川崎F・谷口彰悟が語る災害の恐ろしさ「自分たちが得た教訓を後世に残したい」

吉田誠一

熊本地震で実家が被災したこともあって、高い防災意識を持つ谷口彰悟。水や食料など、最低限の防災グッズは揃えるようにしているという 【YOJI-GEN】

 Jリーグとヤフー株式会社が協力し、昨年に続いて今年も開催されている「ヤフー防災模試 ソナエルJapan杯」(8月19日~9月4日)。災害時に不可欠な知識、情報、能力を問う「ヤフー防災模試」は、Jリーグ全58クラブのファン・サポーターが受験し、その受験者数や点数を競うJクラブ対抗企画だ。一人でも多くの人の防災意識を高めることを目的とした当イベントの開催に際して、2016年の熊本地震で実家が被災した経験を持つ川崎フロンターレの谷口彰悟選手に、「備えることの大切さ」について話を聞いた。

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2016年の熊本地震で実家が半壊

――最大震度7を記録した2016年4月の熊本地震で、熊本市にある実家が被災したそうですね。どのような被害を受けたのでしょうか。

 僕は川崎にいたので実際に見てはいないのですが、家の壁がひび割れ、食器などがすべて床に落ち、足の踏み場もない状態だったと両親から聞き、写真も見せてもらいました。全壊ではなく半壊という認定ですが、家には住めなくなりました。両親と祖母は車中泊を経て、2~3週間の避難所生活を強いられましたが、幸い早いうちにアパートが見つかったので、住まいを移しました。その後、実家は建て直しました。

――ご両親とは地震後、すぐに連絡が取れましたか。

 地震の直後は家族がどうなったのか心配しましたが、すぐに連絡がついたので安心しました。どんな生活をしているのか、困ったことはないか、連日、連絡を取り合いました。熊本にはシーズン終了後の年末まで帰ることができませんでしたね。

――被災後、ご両親は防災について、どのような話をされましたか。

 災害はいつ来るか分からないし、何が起こるか分からない。家族がバラバラの時に災害が起きるかもしれない。そうなると、すぐに連絡が取れず、誰がどこにいるのか分からない可能性がある。直後はパニックになるだろうから、家族の集合場所を決めておいた方がいい。もちろん水や食料を備蓄し、ラジオや懐中電灯なども揃えておかなくてはならない。被災経験をもとに、両親はそう話していました。僕自身も最低限の水や食料をストックし、防災グッズを揃えるようにしました。

ここは日本なのかと思うくらいのショックを

2016年の熊本地震の際にも、川崎Fの一員として支援活動に参加。実家が半壊した谷口は「災害はいつ来るか分からない」ことをあらためて実感した 【Getty Images】

――これまで、ご自身が被災した経験はありますか。

 筑波大時代の2011年3月に起こった東日本大震災で、生活に影響を受けました。つくば市も震度6弱の揺れで電気、ガス、水道が2日間、ストップしました。コンビニに行っても商品がなくなっていて、事前に備蓄をしていなかったので食べるものに困りました。ちょうどその日は寮からアパートへの引っ越しの日でした。荷物を運ぶことはできましたが、電気が点かず、身をもって災害の怖さを知りました。

――筑波大サッカー部の活動も震災の影響を受けましたか。

 大学の施設も被害を受け、サッカー部のグラウンドは使えなくなりました。しばらくの間は、風間八宏監督(当時)のツテで借りた静岡県内のグラウンドで練習をしました。

――川崎フロンターレは東日本大震災で被災した陸前高田市(岩手)での支援活動、交流を重ねています。現地に初めて足を運んだのは、フロンターレに加入した2014年ですか。

 そうです。震災から3年が経っていましたが、かつての街に建物はまったくありませんでした。山を削った土を運ぶ、ものすごく大きなベルトコンベアーが張り巡らしてあって、大規模な土地の嵩上げが行われていました。

――その時、感じたことは?

 ここは日本なのだろうか、と思うくらいの大きなショックを受けました。何と言ったらいいのか、その時の感情は言葉で表せません。震災遺構の建物で、この高さまで津波が届いたという話を聞いて、その規模の大きさを知りました。

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