『頂はいつも遠くに 鹿島アントラーズの30年』「自分たちの哲学を手放さなかった理由とは」【未来へのキセキ-EPISODE 26】
【©KASHIMA ANTLERS】
「現状を変えられるのは僕ら選手」「サポーターの想いを体現できるのも僕ら選手」
2-1で勝利した10月23日、明治安田J1第33節・FC東京戦で決勝ゴールを決めた上田綺世の言葉は、選手が背負うものの重さを表していた。「自分は多くの人たちの代表としてピッチに立っている」という覚悟が伝わってくる。
飲水タイムには控えメンバーがピッチに立つ選手たちを労い、鼓舞する。ときにはアドバイスも送る。ベンチ前にできる大きな塊は、それぞれの立場で勝利のために尽力する選手たちの想いがみなぎっていた。
1993年サントリーシリーズで優勝して以降、主要タイトル20冠を手にしてきた鹿島アントラーズの歩みは、「強豪」という名にふさわしい。その理由を語るときに欠かせないのが、「献身」「誠実」「尊重」と表される「スピリット・オブ・ジーコ」である。これはジーコという存在をクラブの哲学として言語化し、可視化したものだ。
1994年にジーコが大切にしている価値観やモットーを3つの言葉で表明した「スピリット・オブ・ジーコ」は、人間の生き方としても重要な姿勢になりうる。シンプルな言葉だからこそ、広くて深い解釈ができて、あらゆる行動の指針になる力を秘めている。
だからこそ、30年間形骸化することなく、鹿島アントラーズにかかわる人々の心の拠り所となり、生き続けているのだろう。その結果がタイトルの数につながっていると強く思う。
鹿島アントラーズはなぜ強いのか?
改めてそれについて考えたとき、たどり着いた答えは、「人を想う力」だった。
「町に娯楽を」という地域課題解決の一縷として、鹿島アントラーズが誕生したときから、クラブが背負ってきたものは大きい。当時日本では類を見なかった屋根付きサッカー専用スタジアムを作り、立派なクラブハウスも整えた。それは地元の人々からの期待の表れでもあった。
ジーコは「町の人たちをクラブに取り込めたことが大きかった。支えてくれる人が数多く存在したことが重要だった」と30年前を振り返っている。だから彼は熱心にファンサービスに取り組み、チームメイトにもその意味を説いた。
最大のファンサービスは勝利であることは言うまでもない。
小さな町のクラブを存続させるうえで、「強さ」は欠かせないブランド力となり、「カシマ」といえば「カシマアントラーズ」と言われるほど町の知名度を上げた。それは、クラブを愛してくれる熱量に選手が、チームが答えて続けてきたからだろう。
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その取材のなかで、何度となく耳にしたのが、「すべては勝利のために」という言葉だった。フットボールグループのスタッフだけではない。総務や人事、財務のアドミングループやマーケティンググループの人間が「すべては勝利のために」と繰り返す。日常のなかで自然発生的に生まれた意識が、スローガンとして染みついたのだろう。
ジーコがいれば、「スピリット・オブ・ジーコ」があれば、鹿島アントラーズができるわけではない。小笠原満男がいたからタイトルが獲れたわけでもない。勝利のために日々120%の力を発揮しようとしてきた数多くのアントラーズファミリーがいてこそ、鹿島アントラーズは鹿島アントラーズになったのだ。もちろんファン・サポーターの存在も大きい。彼らにもアントラーズの血が流れているからだ。
30年という年月はどのようなものなのか。
20代だった人は50代となり、なかには孫を抱く機会を手にしている人がいてもおかしくはない。親、子ども、孫の三世代でサッカー観戦を楽しんでいるかもしれない。もちろん四世代で楽しんでいる人もいるだろう。
鹿島アントラーズというクラブも、同じように30年という時間を生きてきた。それは成功の連続だったわけでもない。彼らが自分たちの哲学を手放さなかったのは、悔しい想いを重ねてきたからだ。喜びと悔しさの両方を味わい尽くしているからこそ、拠り所としての哲学が必要だったに違いない。
時代の変化は社会を変え、人生においてもさまざまな影響をおよぼすが、クラブにとっても同様だろう。
クラブ間の競争が激化し、選手の移籍も活発になる。時間をかけてクラブの文化を熟成させ、繋いでいくというこれまでの方法論では通用しなくなるかもしれない。鹿島アントラーズといえば、ブレない姿勢を貫く硬さを想像する人も多いだろうが、彼らは意外と器用だ。変化を恐れない一面を併せ持つ。
それは多くのスタートアップ企業を経営してきた小泉文明社長が、「アントラーズの空気はベンチャー企業と同じ」と語っていることからも理解できる。
2019年にザーゴ監督を招聘したものの1年余りで監督が代った。もちろん、想定外の事態だったかもしれない。けれど、前監督のもとで若い選手が経験を積めたことも事実だ。新陳代謝が進むチームのなかで、アントラーズの下部組織出身の上田が語る言葉に、クラブのフィロソフィーが詰まっていることに頼もしさを感じる。
『頂はいつも遠くに 鹿島アントラーズの30年』は、鹿島アントラーズの歴史の途中経過をまとめたにすぎない。それでも未来へ進むための後押しとなれば幸いだ。
11/5(金)発売!『頂はいつも遠くに 鹿島アントラーズの30年』
『頂はいつも遠くに 鹿島アントラーズの30年』
寺野典子著
2021年11月5日(金)発売
定価:1,870円(10 %税込)
四六判・ソフトカバー 384ページ
ISBN 978-4-08-781690-7
【©KASHIMA ANTLERS】
寺野典子(てらの のりこ)
1965年兵庫県生まれ。80年代後半、音楽雑誌から編集ライターの仕事をスタート。カルチャー雑誌やタウン誌、女性誌などで芸能やファッション、スポーツなど幅広い分野で活躍。1992年Jリーグ発足時から、鹿島アントラーズをはじめ、Jクラブや日本代表を取材。1998年のワールドカップフランス大会以降、6大会連続で日本代表を取材。精力的に各媒体で記事を発信し、サッカー関連書籍の編集や構成を行っている。著書に『ジュビロ磐田 未完成』『楽しむことは楽じゃない』(河出書房新社)『15歳の選択 ---僕らはこうしてJリーガーになった』(河出文庫)。共著に『12歳の約束 そして世界の頂点へ』(小学館)など。2009 年の鹿島アントラーズのリーグ3 連覇時には、オズワルド・オリベイラ監督の自伝も構成。また2018年にはweb スポルティーバ(集英社)で「遺伝子 〜鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学〜」を連載。
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