連載:平野歩夢「Two-Sideways 二刀流」

平野歩夢を見続けた15年 幼少期からずば抜けていた競技に取り組む姿勢

篠崎公亮

【Photo: Kosuke Shinozaki】

 この冬、平野歩夢による前人未到の挑戦がもたらしたドラマチックな結末から、早2ヶ月が経とうとしている。桜が咲き、山々の雪が溶け始めようとも、その記憶は薄れるどころか、日増しに濃さを増していくばかりだ。

 たくさんの人々がこの快挙を陰に日向に支えてきたが、平野が「こうすけくん」と呼んで慕うマネージャーの篠埼公亮さんは最重要人物の1人。2人の付き合いは平野が8歳の頃から始まり、かれこれ15年近くにもなる。

 長きに渡り、一番近い場所から見続けてきた平野歩夢について、篠埼さんにお話を伺った。
(本稿は2021年7月に収録したインタビューと平野歩夢のフォトエッセイ『Two-Sideways 二刀流』をもとに加筆・修正を加えたものです)

ソチ大会出場の舞台裏

 歩夢の生まれた1998年は、奇しくも長野オリンピックでスノーボードが正式種目になった年です。

 4年に1度、毎回2月に行われる冬季オリンピックには出場年齢にレギュレーションがあります。前年の12月31日の時点で、15歳になっていないと出場することができません。歩夢は11月29日生まれ。ギリギリ、ソチ大会に出られる年齢でした。

 まだ13歳だった2012年の7月、この年の冬に結果を出さないと翌シーズンのソチ大会には出られないというタイミングで、ご両親と本人と話し合いの場を設けました。年齢的にはオリンピックには間に合うけれど、そのためにはここから前代未聞の成績を出さないと代表に入ることはできない。それでもやりますか、と。

 答えはイエス。そこから、一緒にソチ大会出場を目指す日々が始まりました。

 まず、私たちは国際スキー連盟の英語の膨大なルールブックを全て読み漁り、ソチに出るための条件を徹底的に調べ上げ、必要な条件を満たすために様々な逆算を始めました。駆け足でいろいろなことを決めねばならず、とても忙しい毎日でしたが、非凡な才能とやる気を目の前にして「この状況を見て見ぬ振りをできるのか?」という気持ちが、当時の私の原動力でした。

 ちなみに、ソチ大会に出場するには、日本代表に選ばれなければ話は始まりません。代表に選ばれるには、強化指定選手になり、ワールドカップを含む国際大会のツアーを転戦して結果を残さなければならなりません。しかし、今まで一度もワールドカップにすら出たことのなかった歩夢を、どうやってナショナルチームに入れるか。そこが大きな問題でした。

実力で代表権を手繰り寄せた14歳

ソチ五輪で平野(右)は、日本勢の冬季五輪史上最年少メダリストとなった 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 我々の結論は、当時のワールドカップよりレベルが高かったX-GAMES(スノーボードやスケートボードを含むアクションスポーツの世界的な競技会)で、結果を出すしかないということ。では、X-GAMESに出るにはどのくらいの実力が必要か、どのような技の難易度、構成が必要か。そうした話し合いから戦略を立て、目指すトリックを決めて、滑りの構成を考え、練習環境を整えていきました。

 半年後、13歳にして当時は世界で数人しかできなかったトリック「ダブルコーク」を見事に完成させたことで、歩夢の無双のシーズンが始まったんです。その滑りには「世界最高峰の技を俺はできるんだ」という自信が溢れていました。

 14歳になったシーズンには、ニュージーランドで行われたワールドカップの初戦に優勝、X-GAMES初出場で準優勝。ツアーの年間チャンピオンにも輝いてナショナルチーム入りを決め、勢いのままに出場したソチオリンピックの大舞台でも銀メダル。誰も文句のない結果でしょう。嬉しかったですね。

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著者プロフィール

篠崎公亮

1980年生まれ。スポーツ庁のナショナルトレーニングセンター(ハーフパイプ)強化拠点施設のディレクターで、平野選手の会社のマーケティングディレクターも兼任。平野選手のドキュメンタリーフォトエッセイ『Two-Sideways 二刀流』(KADOKAWA)では写真撮影も手掛けている。

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