ベテラン記者が見た東京パラとこれから 閉幕後は縮小覚悟も「面白さ感じて」
パラリンピックの取材に長年携わるスポーツライターの宮崎恵理さん 【スポーツナビ】
テレビ放送やメディアでの報道も多く、今大会で初めてパラリンピック、パラスポーツを見たという人も少なくはないだろう。そんなパラスポーツをよく知り、1998年の長野パラから現在まで第一線で取材を続けているスポーツライターの宮崎恵理さんに、今大会について率直な感想、パラリンピックの魅力、これからのパラスポーツについて聞いた。(取材日8月30日)
パラリンピック本大会は日本の報道陣が多い
まず、初出場のゴールボール男子がすごく活躍したことがうれしいです。日本は世界ランキング10位で、初戦13位のアルジェリアにはある意味勝っても当然なのですが、その後、米国とリトアニアにも勝った。それぞれ8位と2位の強豪で、米国にはコールド勝ちしています。
女子は12年のロンドンで金メダル、04年のアテネで銅メダルと活躍しているのですが、男子は初出場なんです。今回の東京に向けて強化をしてきた一つの結果が出ている。まだ予選リーグの段階ではあるのですが、正直これだけの活躍をするとは思いませんでした。(編注:男子は予選1位通過も準々決勝で世界3位の中国に敗れた。女子は3日にブラジルとの3位決定戦に臨む)
私としては、五輪のフェンシング男子エペ団体(の金メダル)に匹敵するくらいのうれしさです。決勝トーナメントに入ってから厳しい戦いが待っているので、今の段階ではありますが、それでもこれだけの結果を残したことは、日本チーム全体にも大きな自信になっていると思うんですよね。
――強化がうまくいくことで注目もされてきているということですが、日本国内のパラスポーツにおける注目度は変わってきていますか?
やはり2013年に東京パラ開催が決定したところで、注目度は大きくなりました。ここが大きな分水嶺で、それ以前はやはり少なかったと思いますよ。
自国開催の長野パラで、大日方邦子さん、マセソン(旧姓:松江)美季さんらが金メダルを取ったときはスポーツ新聞の一面で出たりしました。ただ、長野パラが終わった後、それがそのまま続いてきたかっていうと、いったん終息したわけです。
それでも、2013年以降は急加速でしたね。まずはテレビ、あと長野パラの時代はインターネットがまだ普及していなかったですが、現在はあらゆるメディアでパラスポーツ、パラリンピックが報道されるようになりました。長野が終わった後に、パラリンピックという言葉が日本に浸透するようなって、13年以降は「パラリンピックって何?」という人はほとんどいなくなりました。
――報道で言うと、東京パラはどの会場に行っても10〜20人くらいは記者がいますが、ここは増えていますか?
アクレディテーション(取材許可証)も最大数出ているわけで、多いのは間違いありませんが、実はパラリンピックで日本のメディアは昔から目立っているんですよ。
――自国開催でなくても?
04年のアテネや08年の北京のときは、なんで日本人がこんなにたくさんいるの? と外国のメディアに不思議がられるくらいいましたし、ミックスゾーン(取材エリア)も争奪戦だったりしました(笑)。
ただ、なかなか継続的に取材するというのではなく、担当が変わったりしてしまうことが多いのも事実です。そんな中、フリーランスを中心に、パラスポーツの魅力にはまった人が、増えてきて現在も活躍しています。
――ミックスゾーンの話が出ましたが、今回はコロナの影響で取材エリアも限られています。今までのパラリンピックと比べて不便はありますか?
五輪もそうですが、コロナによって大会全体の感染対策があることが、パラリンピックを行う大前提になっています。取材はブッキングシステムを使って予約をしますし、今までと違う部分もあります。しかし、大きな混乱はなく、行きたい会場にも行けているし、問題なく取材ができていると思います。