私のミッション・ビジョン・バリュー2022年第9回 前田椋介選手「信じる強さ」

水戸ホーリーホック
チーム・協会

【ⒸMITOHOLLYHOCK】

水戸ホーリーホックでは、プロサッカークラブとして初めての試みとなるプロ選手を対象とした「社会に貢献する人材育成」「人間的成長のサポート」「プロアスリートの価値向上」を目的とするプロジェクト「Make Value Project」を実施しています。

多様性と交流を基盤に、様々な業種の講師を招聘し、異業種の方々の価値観や使命感に触れることで、プロアスリートとしての存在意義や社会的な存在価値を選手たちに問い続けます。

その一環として、キャリアコーチと選手が継続的に面談をして「ミッション」「ビジョン」「バリュー」の策定をする取り組みが2020年から行われています。

ミッション・・・社会の中での自分の役割
ビジョン・・・ミッションを実現した理想の未来像
バリュー・・・日々のこだわり、行動指針

原体験を振り返り、自らのサッカー選手であるうえのスタンスや価値観、使命感を見つめなおすことでピッチ内外でのパフォーマンス、言動、行動の質の向上につなげていこうという取り組みです。

今季も選手・スタッフの今季策定した「ミッション」「ビジョン」「バリュー」を紹介していきます。
2022年第9回は前田椋介選手です。

(取材・構成 佐藤拓也)

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Q.今回、ミッションビジョンバリューの作成にあたって、どのぐらい面談を行いました。
「1回1時間程度の面談を5回ぐらい行いました」

Q.実際に自分の過去や思いを第三者に語ってみていかがでしたか?
「今までそういう経験はありませんでした。誰にも話せなかったことを話せる機会をいただき、個人的に素晴らしい経験ができたと感じています。自分を見つめ直すことができました」

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Q.まずミッションについて聞かせてください。「自分を高め、自分に挑み続ける」とありますが、この言葉の意味は?
「宮崎の田舎で育って自分がプロになれるかどうかなんて半信半疑でサッカーをしてきたんですけど、プロになることができ、今年はJ2の舞台で主力としてプレーすることができています。これから自分をどこまで高めることができるのか、すごくワクワクしています。なので、これからも挑み続けるという思いを込めて、この言葉にしました」

Q.プロをイメージしたのはいつ頃でしたか?
「本気で目指したというか、現実的に目標として考えるようになったのは、大学1年生の時です。プロと試合をする機会がありましたし、1年上の先輩に本気でプロを目指していた選手がいたことも大きかったですね」

Q.前田選手は宮崎県日南市出身です。開幕前には横浜FCなどJリーグクラブがキャンプを行っています。見に行ったことはありましたか?
「行きました。カズさんを見に行きましたし、中学校の時には湘南のキャンプも見に行きました」

Q.Jクラブの練習を見て、刺激を受けましたか?
「いや、当時は遠すぎる存在だったので。ただのサッカーファンとして見にいくだけで、そんなに刺激を受けることはありませんでしたし、プロを目指そうと思うことはありませんでした」

Q.とはいえ、大学1年で急にプロを目指すというわけにはいかないと思います。高校までもかなり努力していたのでは?
「高校まで『プロになりたい』と言ってはいましたが、どちらかというと、夢物語みたいな感じでした。大学1年生の時に1学年上の長谷川雄志さん(現徳島)と出会ったことやプロと接する機会が増えたこともあり、本気でプロを目指そうと思いましたし、サッカーでお金を稼ぐことを決意しました」

Q.そこから自分の中で変えたことはあったんですか?
「1日1日の練習に対する意識や日々の過ごし方が変わりました」

Q.具体的にどんな感じで変わりました。
「1年生の時はあまり試合には絡んでなかったのですが、上手くなりたいという一心で、1日1日の練習を取り組んでいました。『プロになりたい』という大きな目標を持ちながらも、1日1日を大事に過ごしていた結果、プロになれたんだと思っています」

Q.自分の中で変化を感じましたか?
「正直なところ、1年生の頃は試合に絡めてなかったので、不安な気持ちがありました。でも、2年生になって試合に出だしてからは、取り組んでいたことの成果が発揮されるようになって、目標に向けての決意が芽生えていきました」

Q.実際に現実味を帯びてきたのはいつぐらいでしたか?
「なかなか現実味は帯びませんでしたね。4年生の時は不安で、監督に『どこかから練習参加の打診は来てませんか』と聞きに行くこともありましたし、『どこかに練習参加行かせてくれないか』とお願いすることもありました。そして、はじめて練習参加したのが水戸だったんです。その後に福島に参加して、福島に加入することが決まりました。それまで就職活動もしていなくて不安の日々を過ごしていただけにすごく安堵したのを覚えています」

Q.挑み続けたことが形となりましたね。ただ、プロになってからがさらに大変だったのでは? 目標を達成してから新たに挑み続けたことは?
「福島では右サイドバックで起用されることが多く、それでも試合に出てることが幸せでした。右サイドバックを極めようとて思っていました。その経験が今ボランチでプレーする際に生きていると感じています。自分にとって大きな1年でした」

Q.2年目は宮崎に移籍します。
「宮崎からボランチとして起用したいというオファーが届いたんです。自分としても、やはりボランチとして勝負したいという気持ちがあったので、移籍を決断しました」

Q.故郷のチームの一員としてJリーグの舞台でプレーできたことはすごく大きな経験になったのでは?
「めちゃくちゃ大きかったですし、楽しかった。すごく成長できている実感があって、本当に嬉しかった。とにかく成長させてもらった1年間でした」

Q.具体的にどういったところを成長できたと感じましたか?
「サッカーの戦術理解や考え方ですかね。すべてにおいて成長させてもらいました。パターンがあるわけではなく、相手によってどういう立ち位置がいいのかとか、戦術面で細かいことまで教えてもらい、その中で選手たちは伸び伸びプレーして、たくさん得点を取ることもできた。ものすごく充実した1年でした」

Q.その活躍が認められて今季はJ2の水戸に移籍してきました。上のカテゴリーのチームに移籍したことについてどのように感じましたか?
「大学時代に練習参加した際、J2のレベルの高さを痛感させられました。その場所で、年間通して試合に出続けることができたことをうれしく思っています。たぶん、1年目で水戸に入っていたら、試合に出ずにプロ生活は終わっていたと思います。段階を踏んで上がってきたからこそ、通用していると感じますし、この歩みに価値があると思えています。こうしてJ2の舞台で試合に出続けられていることを幸せに感じますし、とても充実した日々を過ごすことができています」

Q.水戸ではどういうことを挑んでいますか?
「毎年やることは変わらないんですよ。試合に出るために1日1日一生懸命練習することしか考えていません。その中で自分がどこまでレベルアップできるのかを試しています」

Q.初のJ2の舞台。通用する部分と課題の部分をどのように感じていますか?
「どちらも感じていますけど、自分の中でこれだけJ2の舞台で試合に出ていることは自信になっています。まだまだ上に行けるんじゃないかという可能性も感じることができています」

Q.昨季よりも視界は広がっている?
「めちゃくちゃ広がっています。でも、それを広げ過ぎるのもよくないと思っています。1年というより、1日1日、1回1回の練習を大事にすることしかレベルアップする方法はないと思っているので、その上でさらに上に行けたらいいと思っています」

Q.1日1日、このミッションを大切にしながら練習に臨んでいるということなんですね。
「そうです」

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Q.次はビジョンについて聞かせてください。「困難な状況でも諦めることなく、誰もが挑戦し続けられる社会」。この言葉はいかがでしょうか?
「自分はこうサッカーを続けられるか分からない時もあったんです。その時のことを思い出して、こういうビジョンにしました」

Q.「サッカーを続けられるか分からない時」はいつだったのでしょうか?
「大学に入る時です。経済的な問題があって、大学進学が難しい状況だったんです。サッカーを続けられるかどうかも分からない状況だったんですけど、周りの人の支えでなんとか大学に行かせてもらうことができて、その結果、プロになることができたんです。そういう思いを込めた言葉です」

Q.そういう状況を経て大学進学したからには「プロにならないといけない」という思いが強かったのでは?
「もちろん、強かったです。誰もがいい環境でサッカーできているわけではないと思うんですよ。いろんな問題でサッカーを続けられなくなってしまう人も少なくないと思います。それでも諦めることなく、サッカーや自分の好きなことを続けられる社会環境を作っていきたいという思いがあります。なので、今もその時の思いと感謝の気持ちを持ってサッカーに打ち込んでいます」

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Q.次はバリューについて聞かせてください。3つありますね。1つ目が「1日1日を大切に」。先ほども話がありましたね。
「先を見据え過ぎるのではなくて、今のこの瞬間を大事にすることを常々意識しています。それを言葉にしました」

Q.それをやり続けてきた自負というのがあるということですか。
「あります。なので、今、ここに立ってると思っています」

Q.2つ目は「自分に適度な言い訳をする」。この言葉はメンタルを保つためにすごく大切な言葉なような気がします。
「自分は一人で考えたらネガティブになっちゃうタイプなんです。自分のメンタルを保つために、自分の中に言い訳を作っておかないとすぐマイナスの方向に行ってしまう。自分のメンタルを維持するためにもこの言葉を大切にしています」

Q.世の中的には「言い訳をしてはいけない」という考え方が強いと思います。でも、それで自分を追い詰めて苦しむよりも、自分に多少逃げ道を作っておくことも大事なような気がします。
「本当にそうなんですよ! ただ、勘違いしてほしくないのは他人になすりつけるという意味ではないということ。あくまで自分の中で解決するためであって、自分の心の中で整理するためのことであり、メンタルをマイナス方向にしないための考え方なんです。これは、今まであまり人に言えなかったことですね。今回はじめて言葉にしました」

Q.本当に大事なことだと思います。多くの人に伝えたいですよね。そして3つ目は「周囲への感謝」。
「高校卒業後、サッカーを続けられるか分からない状況になった時、周りの人が支えてくれたおかげで今の自分があります。その感謝は絶対に忘れません。これからサッカーを通して恩返ししたいと思っています」

Q.前田選手の人生におけるターニングポイントとなりましたね。
「周りの人がいないと乗り越えることができなかったと思っています。そういう意味で、昨年宮崎に在籍して、Jリーグの舞台でプレーできたことは大きかった。高校生の時も大学生の時もプレーを見せる機会はありましたが、プロとしてプレーする機会は昨年まではなかった。だからこそ、最初の年に宮崎でプレーできて、自分の成長した姿を見せられたこともよかったと思っています」

Q.今季は宮崎を離れて水戸でプレーしています。水戸で活躍することが宮崎の人たちへの恩返しとなりますね。
「今年自分が活躍することによって、テゲバジャーロ宮崎のクラブの価値も上がると思いますし、宮崎県の価値も上がると思うので、これからより一層活躍したい。そして、宮崎に恩返ししたいと思います」

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Q.最後にスローガンについて聞かせてください。「信じる強さ」。この言葉に込めた思いは?
「いろんな意味が込められてるんですけど、サッカーをやめずに自分を信じてここまでやってきました。これからも自分を信じて、レベルアップしていく。そういった意味で信じる強さという言葉を大切にしています」

Q.高校から大学に上がる時『サッカーを続けたい』思いと『プロに行きたい』思いのどちらが強かったのでしょうか?
「その時はただサッカーを続けたい思いが強かったですね。長谷川先輩との出会いがなければ、プロになれているか分かりません。自分の人生を振り返ると、節目節目というか、いいタイミングでいい人と出会うことができているんです。今プロになれているのも、たくさんの運命的な出会いがあったからこそ、いろんな人に感謝しながら、これからもサッカーを続けていきたいと思います」

Q.今後についてどのように考えていますか?
「あまり上を見すぎることなく、今いる環境で自分を信じてやるしかない。1日1日うまくなりたいっていう思いを常に持っていますし、自分ならできると思ってサッカーをしています」

Q.残り試合少なくなりましたけれども、意気込みをお願いします。
「北関東ダービーも残っていますし、上位との対戦も残っている。まだまだまだ自分はやれると思っているので、自分を信じて、もっとチームを勝たせられるように頑張りたいと思います」
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著者プロフィール

Jリーグ所属の水戸ホーリーホックの公式アカウントです。 1994年にサッカークラブFC水戸として発足。1997年にプリマハムFC土浦と合併し、チーム名を水戸ホーリーホックと改称。2000年にJリーグ入会を果たした。ホーリーホックとは、英語で「葵」を意味。徳川御三家の一つである水戸藩の家紋(葵)から引用したもので、誰からも愛され親しまれ、そして強固な意志を持ったチームになることを目標にしている。

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