選手とボランティアを主役に据えた閉会式 祝祭の終わりに思い出すワリエワの涙

沢田聡子

朝食前のPCR検査が日課の五輪

北京五輪閉会式で打ち上げられた花火 【Photo by Matthew Stockman/Getty Images】

 クローズドループの中で行われていた、北京五輪が閉幕した。

 オミクロン株が猛威をふるい、収束が見えないコロナ禍の下、中国は見事ともいえる徹底した感染症対策を貫いて大会を完遂した。すべてが管理下にあり、メディアも例外ではなかった。毎日ホテルでの朝食前にPCR検査コーナーに立ち寄り、防護服を着た係員に向かって口を開け、検査を受けるのが日常だった。安心感と窮屈さが同居する、今までのどの五輪とも違う大会であったことは間違いないだろう。

 そんな状況下でストレスがなかったはずはない選手たちは、しかしやはり五輪でしか見られないと思える姿を見せてくれた。それは、メダリストのみにとどまらない。五輪連覇を果たしながらもなお4回転アクセルという前人未到の大技に挑む姿勢を見せた羽生結弦や、不慮のケガにより予想もしなかった成績に終わりながらミックスゾーンでメダリストをたたえていた小平奈緒の姿は、今も印象に残る。

ボランティアに助けられた取材活動

北京五輪閉会式で、日の丸を掲げ入場行進する旗手の郷亜里砂 【写真は共同】

 国家体育場(通称:鳥の巣)で行われた北京五輪閉会式では、クロスカントリースキーの表彰式が組み込まれたり、ボランティアに感謝の象徴としてランタンを渡すパートがあったりと、選手やボランティアを主役に据えた演出がされていた。

 今大会、本当にボランティアの皆さんにはお世話になった。国家水泳センターでカーリングの取材をし、ホテルに戻って原稿を書いていた時、パソコンの電源アダプターを忘れたことに気づいた。すでに夜中になっていたが慌てて国家水泳センターに駆けつけ、仕事を終えて帰ろうとしているボランティアに尋ねたところ、きちんと保管してくれていたのだ。真面目そうなその青年の顔が、神様のように見えた。

 メインメディアセンターのプリンターにうまくパソコンを接続できず、ボランティアに相談したところ、二人がかりで解決してくれた。面倒な作業だったことは間違いないのに、お礼を言うと「今度は日本語を勉強しておきます」という言葉が返ってきた。大会専用のアプリで時刻を確かめられない路線のバス停では、必ずボランティアが待機していて次の発車時刻を教えてくれたので、会期終盤には完全に頼りにしていた。フィギュアスケートのエキシビション会場で電源が使えず、処置を頼んだところ日本語で対応してくれた若いボランティアも忘れられない。

 英語を流暢に話す若いボランティアたちは、きっと優秀な学生なのだろう。彼らが貴重な時間を割いて、時には寒い思いをしながら熱心に役目を果たしてくれている理由は、「オリンピックだから」ということに尽きるのではないだろうか。知人が昨夏の東京五輪でボランティアをしていたが、それも「オリンピックだから」という理由だった。オリンピックには、人に関わりたいと思わせる魅力があるということだろう。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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