橋岡優輝にまだ足りなかった「経験値」 大一番で生じた助走のずれ
メダルまではあと11センチ届かず
決勝の橋岡の跳躍。助走の感覚にずれが生じて、最後の1本でようやく8メートルを超えた(写真は3回目の跳躍) 【写真は共同】
しかし、跳躍の要となる助走に、この大一番でずれが生じた。冬場にスピードと体幹の強化に努めた成果もあり、これまでより勢いのある状態で踏み込めていたことが、今季の好調の要因だった。それがこの日は「助走の中間が少し浮いてしまって、簡単に言えば鋭さに欠けていた」と、いつもの切れ味がなかった。前へ、前へと推進力を生むような走りではなく、上にエネルギーが逃げてしまったことで、強く踏み切って跳ぶことができない。指導する森長正樹コーチからも同様の指摘を受けていたが、ようやく鋭い助走を取り戻すことができたのは、後がない最終試技のみだった。
「悔しいです」。取材エリアに現れると、橋岡は開口一番、絞り出すように素直な気持ちをさらけ出した。
五輪特有の緊張感が、想像以上の疲労に
橋岡はその最も大きな原因として「経験の不足」を挙げた。五輪というアスリートにとって特別な意味を持つ場所で試合をこなすということは、普段とは違う緊張と疲労を強いるのだろう。
予選では1本だけの試技だったが、体にダメージは蓄積しており、本人も「予選は1本で終われたんですが、それでも五輪ということで、疲労感はいつもと違っていました」と振り返った。今回は、予選から決勝まで中1日の時間があった。本番前日は「疲労を流すことを意識した」と体力の回復に重きを置いたが、完全に戻るまでには至らなかった。
2019年にはユニバーシアードで優勝し、同年9月にドーハで行われた世界陸上でも8位入賞を果たすなど、22歳は海外のビッグゲームでも実績を残している。その橋岡にとっても、やはり五輪の緊張感は想像以上に体へ負荷をかけていた。
6回目の挑戦で8メートル41(追い風0.1メートル)をマークし、東京で五輪初優勝を遂げたミルティアディス・テントグル(ギリシャ)や、同2位のフアンミゲル・エチェバリア(キューバ)は、橋岡と同じ世代の若手である。ただ、2人とも世界最高峰のリーグであるダイヤモンドリーグの常連であり、世界各地を転戦して回った経験がある。
本来なら橋岡も2020年から参加する予定だったが、新型コロナウイルスの影響で大会の多くが中止となり、断念せざるを得なかった。予期せぬ不運も重なり、ライバルたちと最も違いのあった「経験値」を、稼ぐ機会が得られなかったのである。
ドーハで初めてシニアの大舞台に参戦した時は「『あ、あの選手がいるな』と、自分とはちょっと遠いような感覚があった」と、まだ別世界にいるような違和感もあったという。そこから2年かけて順調に記録と安定感を伸ばし、東京五輪では「肩を並べるというとおかしいですが、しっかり勝負していきたいと思っていました」。
参加するためではなく、そこで勝つためにたどり着いたファイナル。勝敗が決した後、橋岡は静かに記録が表示されたスクリーンを眺めた。
「自分の跳躍さえできれば、金メダルを狙えた位置にいけたはずだと思いました」
その姿は、この悔しさを決して忘れまいと、胸に刻んでいるように見えた。
五輪の悔しさは、3年後のパリで晴らす
今後は海外を拠点にすると話をした橋岡。すでに見据えるのは3年後のパリで金メダルだ 【写真は共同】
「次の五輪が待ち遠しくはないです。パリでは金メダルを取るために、それを実現するだけの力を3年間でつけないといけませんから」
当然世界の状況次第にはなるが、今後はダイヤモンドリーグを中心に、海外で行われる試合を積極的に戦っていくつもりだ。それが今回のウイークポイントだった経験の差を埋め、緊張感の高まるゲームで本来の力を発揮するための、一番の訓練になる。橋岡の今後について、森永コーチはこう太鼓判を押した。
「メダルの獲得ラインとなる8メートル50については、本番で跳べる可能性があるところまで来ています。順調にいけば、あと1〜2年でその状態に持っていけると思います」
東京で手にすることができなかったターゲットは、パリで必ずつかみ取る。
(取材・文:守田力/スポーツナビ)
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