スポーツと人材育成(外池大亮/ア式蹴球部監督×大田尾竜彦/ラグビー蹴球部監督)早稲田スポーツ『44の円陣』 

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【早稲田スポーツ新聞会】

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【早稲田スポーツ新聞会】取材・写真・編集 水島梨花、森田健介、栗田優大、谷口花

ア式蹴球部外池大亮監督(平9社卒=東京・早実)とラグビー蹴球部大田尾竜彦監督(平16人卒=佐賀工)。共に選手として早大を卒業し、プロへ進んだ。なぜ、監督として早大に帰還したのか。40代と指導者としては若い2人は、未来の大学スポーツの姿をいかに見つめているのだろうか。変わりゆく環境と戦いながら歴史ある部を率いる両監督の核心に迫る。
 ※この取材は6月10日に行われました。

ア式マスコットキャラクター、アルフにタックルする大田尾監督(左)と外池監督 【早稲田スポーツ新聞会】

――自己紹介を簡単にお願いいたします

外池 ア式蹴球部で監督をしています、外池と申します。47歳になります。高校は早稲田実業で、早稲田大学の社会科学部に進学しました。大学ではア式で4年間プレーしまして、そこから11年間Jリーグの方で7クラブでプレーさせていただきました。33歳で引退をして、その後は企業人として広告代理店の電通で5年、今の現職であるスカパーに今年で10年、監督としては5年目のシーズンになります。今は会社員でありながら、業務委託契約という業務の一環として監督をやらさせていただいています。

大田尾 ラグビー蹴球部の監督をしています、大田尾と申します。高校は佐賀工業でプレーをし、2000年に当時のトクトクという推薦の第1期生として入学しました。2004年に卒業し、その後は社会人のヤマハ発動機ジュビロ(現・静岡BR)で13年プレーしました。引退後はヤマハでコーチを3年務めまして、今年は監督2年目のシーズンとなります。外池さんと違い、僕は1社でプレーし続け、隣がジュビロ磐田でしたので、どのようなトレーニングをしているかなどに興味を持ちながら活動していました。現職に就く際には、非常に責任感があると同時に、僕の人生の恩師であります清宮克幸さん(平2教卒)に出会ったのも学生の頃で、僕も学生に少しでも影響を与えられたらいいなという思いで活動してます。僕は大学と契約し、業務委託というかたちで大学生を指導しています。

――お互いの部活に対して何か学生時代の印象はありますか

外池 僕が学生時代、東伏見のサッカー場の隣のグラウンドがラグビー場でしたので、ラグビーボールが飛んできたり、サッカーボールが飛んで行ったりしましたね(笑)。当然お互いに土のグラウンドでしたので、土臭い感じでした。接点でいうと、伏見の部室や風呂場を共に使っていました。その水がいつも泥水のような感じでしたね(笑)。休日になると、ラグビー部のOBの方たちが大勢観戦に来ていて、エネルギーのある部だなと思っていました。僕自身、早稲田を目指そうと思ったのが、1987年の大学生が最後に日本選手権を優勝した代、まさに清宮さんが2年生の頃の試合を中学生の頃に見たことがきっかけです。当時から「いい大学に入れ」など言われていました。いい大学ってなんだろうと考えた時に、大学生が大人に勝っていくパワーを目の当たりにして、「大学に行くなら早稲田だな」と思って早実に行ったような流れでした。僕自身ラグビー部にはとてもインスパイアされてきました。練習も東伏見でラグビー部とと隣で練習してきたこと、3年前には清宮さんと対談させていただいたこともあり、非常にご縁がある部活だと思います。

――ラグビー部に入る選択肢はありませんでしたか

外池 それはありませんでした(笑)。ずっとサッカーをやってきましたし、体格も違います。ラグビーは近いけど遠い競技だなと思っていました。選ばれた特別な人がやる競技だなと思っていました。高校時代も早実でラグビー部はありましたが、大学とは印象が大きく違っていたので、ラグビー部に入ることは考えてもいませんでしたね(笑)。

――大田尾監督から見て、学生時代のア式蹴球部に対するイメージを教えてください

大田尾 僕が小学校6年生もしくは中学1年生のときにちょうどJリーグが始まり、国の中でもサッカーはすごく盛り上がっている時期でした。サッカー部の選手と話をすると頭の中がとてもクリアで、意識がすごく高く、その部分に大きな違いを感じました。高校日本代表の合宿に行った際も、いつもJリーグのユースの例を挙げられていたことを覚えています。「『君、サッカーをやっている目的は』と聞くとどんどん返事が返ってくるよ」と。しかし、僕たちに目標を聞かれても「はぁ」という感じでしたので(笑)。そうしたことを高校時代から経験してきたので、(サッカーには)クリアでスマートな印象があります。また、今でこそ女子ラグビーはありますが、サッカーは(当時すでに)女子スポーツとして確立されていました。男子と同じコートで入れかわりで女子も同じコートでプレーしているのが不思議な感覚がありましたね。「お互いの部で会話することはあるのかな」と感じたり、プレーを見たりしていた記憶があります。

大学サッカーの現状について語る外池監督 【早稲田スポーツ新聞会】

――監督ご自身は早大時代に部活動にはどのように取り組んでいらっしゃいましたか

外池 早実から入部で、早実は一度も全国大会に行ったこともありません。ただ、大学生と同じグラウンドで練習させていただいていたこともあり、大学生の姿を近くで見ていたので、全国からトップレベルの選手が集まり、当時オリンピック代表のような選手を目の当たりにしました。当時は「すごく距離感があるな」と感じていましたが、たまに下のチームと練習試合をさせていただいたときに、「届かなくもないのかな」と感じました。いざ入部した時、「4年生の早慶戦で4年間頑張ったから最後の1分出してあげよう」という感じで出られればいいかなという感じでしたが、運よく1年生の早慶戦から試合に出させていただけました。その意味では劣等感の塊の中で4年間過ごしていましたね。今、試合に出られていても来年すごくうまい選手が入ってくるだろうななどと考え、こうした一つの劣等感が逆に自分を戒めてくれていた、成長させてくれました。それによって着実に、今何しなければならない、何を強みにしていくのか、どう他の選手と違いを作っていくかなどを考える感覚は相当磨かれました。僕自身はJリーグには到達するような選手ではないと思っていたので、どちらかというとそのまま就活をしようと思った段階で、オファーをいただきました。大半の9割近くの選手は企業人になっていきます。サッカーだけでなくこれから日本を担っていくいろいろなベクトルを持つメンバーがそろっている中で優勝を達成できました。サッカーでは引っ張っていましたが、他の部分では周りに引っ張ってもらっていた4年間だったなと思います。

――プロのオファーが来たのはいつごろですか

外池 大学3年の終わりですね。1年から試合には出させていただいてはいましたが、関東選抜などには選ばれず、3年が終わるタイミングで関東選抜、全日本大学選抜に急に選ばれ始めました。その流れの中でオファーが来たので、そこからですね。そこまでは就活していました。企業チームが当時はまだあったので、そうしたチームでプレーできればいいのかなと思っていましたね。

――大田尾監督ご自身は早大時代に部活動にはどのように取り組んでいらっしゃいましたか

大田尾 僕は推薦で入ったこともあり、自分で言うのもあれですが、「1年生から試合に出なければならない」という責任があったので、部活というよりも一つの使命として、「絶対に1年目から試合に出て影響を与えないといけないな」と思って入学しました。入ったはいいものの、早稲田は今もそうですが、推薦がほとんどいない中で、みんなが他の進学校から来られていたので、バックグラウンドが人それぞれ違い、そこのギャップをとても感じました。ただ、『荒ぶる』という一つの目標のためにみんなが全力でやっていくことは、先輩を見ていても、「めちゃくちゃ下手だけどなんで全力を出せるのだろう」という部分に引っ張られて過ごした記憶があります。入部当初はあんまりうまい人はいないなという感じでしたが、夏を越えて秋になると先輩たちの姿に引っ張られている自分がいて、「なんだここは」という感じで1年目を終えました。2年目になり、清宮さんがやってきて、それまでとはガラッと変わって最先端のラグビーが導入されて、あれよあれよという間に強くなっていくし、3年の時に13年ぶりに優勝をして、本当に競技場が一体となる不思議な感覚を覚えています。4年生になって「連覇だ」ってなったら、関東学院がとても強くてぼこぼこにやられたのですが、その時も周りを見ると一生懸命やってきた仲間が。外池さんと同じで僕もラグビーは引っ張っていましたが、人間的な部分では周りのメンバーに引っ張ってもらっていたので、バックグラウンドの異なる者同士が一つのものに向かって情熱を注ぐ体験は非常に素晴らしいなと思えた4年間でした。

――大学当時と指導されている現在で、部の雰囲気の違いはありますか

外池 僕が高校3年生のときにJリーグができて、30年になります。生まれた時からJリーグがある子どもたちが入ってくるので、W杯5大会連続出場のような、サッカー界のピラミッドが良くも悪くも出来上がってしまっている環境です。そこに乗っかって来ている結果、大学サッカーが一つの通過点に位置付けされてしまっています。サッカーのスキルや技術は上がりましたが、いろいろなバックグラウンドを持つような選手が入ってくることが薄くなってしまったなというのが正直な感想です。僕の当時はリフティングが5回もできないような選手がいました(笑)。陸上部出身だったり、どう入部試験受かってきたんだ?という選手はいましたが、今は逆にそこまで到達しないという感じです。ベース自体がある程度高いところにないと関われない、というのは大きな違いだと思います。

――気概の指導は

外池 とても難しい部分ですね。自分の「あの頃」という話は伝えたところで伝わらないです。その意味ではOBの方に来ていただいてお話をしていただくことは意識的にやっています。先日も、僕が現役時代に監督だった方に来ていただいて話をしていただきました。選手は「不思議なことを言っているみたいな」反応をしていました。当たり前のように堂々とお話をしていただいたので、そうしたことをしていかないと継承されていかないものなのかなと思います。言葉だけで伝えようとしても、なかなか落とし込めないものなので、点と点をつなぎ、さらに今のサッカー界での指導法にフィットしていかなければならない、難しい部分です。また、Jリーグのユースから上がってくる選手と高体連から来る選手が半分以上です。そうすると指導者もプロ経験がある人たちなので、だいたい技術や戦術は教わってきています。改めて「なんで大学に来たのか、なんで早稲田なのか」という存在意義を追求してもらうようにしています。そこがうやむやな子は伸びないと見ていてすごく思います。

――指導方針で当時との違いはありますか

大田尾 変わらないです。『荒ぶる』を目指すということは、部の中の長年経ってもブレないものなので一緒だと思います。

――外池監督は指導方針や指導理念の変化について感じるところはありますでしょうか

外池 サッカーはこの30年でめちゃくちゃ変わりました。サッカーの(世の中での)位置づけみたいなものが変わりました。理念もそれに合わせて変えなくてはいけません。変えるためには自分たちが理念をつくりにいくという考えがなくなってる時点で大学スポーツとしての気概がないなと思います。ビジョンこそ自分たちが決めるとか、ビジョンに対してどう向き合うかということを自分たちでしっかり落とし込めるような環境づくりを、特に今は意識しています。当時はまさに言われた通りにやるしかないとか、理不尽をとにかく受け入れるとか、そっちの方が強かったです。また、精神論というか、そういうものを超えた先に社会で活躍する道があるんだ、みたいな時代でした。社会環境も変わってきてサッカーがより公的なものになったというか、グローバルかつ一般化したので、そこにフィットしたかたちで自分たちが立ち位置をつくらないと認めてもらえなくなってしまうと思います。そういう意味ではそこの変化をよりしっかり認識してもらえるように働きかけはしています。

――卒業後はお二人ともプロに進まれましたが、プロになってから、あるいは社会人になってからという部分で大学での4年間が生きたなと感じる部分はありますか

大田尾 僕はやはりみんなで1つのものをつくるということは非常に生きていますし、そのために共通の言語だったり共通の価値観があります。そうしてお互いを認め合うというのは社会人、プロになって非常に生きたかなと思っています。

外池 僕は大学最後の年に20年ぶりに優勝しました。とはいえ、卒業する時は早稲田が大嫌いになってました。理不尽さとか、早稲田の先輩から言われるいろんなこと、「うちのチーム来い」とか、そういういろいろなバイアスのかかり方に自分がだいぶ抵抗感を持っていて。「早く早稲田から出たい」という気持ちで卒業していったんですよ。だから僕は早稲田の人がいないベルマーレ平塚(当時、現・湘南ベルマーレ)というチームを選びました。他にも3チームくらいからお話しはあったんですけど、早稲田のOBの人がフロントにいて「お前早稲田だから来るよな」みたいな感じになっていて、「そういうのじゃないな」って思いました。そういう意味でいくと、抗っていたなと。ただ、サッカー界とかJリーグに行ったり、その後企業で勤めさせてもらってサッカー以外の仕事をする中で、改めて早稲田のコミュニティーの強さを感じました。また、慶応の人たちとのつながりも実感し、早慶戦の意味をかなり感じました。なので、こうやって監督としてやることになった時に大嫌いなところに一巡して帰ってきたな、みたいな感じです。その話を田中総長にしたら「なんかそれおもしろいね。大嫌いなやつが戻ってくるのが早稲田みたいなもんだよね」と言われて。自分は意外と早稲田っぽかったのかなと思ったりはしましたね。

――早稲田が嫌いだったというお話もありましたが、早稲田の監督を選ばれた理由はどこにありますか

外池 やっぱりそういう選手の一つの経験もそうだし、企業人の経験もいろいろな場所でさせてもらいました。ちょうど僕はスカパーにいたのでメディアとして大学スポーツも少し取材していました。その中で、大学サッカーはどうなのかなと久々に、20数年ぶりくらいに東伏見に行きました。慶応と早稲田のどちらを取材しようかなと考えて下取材に行ったら慶応は結構おもしろかったです。ですが、早稲田がすごいつまらなくて、要は変わってないというか、すごく殺伐とやっていたんですよね。いい意味では厳しいのですが、みんながピリピリとし合っててサッカーの伸び伸び感というか、そういうのがなくて。それで慶応の番組を作っちゃったんですけど(笑)。大学サッカーは僕らの時って8チームで、リーグ戦は秋だけで一つの試合の重さがめちゃくちゃ重かったのですが、今は前期と後期があってとにかくずっと試合をしているんですよね。だから強化という意味ではすごい強化になるのですが、回すことが主になっていて試合のための練習をずっとやっているから、文化を落とし込む時間が本当にないです。今や夏合宿もできないですし、そういう空気感も含めて、ちょっとサッカー軸が強すぎちゃって他の大学と変わらない、他の大学との違いをつくりづらい環境になっているなと思いました。「やっぱりこれじゃいけないんじゃないですか」みたいな話を偉そうに言ってたら、「じゃあお前やれよ」って(笑)。それでこうなったということです(笑)。

――太田尾監督はどうしてラグビー部の監督に就任されたのですか

大田尾 僕が人生を振り返った時に、やっぱり清宮さんとの出会いが大きかったです。こういうように人の人生に対して影響を与えられるような大人になりたいなとすごく思っていました。それでラグビーをスポーツチームでやって、指導者になっていって、一番影響を与えられるのは監督だと思ったんですよね。やってみてくださいって言われたら、やりたいなと思っていました。当然これは来るかどうか分からない話なので、自分から手を挙げてなれるものでもないです。大学の方々やOBの方々がいろいろな議論を重ねられて僕を監督に就任していただけないかということで、やりますと、すっと答えが出てきましたね。

――お互いの話を聞いていて何か質問などはありますか

大田尾 部員ってユース上がりがほとんどなんですか? 90人ってホームページで見たのですが、一般で入ってくる子ってもうほとんどいなくなっちゃったんですか?

外池 いなくはないです。門戸は基本的に誰にでも開いていて、一浪して入ってくる子も若干名いたりとか、それこそ付属の子ももちろんいます。附付属は例えば、中学校の時にスポーツ推薦で早実に入ったとか、大体その周りより能力が高い子が流れで入ってくるという感じは多いですね。ただそこの広がりは守りたいなと思っています。昔は7、8人は変なやつが来ていたので(笑)。今は1人2人くらいしかいないですけど。あと、今一番変わったのは学生スタッフがかなり増えたことですね。そこは結構僕が意図としていて、サッカー部ですが、サッカーが産業としても大きくなってきていて、サッカーの関わり方って広がっていきます。大学生になればマネジャーみたいなところも、選手のサポートだけではなく、広報とか渉外担当とか、今はYouTube担当もいます。そういう感じでいかにサッカーの可能性を自分たちでつくりあげていくか、競技ということだけではなく、運営も含めた可能性を提示した時に結構いろいろな学生が発信したら、それによって反応が多くなりました。ア式でこういうことがやってみたい、ア式をもっと有名にしたい、集客したいとかそういう思いを持って関わりたいという子が増えてきたので、そこの人数が15、16人くらいいるのでその子たちは一つのパワーかなと思っています。

大田尾 うちも学生スタッフいますけど30人くらいいるんですよ(笑)。

外池 ラグビー部全体では何人いるんですか?

大田尾 部員が今120人で、学生スタッフが30人なので150、160人くらいですかね。

外池 サッカー部は今100人くらいでそのうちの15、16人くらいが学生スタッフって感じなんですよ。30人って役割はどうなっているんですか。

大田尾 メディカルの子たちと、レフリーと、S&Cと、女子マネジャーですね。おっしゃっていたYouTubeとか渉外とかもうちは全部女子マネと、主務がいるので(そこがやっています)。うちのスタッフは基本的にはグラウンド寄りのスタッフが多いです。グラウンドをサポートしたり練習動画を出したりするというのが多いですね。90名ぐらいだと一回の練習で回せるんですか。

外池 いやいや、回せないですね。大きく2チームに分かれていて、トップチームが結構少なめになっているのでBチームの方が2つに分かれて練習しているという形で大体3チーム編成ですね。サッカーは関東リーグというトップのチームとIリーグという一つ下のBチームリーグみたいなものがあって、もう一つが社会人リーグです。サッカー登録でいうと一種という大学生も社会人もどれも全部同じカテゴリーになっています。要はJリーグがあって、JFLがあって、地域リーグがあって、これが全部つながっているので、そこの東京都リーグというところに位置していて、そこに1つチームを持って活動しています。

大田尾 大変じゃないですか(笑)?

外池 はい(笑)。でもそれも僕が来てからそこに参入していこうとなりました。その意図も、世の中的に見たら大学生がそういうところでやっていることだったり、当然大学生年代でプロになっていく子たちもいます。そういう意味でいくと社会人リーグはちょっと先輩と対戦したいとか、企業に入ってチームの中で活躍したいとか、クラブチームに入ってる人とが一緒に伏見で公式戦をやるということは学びとしては非常に大きいかなと思っています。生涯スポーツというかたちでサッカーを捉えてほしいという思いがあるので、そこはサッカー特有の文化のつくり方としてはとても大事かなと思います。シニアリーグとかも含めて大学4年でもうおしまいというのではなく、その後も少しでも生涯スポーツとして、サッカーと関わっていってほしいです。

大田尾 おもしろいですよね、リーグが違うところで3チーム。僕らも(複数チーム)あるのですが、例えば今週末に日大とやるのですが、日大のA、B、Cとやるんですよ。一番下の子たちは違う大学とやるのですが、今仰っている話を聞くと、ラグビーは「対抗戦」というのがあって(試合は)それの一種、それだけなんですよ。逆にちょっと下の子たちは社会人のところでやって、そこでの優勝を目指させるとかそういうのがあってもいいんだなというのをお話を伺って思いました。可能かどうかはちょっと分からないですけど(笑)。いろいろなところに目指す場所があって、最後はみんなが国立の試合に決勝で出たいっていうのは当然そうなんですけど、そこをパフォーマンスを出してアピールする場というのがいろいろなところにあって、それがいろいろな方に見られるというのはすごく良いことだなと勉強になりますね。

外池 ラグビーとしては、今はトップリーグができているとかいろいろ難しいところもあると思います。ちょっと大学サッカーとは関係ないのですが、やっぱりわれわれもJリーグが何をしてるか、そこの基準だったり一つの視座みたいなものは大事にしなきゃいけないと思っています。ラグビーとしてのトップリーグとの関係性や大学とのつながりみたいなものはどういうところにあるのですか。

大田尾 今、実は全くないです。トップリーグの試合の観客数よりも大学の観客数の方が多かったりします。やっぱり実力ってサッカーもそうだと思うのですが、日本代表の試合が一番観客数がすごくて、その次にJリーグでって、そういうふうになっていくと思います。人気と実力がラグビーはイコールではないので、そこで協会同士がいろいろあるのですが、ゆくゆくはおそらく大学のラグビー界も日本協会が目指してるところにどんどん寄っていくのかなというのは、感じてはいますね。なので、一回り二回り遅れてサッカーの後をちょっとついていってる感じはすごくあります。大学のスポーツというところでどう魅力を出していくかというのは、今はいいのですが、10年後20年後というのはすごく課題なんだろうなというのはありますね。今はもう上のリーグは日本人選手を探すのが難しいくらいで、15人中5人とかしか出ていないです。僕らの時だったらこのレベルの選手は間違いなく声がかかっていただろうなという選手が全く声がかからなくなってきています。それぐらい企業も日本人の学生を採用する時にかなり狭く採用してくるので、そこをゆくゆく、日本協会の人たちがどういう姿を学生に見せて、どういう未来をもっと下のキッズたちに見せるのかなというのは大学の現場としては非常に注目してますし、そこははっきり協会の人に出してほしいなというのは思いますね。

指導方針について語る大田尾監督 【早稲田スポーツ新聞会】

――指導者として、学生を指導する際に自分の中で軸としている信念はありますでしょうか

外池 まず、監督になる時に「監督」というものは何だろうかと考えました。そして、1つは、マネージメントだなと。僕は「指導者」という言葉があまり好きではありません。いろいろな監督さんに現役時代を通してもお会いしましたし、メディアとしても何人もの監督さんにインタビューを行い、取材をさせていただきました。大学サッカーにおいて指導者というのはちょっとサッカーに偏っているなというように思います。どう組織を作っていくか、チームを作っていくかという担い手としての役割で自分を存在させるべきだなと感じています。まずは、しっかりとマーケティングをしました。今の学生はどのような人たちが集まってここに来ているのか、自分たち早大だけじゃなくて、大学サッカー全体がどのようになっているのかということを分析しましたね。今もそれをアップデートしています。あとは先ほども出ていたように大学生は主体的であるべきです。「主体性」がポイントであると思っています。彼らは既に高校までにいろいろなことを教わってきています。また、ユースの子たちは、Jリーグでのやり方を知っています。彼らは、(Jリーグの選手と)同じようにやれます。レベルもそうですし、あとはちょっとした体格であったりスピードだったりなどの能力の違いで上がれたか上がれなかったかというだけです。しかし、大学に来るとなったときに、それをどう自分たちの手で作り上げていくかという部分が大切になります。自分のプレイヤーとしての方針や姿もそうですし、やはりチームの中での主体性が大事だなと思っています。僕は主体性を常に伝えるようにしています。主体性には『責任』と『アイディア』の2つの要素があります。選手は「俺はマリノスユースから来たからマリノスはこうやってた」的な話はありますね。大体の場合、マリノスと浦和と柏はめちゃくちゃその色が強いです。もうとにかく譲らないです(笑)。「これがサッカーだろ。それはサッカーじゃないよ」みたいな感じで(笑)。高体連はとにかく頑張るという感じ。「よくわからないけど、こっちかな」みたいに追随していくのが高体連ですね。このように、いい意味ではそれぞれ色があります。異なるバックグランドを持った選手がガッチャンコするので、主体的でないと埋もれていってしまいますし、染まってしまいます。「結局、俺って、何だったんだっけ」というようになってしまいます。なので、『アイディア』に関しては、それぞれ好きなようにという感じです。『責任』ということになると「早稲田として」という部分になってきます。(早稲田には)伝統と歴史があります。その中で自分のアイディアを発揮するためにどうやってコミュニケーションを取っていくのか、どういうふうに信頼を作れたのかという部分が『責任』という部分になると思います。以上のように「責任」と「アイディア」を2軸にして選手に伝えるようにしています。指導とか技術論みたいなところは基本ないですね。

大田尾 僕が監督を引き受けると決まった時に、早稲田のラグビーって何だと自分自身を振り返りました。まず「荒ぶる」というものがあります。しかし、言語化された、可視化されたものがないなと思いました。そこでなぜ早稲田ラグビー部って応援されるんだっけと考えさせられました。それは、文武両道ではないですけど、やはり「荒ぶる」というものを一生懸命ラグビーをやって追いかける姿と人間として成長していく姿にあるのだと思いました。つまり組織の中で、ラグビー軸と人間軸を成長させていくという部分です。この2軸を掲げた組織であるということが早稲田ラグビー部が今まで応援されてきた要因であります。そこをいろんな人の手を借りながらこの2軸をしっかり出来るようにして、こういうふうにやっていこうというので見ました。学生たちが今このような成長曲線を辿っているというのをラグビー部としても一学生としても持てる。そのような組織作りをしたいです。元々、あったものを紐解いただけでもあるのですか、それをこういう組織でやるということです。現場のレベルで言うと、学生時代の苦い思い出と言ったら変なんですけど、本当に清宮さんの言うことだけをやっていれば勝てたですよね。本当にそう言う時代だったんです。なんかあれよ、あれよと勝ってしまうみたいな。そしたら、僕が大学4年生の時にあまりにも言われたことをやると勝つから4年生たちが考えるのを停止していた時期があるんですよ。でも、やはり試合中になると困難な時は自分達で考えながらやっていかないといけません。今振り返ると、成長が止まっていたなと感じています。ベルトコンベアに乗って、ただ運ばれていっているだけだというのは良くないと思います。それを振り返り、学生たちに伝えるときに意識していることがあります。ラグビーとしてどこに到達するかを迷わせてはいけないが、考えさせるのを辞めさせてもいけないという点です。そこの塩梅にはとても気をつけています。先ほども早稲田の特徴として述べましたが、みんなものすごくスマートです。練習でピッとやったらすぐに綺麗にやるんですよね。なので、あえて練習の中に間違いを作っています。人数などを本来の人数でない人数でやらせると、彼らはすごい違和感を抱くんです。その時に、考える。「これ、おかしくないか」と。それで勝手にマーカーを直したり、数を変えたりしています。このようにスマートな子たちにあえてちょっと居心地の悪さを与えるようなことは心がけてはいます。

――社会貢献活動、地域貢献活動を行なわれています。スポーツをやるだけという選択もある中で、このような活動をされている理由はどこにあるのでしょうか

大田尾 やはり片方だけやるというのは楽なんですよね。あえて2つのことをやって、自分自身にプレッシャーやストレスをかけることで人は成長していくと思っています。やはり、本当のトップの選手になると競技じゃない部分も本当にしっかりとした意志を持ってるんですよね。選手としての出口を見たときには、そのような選手の方が伸びます。自分自身でいろいろなことを整理しながら、「これはこのようにやっているんだ」と常に自分の中で自分の成長が分かるようにする。そのような状態にあると、学生としても選手としても伸びると思います。スポーツだけでなく社会貢献活動、地域貢献活動を行うということを僕はそのように位置付けをしていますね。あとは、使命として、これだけ多くの人に見られているのが早稲田です。そこでいろいろな経験をして、世の中に対してというと大袈裟ですけど、知っている方に影響を与えていかなくてはいけないなと思っています。

外池 われわれも地域や学内も含めてサークルや留学生と交流したりということを行っています。最近はできていなかったのですが、この夏から再開します。サッカーというもの自体が常に地域だったり社会に開かれているものだからこそ、このような活動をやるべきです。そこを知らずして、サッカーを語るわけにはいかないです。サッカーをやっているという実感を持たなくてはいけません。社会との接続という面でも社会や地域に触れていくというのはラグビーの話でもありましたが、とても大事だなと思っていますね。やはり、われわれはグラウンドを使っています。早大の中にもサッカーサークルはいっぱいありますし、ラクロス部も同じグランドを使っています。コロナ禍で色々な学生が設備に対して困っています。そのような状況で、自分たちがホストとしてグランドや施設をオープンにしていけたらと思います。自分たちから率先してアプローチしていくみたいなところは(グランドを使わせてもらっている)立場としてやっていきたいですね。そのようなことを通して、普段の自分たちの内側でのコミュニケーションだけでは気付けない部分に気づいてほしいです。ア式蹴球部は今年で98年目になります。現在、100周年プロジェクトを4年かけて形にしていくということに取り組んでいます。初の横断プロジェクトです。そのようなところでも前後3年だけでなくて、いろいろなOBの方たちとの接点を作っています。ア式蹴球部は27回関東リーグを優勝しているのですが、24回は今65歳以上の方々なんですよ。

大田尾 なるほど(笑)

外池 天皇杯も4回くらい優勝しています。かなり昔のことなので、想像し難い世界です。変化がものすごく早いです。それを、その時々に生きた人たち、その時代だけのものでなく、みんなが今からその時を共有していく場を作っていくのが大事なのかなと思っています。それから、今の学生たちが選手として、社会人として、社会に対してどのように思いを持って巣立っていけるかということは大事かなと思っています。そういった意味で、社会とのつながりは大事にしていますね。

――大学スポーツの特徴としてそのスポーツを続けるか辞めるかという大きな選択があると思います。大学で辞めていく方も多い中で、4年間という期限でスポーツをやるという意義は何であると考えていますか

大田尾 意義…。難しいな。前提としては好きだからやるというのがあります。僕の考えというか、人生を考える時に幸せとは何かと考えると、その人の育ってきた人生においてコミュニティが何個あるのかということは大事かなと思っています。早稲田大学のラグビー部、ア式蹴球部、サークル、早スポだったり。これは、コミュニティですよね。このコミュニティの数と密度がその人の幸福度と深く関わるのかなと思っています。そのコミュニティの熱量がスポーツは分かりやすく高いです。そこら辺は4年という期限の中でスポーツをやる意義として1つあるかなと思っていますね。

外池 今のは、すごく良い話だなと思いました。(6月10日)現在、ア式蹴球部はリーグ戦で1度も勝てていないという状況です。今の4年生たちはとても苦しんでいます。すごくサッカーの能力は高い集団なんですけど、熱よりもサッカーの戦い方、戦術、技術などにより過ぎてしまっています。それがサッカーのあるべき姿かのようにサッカーにより過ぎているんです。そのような部分が強くなってしまっています。今、4年生と話すときになんかぶつかれないんですよ。今の学生たちは、仲間それぞれへの干渉度合いが減っています。要は、社会的なさまざまな分断が、あらゆるところに陰を落としています。個人としてのコミュニケーションもツッコミきれないや怒ったりできないなどで、それが顕著に出ています。本来ならば、4年生はバチバチぶつかって責任を担うという感じですが「あいつの気持ちはわからないし」、「あいつはあいつで頑張っている」とちょっとしたふんわりとしたところにいます。そのような状態で4年生が終わった時に、98年目の代として、一生の友達、仲間としてやれるのかという話を彼らに最近しました。なんとなく今をやり過ごしてしまうことで、その先もなくなってしまう。熱を帯びていない状態だと、この先あるものが生まれなくなってしまうというのは本当に学生だけでなく、社会としての課題でもあると思います。このように、生々しくグランドに来て、スポーツができるのが当たり前でなくなっている状況だからこそ、自分たちとしては熱量を持って表現しなくてはいけません。そのような使命があると思います。そのようにやってほしいなと思います。4年間やっている意味はそこにあるのかなと。最近、僕もちょうど20年ぶりくらいに同期のやつに連絡したんですよ。メガバンクに行ったやつなんですけど、銀行のことを聞きたくて連絡しました。これちょっと話長くなっちゃっても良いですか。

大田尾 全然、良いですよ(笑)。

外池 連絡先がわからなくて、仲間に一緒にコーチをやってる同期のやつがいて。彼に聞いて、この番号だよと教えてもらってショートメールでメッセージを送りました。そしたら、「間違えです」って返ってきて、タカイというやつなのですが「いやいや、タカイでしょ。外池なんだけど」とメッセージを送りました。そしたら、「外池も知らないし、タカイじゃないです」って。そこで、番号を教えてくれたやつにもう一度確認して、そいつからも連絡を入れてもらったんですよ。そしたら、「いや、連絡つながったよ。お前なんか悪いことしたんだよ。めっちゃ嫌われたんだよ。」と話してて(笑)20年ぶりくらいに連絡するのに、嫌われることは何もないのにすごい胸が痛過ぎて(笑)、なんか本当に何かやったのかなとか思いました。

大田尾(笑)。

外池 なんかすごい深く傷つきました。確認したら、やはり番号を間違っていました(笑)。たまたまフェイスブックでつながって連絡したら「おぉ、久しぶりじゃん。お前、監督やってどうなんだよ」って言ってくれて。相談にもすごく丁寧に答えてくれて、「困ったら、何でも聞いてくれよ」とも言ってくれました。ギャップで涙が出るくらいでした(笑)。その間違えた番号の人はそいつ(タカイ)が番号を変えたことをみんなが周知していなかったので、いたずら電話がすごいかかってきていたそうです。それで、それに嫌気がさして、いつも冷たく対応していたらしいです。知らない人なんですけど(笑)。やはりあの4年間でいた仲間というのは、ずっと連絡がなくても実はすごく強固なものがあると気付きました。今の4年生たちがそのようになるくらいにぶつかれているのか、シンプルに勝った、負けたもありますけどそこは大事だと思います。4年間は、そういう時間なのかなと思いますね。

――大田尾監督は卒業後、同期の方との交流はありますか

大田尾 僕はそうですね。めちゃくちゃありますね。今、スタッフ、それこそコーチもそうですし、総務のスタッフも同期が多くいます。外池さんもおっしゃっていましたが、僕がそうだったからかもしれませんが、学生にもそういうことを味わってほしいですね。やはり、コロナの影響はすごいです。昔は食堂に集まってみんなで試合など同じものを見て「ここ悪い、こここうだった、ああだった」という話をして、どんどんチームが固まっていくという感じでした。現在は、「喋るな」、「飯は4人でしか食うな」など制約があります。なので、1人でスマホを見て、1人で完結してしまいます。お互いに要求しあうことがないです。やはり、互いに要求しあうなどの熱さがチームを1つにしてきた部分でもあると思うので、コロナの影響はすごく感じますね。僕らの時代のように同じようにやるというのに難しいところがあるのかなと。そこが仲の良さと絆とどう関係するかわからないですが、その難しさは世の中的にはあるかなと感じますね。

――外池監督は話されたエピソード以外に同期との交流はありますか

外池 さっきのエピソードのやつとは仲良くないので20年ぶりだったんですけど(笑)連絡を入れたら、仲良くしてくれたんで、改めて仲がよかったんだなと思いました。1人、同期のやつでコーチを今やってるやつがいます。そいつも、当時はそんなに仲良くなかったです。僕が監督をやるとなった時に手伝ってくれるやつとかいるのかなと考えていました。そんな時に、そいつがちょうど外資系の証券会社をセミリタイアして悠々自適に生活しているという話を聞きました。とても優秀なやつだったので、連絡したら「やるよ」と言ってくれたんです。よく分からないのですが、「平日、暇してるからさ」と(笑)。それ以降、ずっと一緒にやってくれています。ベタベタしているわけではないですが、とても大事な、自分には持っていないフラットなバランス感覚を持ってくれています。矢後平八郎(平9卒)というコーチです。マネージメントコーチと言って全体を統括してくれています。実は僕よりもえらいんですけど(笑)、なんでもやってくれます。先程の20年ぶりのやつもそうですけど、やはり見ていてくれたりなど、そのようなところでつながりがあります。100周年のプロジェクトを起こしたことで、同期だけでなく、先輩、後輩と途絶えていたものが少しずつつながったり、時代ごとに分断されていたものがつながるということがあります。かつて2部や都リーグまで落ちた時代があります。その世代は、「暗黒の時代」とされ、社会に出てきていないと言われていました。しかし、そのような人たちにインタビューをさせていただいたりして、学生たちと関わってもらったりなど掘り起こしていくことが大事であると思っています。より早稲田らしさを持っているなど、そのような時代にこそ本質的なことがあったりします。そのようなことが大事なことだと思います。

――どんな選手育成を心掛けていますか

大田尾 選手育成。そうですね、こういうWAP(早稲田アスリートプログラム)とかもありますよね。そういう取り組みもそうですが、「どうなりたいのか、どういう姿になりたいのか」それにこそ本人が納得してやっていくと思います。そう言う姿を見せてくれたら、われわれが、それを支援する形にできます。外池さんも言われていましたが、「主体性」のところに訴えかけるしかないかなと思っていますね。

外池 ア式蹴球部は「日本をリードする存在になる」というビジョンを掲げています。それは今、何かをリードしているということではありません。サッカー界のピラミッドを見ても、大学生が天皇杯で優勝することは難しいのが現状です。そのような中で、この4年間を通じて「リードする存在」になっていくというのが視座のポイントです。そのためのトライアンドエラーをこの4年間でどれだけできるのかという部分が自分たちが掲げている活動の1つのミッションになっています。そのような意味では、どれだけチャレンジができるか、エラーから何を導き出せるのかがポイントです。先ほど、ラグビー部で、よくわからない熱量がある方のお話をされていましたが、僕はそのような人が大好きなんですよ(笑)。そういう選手が、スマートにサッカーをやっているところからどう変わっていくのかはすごく期待していて。2年前に卒業して、J2の群馬でプレーしている山田晃士(令3社卒=現ザスパクサツ群馬)というものがいるですが、彼の試合前のロッカーアウトしてくるスタメンを鼓舞する光景があまりにもすごいということで話題になりまして。現在、DAZNさんが彼の鼓舞する姿を撮影して、毎試合流すというビックコンテンツになっています。あいつは日本代表に必要なんじゃないか、スタメンを送り出すのにこいつが必要なんじゃないか、だからメンバーにリストアップされているという話が出るくらい熱いやつです。毎試合前に、キーパーがセットプレーの説明をするんです。彼は大学生時代、セットプレーの説明をざっとします。それから、今日の試合の位置付けみたいなことを1分30秒くらい毎試合、演説していたんですよ(笑)。そしたら、会場にいる相手チームや会場運営の人がみんな見にくるようになりました。「また、早稲田のあいつだ」って。やはりその時のチームは強いんですよね。彼は能力的には図抜けていなかったですが、そうやって自分の存在意義を作り上げて、Jリーグへ巣立って行きました。この前やっと試合に出場したのですが。出場したのは天皇杯でその試合にも勝ちました。プレーでもそうなのですが、人間として爪痕を残す。そういうところへ向かっていってほしいですね。上手いというのではなく、「早稲田の選手はそっちから攻めてきたか」みたいに世の中で新しい気付きを見つけられるような人物を育てていきたいです。 

――どういう人材を育てていきたいですか

大田尾 想像力や決断力の2つが秀でている人材が良いなと思いますね。一方で、他の大学と比べるのもなんですが、今強いと言われている大学の本当に強かった時期というのは選手もこういう感じですね(直立するような姿勢を見せる)。僕はこれを「金太郎飴」と言ってるんですよ(笑)。どう言っても同じようなことをやっている、僕はこれがすごく嫌で。個性がものすごく大事だと思っていて、芯の部分はしっかりしているんだけど少々やんちゃでも少々個性的なやつでも全然いいと思っています。そういうユニークさは失ってほしくないなというのは思います。

――限られた環境、人材という中で勝利のために必要なものは何だとお考えですか

大田尾 優勝というものに対しては他のチームとはあまりにも環境が違い、30人と推薦で毎年入れるチームではないので、そういう中でちっちゃいことに追求してこだわっていけるチームを作らないといけないですし、そのための時間と全員が同じものを見るということが必要なのですが、今はコロナの影響で取れないということがあるのでその辺の難しさは今までとは違うのかなと思います。

外池  早稲田のラグビーというのは、87年の時も全然キャラクターの違う15人が意気揚々と、こんなちっちゃい人もおっきい人もやってるのかとわけわからないほど(笑)。そんな感じでやっているので面白さがありましたね。サッカーもそのようなキャラクターが立っていないと見ていてもつまらない、面白くないので。ソルジャーみたいな人たちを育てる「金太郎飴状態」のチームもあります。それもそれで一つのかたちかなと思いますが、そこにこだわる気概とそのやり方で勝つことができるかという両軸を追究していくことが必要だと思っています。当然完成度、成熟度で難しいところもありますが、それができるのが早稲田だと思うので、構造的、環境的課題を含めてどう打開していくのか、そこら辺が社会課題を解決していける一つの道筋にもなっていくのだと思います。それに挑戦し続けることが大事かな。そこはあきらめてはいけないという風に思いますね。

和やかに対談する大田尾監督(左)と外池監督 【早稲田スポーツ新聞会】

――近年はコロナの関係だけでなく、大学スポーツの人気が陰りを見せているのではないかと思います。このような状況をどのようにお考えですか

大田尾 僕さっきコミュニティーの話させてもらったんですけど、そこがポイントかなと思ってて。例えば地元がありますよね。地元で集まるというのは成人式というようなイベントとかで集まるじゃないですか。そういうものに大学のスポーツなっていけたらいいかなと思いますよ。早稲田の人が早稲田のコミュニティというものは何か一つのイベントとしてのみんなが集まるための口実だったり、それこそお祭りですよね。というようなものにどんどんスポーツというある種の分かりやすいシンボルチックなものが根付いていくといいのかなと思いますね。だから例えば早スポで10年ぶりにみんなで早慶戦を観に行こう!というようなものがあるといいと思います。だから、大学スポーツこと早稲田というと、例えばだけどそこにいったら常に早稲田がスポーツしてるというような仕組みづくりというのが(大切)。例えば夏はサッカー、秋はアメフト、冬はラグビーというようなシンボルとしてみんなが楽しめるイベントをつくることが大学スポーツの未来になっていけばいろいろとハッピーになるのではないかと思います。

外池 大学生なので自分たちでどうしていくかというような主体、競技者としての主体だけじゃなくて、運営としての主体みたいなものを持つのと、それを部員だけではなく今日のようにラグビー部と一緒にとか、体育会全体とかでできたりすると、その熱というのもつながるし、それができるかと。また、それができれば一般学生やサークルとの寛容も広げていくこととか。早稲田に関しては、学生が4万人くらいいて、その中で寮生が5000人くらいというところの枠組みを考えても、コミュニティの、まさにタテの広がりにすごくポテンシャルがあると思います。それこそまさにJリーグとかいろいろな競技人口が減ってきている中で、スポーツの楽しみとか豊かさとか。今までは当たり前で気付かないでいた部分を言語化してみんながつないでいく、共感していくということが大事だと思うので、そこはわれわれも。サッカーの早慶戦は大学サッカーの中で一番お客さんが入る試合なんですよ。昨年も4000人くらい、それでも大学サッカーで言うと一番お客さんが入ったんです。インカレの決勝よりも。なんかそれが一つのコミュニティの強さであるにも関わらず、そういうことに当事者たちも閉ざしてしまっているので、サッカーをやれればいいとか、もしもそうなったらマインドセットをやっぱりもう一回(作り直したいかなければならない)。コロナ禍で自分たちを制限してきた時間もあったんですけど、いかにブレイクスルーしていくかということも、自分たちがやらないといけません。「やっとOKになったからやれました」じゃなくて、いや、「こういうことができるよ」とか、「もっと今から発信していく」とかいうふうにやらないとやっぱり認めてもらえない、そういう責任はわれわれにもあると思うので、そこは挑戦したいなと思いますね。

――今後の目指す部のあり方はどのようなものでしょうか

大田尾 やはり学生のスポーツというところでいくと、しっかりとした成長の場でないといけないと思うし、その中で個性をしっかり持ちながらみんなで一つの方向に向かっていくというふうなのは変わらずあり続けたいなと思います。

外池 日本の社会において、18歳から22歳は一番元気とパワーがなければいけない世代です。僕は87年にラグビー部の姿をみて、あのエネルギーによって僕は変えられた、影響を受けたんで、エネルギーをもっと発信したり発散したり表現できるようなかたちをサッカーに限らずにできることが日本の社会をよくしていくことに間違いなくつながると思いますね。全員でもう一回そこに向かうことが大切かな。環境づくりもそうだし、選手たち一つ一つの自覚とか意識みたいなところを含めて変えていかないといけないと思います。

――指導者として長期的な視点で部に何を残していきたいですか

大田尾 長期的な部分でいくと、いろいろなものが言語化されないまま継承されてきたので、僕がやっている時には、「伝統」っていわれるところの言語化っていうものをできたらいいなと思います。

――具体的には

大田尾 先ほども伝えたんですが、なんでこんなに支持されてったんだろうというものを紐解いてみたりとか、そこに対してのOBと現役の接点の作り方も、ただただ話を聞けよじゃなくて、こういうことだから話しを聞くというような、少しはロジカルなところを残せたらいいなとは思いいます。

――外池監督はいかがですか

外池 今は100周年というものに取り組んでいます。現在、98年なんです。一年一年と積み上げていくしかないなと改めて思いますし、その時々の4年生たちがその一年を作り上げていくというものが一つ残されたものなんだと感じたりするので、今を生きるっていうのなんじゃないかなと思います。

――大学スポーツの価値とは

大田尾 大学スポーツの価値というのは、やはり損得というものがない非常にピュアな状態で取り組める世代としては最後の場所なのかというふうに思います。

外池 今それいいなあと思いました(笑)。昨年オリンピックが始まる前にア式蹴球部のキャプテンが、『オリンピックを迎えるにあたって大学生として』というコメントを出してて、そこにあったのがまさにそういうことを言ってて、「自分たちは、こういう純粋にスポーツに取り組んでいます。そういう環境だからこそ、スポーツをもっとしっかり発信していかなければならないと思ってるんです」みたいなことを。すごいいい言葉だなと思いましたね。とはいえ、この早稲田のスポーツも集客とか、いろんなお金がかかるだとか、もっと環境をよくしようとか、そういう所にも向き合わなきゃいけないというのがあります。もしかしたら学生たちはお金を払って学んでいるということが現実としてはあるのかもしれません。しかし、日本が培ってきた大学文化中でどういう挑戦をしていくのか、どこまでも高く社会を突き抜けるような挑戦ができるのかっていうのが、まさに学びであり挑戦だと思います。そのことが大学スポーツの位置付けとして、プロでは逆にできない、「プロじゃこれはちょっとこんなにはじけらんないでしょ」、それぐらいのことが大学ではできます。どういうチャレンジをするか、管理という側面もありつつも、そんなものを取っ払ったときに、「こんなものが出来上がるんですよ」みたいなことをやれたりすると価値はもっと高まるとおもいます。

――対談を終えてみて

外池 いろいろお話しできて、おこがましいのですがすごく共通して大事にしてるものが近いなと感じました。やっぱり競技としてのプロセスが近かったりもするので、一緒にできるものもあればと。僕なんかラグビーの文化というのは企業スポーツとしてのかたち、逆にこのご時世だからこそ、実はとても重要だったな、強固な形をつくりあげてきてるなと思います。サッカーとかは、地域に開かれて57クラブもできちゃって、本当にみんながプロ選手としての立ち位置をとれてますか、という点にはすごくそこは問われる部分も多いです。そこら辺のバランスは非常に難しいなと思います。ヤマハ発動機ジュビロさんはサッカーとラグビーが近いという、同じ傘の元にあったりするだろうし、早稲田にしてもラグビーとか、野球部とか、いろんなスポーツが同じ傘の元にある。そうして一緒に課題を解決していったりとか、ヒントがあったりとかするとおもしろいんじゃないかと思います。

大田尾 やっぱり人が集まれないから集まらない、というのがなかなかしんどいとか、あるのですが、でもそこで自分たちがブレイクスルーしていくというのをどんどんやっていったら、結果としていろんな課題の解決に繋がっていくといます。そういう時に一つの部活じゃなくて、各部の方たちと会話ができたら、それはすごい有意義だなと思います。

――ありがとうございました! 

大田尾監督(左)と外池監督 【早稲田スポーツ新聞会】

◆大田尾竜彦(おおたお・たつひこ)(※写真左)
 1982(昭57)年1月31日生まれ。佐賀工業高出身。2004(平16)年人間科学部卒業。2003年度に早稲田大学ラグビー蹴球部主将を務め、2004年から14年間ヤマハ発動機でプレーし、日本代表も経験。現役引退後は、同チームのバックスコーチ、アタックコーチ、コーチングコーディネーターを歴任

◆外池大亮(とのいけ・だいすけ)
 1997(平9)年社会科学部卒業。1997年にベルマーレ平塚(当時、現湘南ベルマーレ)に入団。その後横浜F・マリノス、大宮アルディージャ、ヴァンフォーレ甲府など、計6クラブを渡り歩いた。現役引退後は電通に入社。その後スカパーに転職し、現在もスカパーに所属しながらア式蹴球部監督を務める。J通算183試合出場、29得点


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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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