中村輪夢はBMXの魅力を知るための「扉」 けがを言い訳にせず、新技にも挑戦

平野貴也

19歳中村輪夢の東京五輪はメダルに届かず5位に終わったが、彼のおかげでBMXという競技を初めて見た人も多いはずだ 【Getty Images】

 大好きな競技が初めて採用された東京五輪という舞台での金メダル。その大きな夢を実現するために、19歳の若者は用意してきた2つの技に挑んだ。東京五輪の新種目、自転車BMXフリースタイルは1日に決勝を行った。男子の中村輪夢(ウイングアーク1st)は、2本目で720ノーハンドトゥバースピンという2回転しながら手を離す得意パターンの新技に挑戦して85.10点を出したが、5位でメダルには届かなかった。試合後、取材エリアに現れた中村は、金色の短髪に手をやり、悔しそうな表情を浮かべたが「自分の力が出し切れなかったので、悔しいです」と話した表情に悲愴感はなかった。

 中村は、この日のために2つの新しい技を用意してきた。1つは、バックフリップでハンドルを何度も回転させる複雑な技。1本目で挑戦したが、着地で足を着いてしまうミスが出て流れに乗れなかった。ミスの後も自分のランを見てくれるファンのために技を続けて見せたが、72.20点で6位。逆転をかけた2本目は新技を含めた滑走で得点を伸ばしたが、メダル争いのラインとなる90点台には乗せられなかった。1分間の滑走時間が終わると、中村は手を上げて応援に応えたが、そのまま手を合わせて謝罪。名残り惜しそうに自身の滑走の映像を眺めて、パークを後にした。ギラギラとした強い日差しが降り注ぐ有明アーバンパーク、19歳が挑んだ五輪初代王者への挑戦が、終わった。

悔しさにじませるも、再び前を向く

中村は1分間の滑走時間が終わると、手を上げて声援に応えた後、そのまま手を合わせて謝罪 【写真は共同】

 中村は、2019年のワールドカップシリーズで総合優勝。世界トップクラスの実力を持つ。自国開催の五輪で、BMXが初採用となり、初代王者の座を狙って調整を進めてきた。しかし、東京五輪が1年延期となる中、20年9月には左足かかとを骨折。今年5月に復帰を果たし、再度調子を上げてきたが、痛みが再発して直近2週間は、ほとんど練習できなかったという。ただ、負傷を抱えている選手というのは、常にいるもので、その中での出来で勝負するもの。前日、決勝の滑走順を決めるシーディングランを終えた際、中村が言及しようとして止めたのは、言い訳にしたくなかったからだ。この日は足に痛みが出ていることは認めたが「この大会は、トレーナーにテーピングを巻いてもらったり、痛み止めを飲んだりして、大会の時は調子良かったので、単純に自分の力不足かなと思います」と技の失敗の理由にはしなかった。

 五輪という大舞台に採用されたことで、自分が取り組んでいる競技が注目にさらされる。それは、自分自身のパフォーマンスや、BMXという競技を広く知ってもらう機会になる。それが分かっていたから、新技を成功させられなかったことや、メダルを勝ち取れなかったことが悔しい。中村は「ここで結果を残せば、もっともっと注目してもらえたと思うんですけど。でも、また、僕が結果を残して有名にしていけたらいいなと思います」と前を向いた。確かに中村がメダルを獲得していれば、より多くのメディアにBMXという競技が露出することが予想される。しかし、東京五輪という舞台に有力選手として登場し、足を負傷した中でもその日のために誰にも見せていない新技を用意して挑んだことで、少なくないスポーツファンが中村という存在を通して、この競技の面白さを知ったことだろう。

五輪はBMXを盛り上げるスタート地点

男子BMXフリースタイル・パーク決勝 2位のデルス=有明アーバンスポーツパーク 【共同】

 優勝した世界王者ローガン・マーティン(豪州)は、高度な技を披露しただけでなく、速さ、高さがあり、着地もスマートという美しい見事な滑走を見せてくれた。銀メダルを獲得した36歳のレジェンド、ダニエル・デルス(ベネズエラ)は、空中に飛び出すと、ナショナルカラーにデザインされた派手な自転車をクルクルと巧みに何度も回し、会場で見守った関係者を楽しませた。映像を通して、日本のスポーツファンがそれを見たのだとしたら、それは、中村の功績が大きいと言えるだろう。

 五輪で採用が進むアーバン(都市型)系の新種目は、伝統的で歴史のある競技とは異なる背景から成り立っており、持っている雰囲気が大きく異なる。コンパクトな会場には、互いの技を競い合うというよりは、見せ合うという雰囲気が漂う。緊迫感はあるが、ギスギスとした悲愴感はない。選手が順位を競う「競技」ではあるが、同時に「ショー」でもある。選手も関係者も、互いに盛り上げて、選手が見せたパフォーマンスや、そこに至る挑戦を称えあう。中村という選手の挑戦を通して、そうした新しい競技の文化を垣間見た方も多いのではないだろうか。

 BMXは少しずつ競技者が増えているが、部活動のようなインフラが整っているわけでもなければ、指導者の数も足りない。日本代表の出口智嗣コーチは、爆発的な競技人口の増加は、まだ見込めないとの見解を示したが、こうも言った。

「いつも一緒に乗るライダーが五輪という舞台に立っているのは新しい姿ではあるものの、仲良くやっているのは普段と変わらない。BMXライダーたちが楽しんでいる空間を作っているのは印象的。新しくファンが増えていて、この競技をファンの方が盛り上げていっている。今回は無観客でしたけど、今後の全日本選手権やジャパンカップに来てもらって、彼らと一緒にBMXを盛り上げてもらえるっていう、そこのスタート地点に五輪はなっていると思うので、すごく楽しみ」

 五輪は「4年に一度、競技人生の集大成をかけて臨む大一番」というイメージが強いが、BMXにとっての五輪は、あくまでも大きな大会の一つという位置付け。中村は2024年パリ五輪について聞かれると「僕が出られれば、この借りを返したいですね」と話したが、その前に次の目標を聞かれると、エクストリーム系スポーツイベントのXゲームズやFISEを挙げた。4年に一度という重苦しい雰囲気とは異なり、ショー的要素の強い競技は、五輪に新しい印象を生み出す可能性も持っている。東京五輪をきっかけに、中村という選手やBMXという競技、アーバンスポーツ独特の文化を新たに知った人たちがいるということが、今後、中村が活躍した際に、さらに先へ進んで競技を知る仲間と成り得る。中村輪夢は、日本のスポーツファンにとってBMXという競技の魅力を知るための扉だ。もっと先の景色を、これからも見せてくれるに違いない。
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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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