗って買い出しに行ったんですよ。僕の実家は高台にあって、下り坂を1キロくらい下りたら、海のようになっていてびっくりしました」

 幸い自宅は、津波で流されたり、地震や火災で倒壊したりということはなかった。よって、一家が避難所暮らしを経験したわけでもない。それでも生活インフラがストップした状態が続き、食料を求めて長蛇の列に並ぶこともしばしばだった。当然、サッカーの練習も中断。そんな中でのチャリティーマッチ開催とJ1でのベガルタ仙台の躍進(2011シーズンの最終順位は当時のクラブ史上最高位となる4位)。当時小学生だった被災地のサッカー少年は、それらを今でも鮮明に記憶している。

「チャリティーマッチは、あっという間の90分でした。最後はカズさん(三浦知良)が決めて、全部持って行ってしまいましたが(笑)、あれで日本中が元気になりましたよね。まさにサッカーを通して、みんなが笑顔になった日でした。その年のベガルタの試合も、よくスタジアムで観戦していました。10番を付けていたリャン・ヨンギ選手は、子供の頃から僕の憧れでしたね」

 青森山田高校を卒業後、郷家は2018年にヴィッセル神戸でプロデビューを果たした。そこで彼は、神戸市民が「1月17日」をメモリアルデーにしていることを知る。

「阪神淡路大震災が発生した日ですよね。僕が生まれる前の話ですが、ヴィッセル神戸となって最初のトレーニング日に、あの大震災が起こったことを知りました。今でもクラブの始動日は1月17日なんですが、必ずサポーターの人たちが駆けつけてくれるんです。神戸市民にとって、いかに重みのある日なのか、強く実感しました」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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