安西幸輝 SQUAD NUMBERS〜2〜「他の人には譲りたくない。背負うことが僕の覚悟の表れ」【未来へのキセキ-EPISODE 13】

鹿島アントラーズ
チーム・協会

【©KASHIMA ANTLERS】

「SQUAD NUMBERS〜背番号の記憶」
これまで数多くのレジェンドがアントラーズ伝統の背番号を背負ってきた。
積み重ねた歴史が生み出した、背番号に込められた重みと思い。
そして、継承するアイデンティティ。
そこには背番号を背負ったものたちの物語が存在する。
創設30周年を迎えた2021シーズン、クラブがリーグ戦毎ホームゲームで特別上映している背番号にまつわるストーリー。
それぞれが紡いできた物語を胸に、今を戦う現役選手が背負う思いとは。
今回は背番号2 安西幸輝の覚悟を、ここに紐解く。


 ユーラシア大陸の西端の国で見た光景。それは、極東の島国で育った自身のサッカー概念を覆すものだった。

「それはもう、競技すら違うのではないかと感じるくらい。肌感覚としては5秒に1回、ファウルが起きるくらいのイメージです。それくらい当たりが激しかった。Jリーグをサッカーとするならば、ポルトガルはラグビーといえるくらい違う印象を受けました」

 目の前で繰り広げられる肉弾戦。ルイス・フィーゴやクリスティアーノ・ロナウドといった数々の名ウインガーの名手を輩出した地で安西幸輝に待ち受けていたのは、想像をはるかに超える厳しい環境だった。

「サイドバックは攻撃ではなく、1対1の守備が求められます。マッチアップする自分が責任を持って相手を止めなければならない。一度、自分の思うようにプレーしてみようと、積極的に攻撃参加したら、次の試合では先発から外されたことがありました。いくら自分の特長を出せたとしても、監督の求めているタスクを実行できなければ、試合に出られないということを知りました」

 渡欧する前は“攻撃は最大の防御なり”と言わんばかりに、サイドライン際を何度も縦へと攻め上がる姿が真骨頂だった。しかし、それだけではダメだった。「ポルトガルに行って武器をつくったかと聞かれると、ちょっと難しい。けど、守備の部分は成長しているかなと思います」。そう振り返るほど、守備の意識と技術が植えつけられる環境だった。

 欧州で2年間にわたり戦い続け、2020-21シーズンが終わると日本から連絡が入った。「戻ってこないか」。言葉の主は、鹿島アントラーズの鈴木満フットボールダイレクター(FD)だった。

「正直な自分の思いとしては、まだ海外でやりたいという気持ちもありましたが、その考えをストレートに満さん(鈴木FD)に伝えたところ、“返事はギリギリまで待つから、ゆっくり考えてくれ”と言ってくれました。その言葉が自分にとって大きかったんです」

 今や海外でプレーする選手が主軸になっている日本代表への復帰を見据えながら、自身がポルトガルで置かれていた状況を見つめ直し、問いかけた。

「自分がどこでプレーすれば、W杯に出場できるのか。やはり海外でプレーしていたほうが日本代表に選ばれやすいのではないか。海外で出場機会を得られず、日本に戻る選手もいるけれど、僕の場合はずっと試合に出られていたから、そうした状況で日本に帰る選択をしていいのか」

 安西曰く、「自分のこれまでの人生においてダントツ、一番悩んだと言えるくらい、本当に悩みました」。それと同時に沸々と湧き上がる感情を見過ごさずにはいられなかった。

「アントラーズでタイトルを獲りたい。今度は自分が経験してきたことをチームに還元していきたい」

 こうしてアントラーズ復帰を決断。そのとき、クラブにまつわるもう一つのストーリーが交わった。それは、ジョルジーニョ、名良橋晃、内田篤人と紡いできたアントラーズ伝統の背番号の歴史だ。

【©KASHIMA ANTLERS】

 復帰を決断したタイミングで、一本の電話があった。「2番をつけろ」。内田からだった。“後継者”指名に「(アントラーズの2番は)まだまだ遠い存在です」と謙遜したが、前任者も譲らない。

『自分は全力を出し切れないなかで、背番号2をつけて引退してしまった。だから、お前が背負って、その続きを見られることを楽しみにしている。自分の次の背番号2がどう活躍するか、楽しみだ』

 電話を切った後に届いたメッセージ。安西は心を揺さぶられ、覚悟を決めた。

「やっぱり、篤人くんの次の背番号2を、僕は他の人には譲りたくない。その“2”という数字を背負うことは僕の覚悟の表れでもあるので、それを見てほしい」

 クラブ創設30年目に、その小さくも偉大なナンバーを背負う。慣れ親しんだピッチに戻ってきた安西は再びディープレッドのユニフォームを身にまとい、かつてのようにカシマスタジアムの芝生の上を駆け抜けている。

「ここまでの30年間、このアントラーズのユニフォームにいろいろな選手が袖を通してきて、今は僕らが着させてもらっている。それは、すごく光栄なことです。この節目の年にタイトルを取らないといけないし、まだあきらめてもいない。アントラーズのタイトル獲得に貢献したい」

 受け継がれたもの、責任の重さははかり知れない。だからこそ、ポルトガルで研鑽の日々を過ごした挑戦者に未来は託された。W杯の舞台に立ち、そしてアントラーズに数々のタイトルをもたらした先人たちが紡ぐ物語の続きを、安西は追いかける。栄光のクライマックスへと向かって、その誇りを胸に秘めながら。

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著者プロフィール

1991年10月、地元5自治体43企業の出資を経て、茨城県鹿島町(現鹿嶋市)に鹿島アントラーズFCが誕生。鹿角を意味する「アントラーズ」というクラブ名は、地域を代表する鹿島神宮の神鹿にちなみ、茨城県の“いばら”をイメージしている。本拠地は茨城県立カシマサッカースタジアム。2000年に国内主要タイトル3冠、2007~2009年にJ1リーグ史上初の3連覇、2018年にAFCアジアチャンピオンズリーグ初優勝を果たすなど、これまでにJリーグクラブ最多となる主要タイトル20冠を獲得している。

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