パラスノボ・岡本圭司が得た“最高の8位” 「人生終わった」怪我からつかんだ大舞台

スポーツナビ

8位に終わったものの「楽しかったです。最高の8位ですね」と笑顔を見せた岡本 【写真は共同】

 最高の仲間とともに、目標にしていた北京パラリンピックのスタート台に立ち、不惑のスノーボーダーはバイブス(最高の雰囲気、モチベーション)をビンビンに感じていた。

 北京パラリンピック4日目の7日、河北省・張家口市の雲頂スノーパークでスノーボードクロスの準々決勝から決勝が行われた。日本からは計6人が出場。そのうち5人が準決勝進出を決めたが、メダルを争う決勝には届かなかった。LL2クラス(軽度の下肢障害)の岡本圭司(牛乳石鹸共進社)は順位決定戦に進み、8位入賞を果たした。

 順位決定戦のレース後、岡本は笑みを浮かべながら、集まった日本の報道陣に対して心境を吐露した。

「最高の8位ですね。ベスト尽くした上での8位なので。この4年の結果ということは理解していますし、本当に恥じることのない滑りができたんじゃないかなと思っています」

準々決勝のスタート台で「泣きそうになりました」

 スノーボードクロスは予選ラウンドと決勝ラウンドがある。予選ラウンドは単独で2回コースを滑り、早い方のタイムで決勝ラウンドの進出と組み合わせが決まる。決勝ラウンドは3〜4人が同時にスタートして、勝ち抜き方式でメダルや順位が決定する。選手同士の接触や駆け引き、終盤での逆転もあり、最後まで目が離せない競技だ。

 6日に行われた予選ラウンドを8位で通過した岡本。準々決勝のスタート台に立った瞬間、こみ上げる思いを抑えるのに必死だった。

「スタートの時に感動して泣きそうになりました。またこういった舞台に戻ってこれたんだなぁって。1回大怪我で人生終わったような人間なんでね。最高の仲間と、この舞台に立てたことに本当に感動しました」

 準々決勝では1組に登場。同組の2位で通過し、準決勝を迎えた。出場8選手のうち、予選ラウンドの上位から好きなスタートコースを選択できるが、全体では8位通過となっていた岡本には選択権がなかった。

「予選が遅かったので、ずっと黄色のビブス(一番インコース)だったんですよね。体重が軽いので、どうしても直線が遅いんですよ。スタートしてすぐに前に出て、邪魔するしか作戦しかないんですけど、第一バンクで全員に外から抜かれました。自分の持ち味が全く出せなかったのが、準決勝からの敗因ですね」

33歳の時に撮影中の事故で脊髄を損傷

準決勝は不利なインコースからのスタート。「自分の持ち味が全く出せなかった」と振り返る 【写真は共同】

 もともとはプロのスノーボーダーとして、世界の第一線で活躍していた岡本は7年前、33歳の時に撮影中の事故により脊髄(せきずい)を損傷。下半身不随となり、手術後に医者から「一生車いす生活を覚悟してください」と宣告を受ける。

「正直に言えば、最初は前向きになれない時が何度もありました。入院中にお見舞いに来てくれた友人には『大丈夫、大丈夫』と気丈に振る舞っていましたが、心の中では『本当に死にたい』と絶望していました」

 1年以上にわたる入院生活とリハビリによって、奇跡的に自立歩行ができるまで回復。右足に麻痺(まひ)が残ったものの、不屈の精神で雪上に復帰する。しかし、健常者時代とのギャップに岡本は苦しんでいた。

「プロスノーボーダーとして、スノーボードの楽しさやカッコよさを表現することが自分の人生でやりたいことでした。ただ滑れるというだけでは、自分の今までやってきたライフワークとしてのスノーボードが全く違うものになってしまっていて、自分の人生に昔のような満足度や光が見えなかった時期が続きました」

1/2ページ

著者プロフィール

スポーツナビ編集部による執筆・編集・構成の記事。コラムやインタビューなどの深い読み物や、“今知りたい”スポーツの最新情報をお届けします。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント