リーグ制覇への最後のピースとなった平野佳寿。渡米前後の“変化”にデータで迫る
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日本球界復帰初年度で、抑えとしてチームのリーグ優勝に大きく貢献
平野投手は長年にわたってブルペンの主軸として活躍し、2021年と同様に最後の最後までもつれた2014年の優勝争いも経験。酸いも甘いも嚙み分けたベテランの存在は、若手の多いチームが熾烈な競り合いを勝ち抜くうえでも、大きなファクターとなっていたことは想像に難くない。
今回は、平野投手が記録した年度別成績を確認するとともに、各種指標や、渡米前後の結果球の割合といった要素も紹介。16年にわたって第一線で活躍を続けてきた剛腕が見せた“変化”について、データをもとに見ていきたい。
2010年にリリーフへ転向し、中継ぎと抑えの双方でタイトルを獲得
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プロ入りから2年間の活躍で若きエース格としての立ち位置を確立しつつあったが、チームが2位に躍進した2008年は故障でシーズン全休。翌2009年は故障からの復帰を果たしたものの成績は振るわず、2010年からはリリーフへ転向した。
この配置転換が、平野投手にとっては大きな転機となった。同年は63試合で防御率1.67と抜群の安定感を発揮し、以降はブルペンの一角に定着する。2011年には49ホールドポイントを挙げて最優秀中継ぎを受賞し、2012年途中からは最終回を任されるように。2014年にはリーグ史上初となる40セーブを記録し、最多セーブの座に輝いた。
その2014年と、続く2015年には防御率3点台以上とやや安定感を欠いたものの、リリーフ転向後はそれ以外の全シーズンで防御率2点台以下を記録。オリックスの守護神として長年にわたって活躍を続け、2017年オフにFA権を行使して米球界挑戦の道を選んだ。
MLBの舞台でも中継ぎで活躍
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続く2019年は前年にくらべて安定感こそ欠いたものの、2年続けて60試合以上に登板。持ち前のタフさを発揮して引き続き重用され、献身的にチームのブルペンを支えた。2020年はマリナーズに移籍し、ここでもシーズン途中から抑えを務めるなど活躍。しかし、最後の2試合で5失点を喫し、防御率はそれまでの2.45から5.85まで上昇してしまった。
2021年に日本球界へと復帰し、古巣・オリックスのユニフォームに袖を通した。シーズン開幕はセットアッパーとして迎えたが、チーム事情に応じて再びクローザーに。家庭の事情で退団したブランドン・ディクソン投手が抜けた穴を埋める活躍を見せ、9月3日はプロ野球360人目となる1000投球回も達成。リーグ優勝を争うチームにとっての最後のピースとなった。
優れた制球力に加え、リリーフ転向後は奪三振率も大きく向上
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