村岡桃佳、回転で5位も「悔いはなく、達成感」 “二刀流の集大成”として臨んだ北京で金3個、銀1個
本堂(左)とともによろこびを見せる村岡(右) 【写真は共同】
「今日の滑りに対して悔いはなく、本当に達成感と晴れやかな気持ちでこの場に立っています」
北京パラリンピック大会9日目の12日、国家アルペンスキーセンターで女子回転が行われた。これまで4種目に出場し、金メダル3個と銀メダル1個を手にしていた村岡桃佳(トヨタ自動車)は5位入賞となった。4年前の平昌パラリンピックに続く、出場5種目全てでメダル獲得とはならなかった。
北京パラリンピックでは立場が変わり、追う側から追われる側へ。また今大会は日本選手団の主将として重圧は相当だったはずだが、5種目通して気持ちが切れることはなく、誰よりも安定した滑りを披露した。
6日はコンタクトが外れるアクシデントも金メダル
スーパー大回転のメダルセレモニーで笑顔を見せる村岡 【写真は共同】
森井大輝(トヨタ自動車)や鈴木猛史(KYB)など、男子座位のベテラン勢が口を揃(そろ)えて「今までのパラリンピックで一番難しい」と明かすほど、北京のコースは斜度、コースの固さ、斜面変化などスキーの難しい要素が全て詰まっていた。
そんな難コースを目の前にしても、村岡は「守りの滑り」ではなく、大会を通して「攻めの滑り」を貫くことを決めた。「鬼門」の直角ターンやさまざまな難所を冷静に対応し、まずは1つ目の金メダルを獲得した。
6日のスーパー大回転ではまさかのハプニングが起こった。装用していたコンタクトレンズが両目とも外れ、滑走中に「一瞬何も見えなくなる」アクシデントが発生する。村岡の裸眼視力は0.1程度しかなく、インスペクション(本番前の試走)で滑った記憶と、コース上に引かれている青いラインを頼りになんとか滑り切る。タイムはドイツのアナレナ・フォルスターをわずか0.11秒上回り、この種目で2つ目の金メダルを勝ちとった。
日程が急遽1日前倒しとなった7日のスーパー複合では銀メダルを手にすると、中3日で迎えた11日の大回転では3個目の金メダルを掴(つか)んだ。
12日の女子回転は5位入賞
最後の種目でメダルを逃した村岡だったが、「やり切った」と後悔はなかった 【写真は共同】
3番滑走で迎えた村岡の1本目。10日の男子大回転で森井大輝(トヨタ自動車)が悩まされた、旗門の間隔の狭さに村岡も苦戦していた。
「ここの(北京)のコースでスラローム(回転)を競技として成立させようと思ったとき、旗門と旗門の間隔が狭くなってしまったり、左右への振り幅が広くなってしまうようなことになるので、私にとって仕方ない部分ではありますね」
標高差に対して旗門は立つが、北京のコースは急斜面が多く、必然的に旗門と旗門のインターバルが狭くなってしまう。間隔が狭くなると、障がいの程度が重い村岡にとって不利な状況であった。
「障がいが重いクラスだと、スラローム(回転)に必要な素早いターンなどが難しいんです。今日のレースで滑り切った選手を見ても、私より(障がいの)クラスが軽いLW12の選手でした。その中で唯一障がいのクラスが重い私(LW10)が滑り切れたというのは、自分の中ではやり切ったかなと思っています」
1本目はトップと4.94秒差の5位につける。2本目は1秒以上タイムを縮めるも、順位は変わらず5位入賞となった。それでも、最後の種目でメダルを逃した後悔は一つもなかった。
「今日の課題に挙げていた、『自分らしく滑る』ということは達成できたのかなと思います。自分としては満足する滑りでした。北京パラリンピックは金メダル3つ、銀メダル1つという結果でしたが、金メダルが1つの平昌大会を上回ることができたと思っています。自分の中ではやり切りましたし、平昌から北京まで、色々と成長できた期間でした」