桃田賢斗、ぼうぜん自失の敗戦 五輪が特別な舞台だからこその空回り

平野貴也

多くの人に桃田の成長を見てほしかった

22年東京開催の世界選手権、24年パリ五輪。この経験を乗り越えて強くなった桃田賢斗を見たい 【Getty Images】

 考えたことを実行できないほど、負ける恐怖に縛られたのは、この大会に懸ける思いが強過ぎたからだ。人生で好調時に迎えられる五輪は、数少ない。そのうちの1回目のチャンスは、不祥事(※16年春に違法賭博店の利用が発覚し、資格停止処分を受けた)でふいにしてしまった。活動再開が許されてから、それを多くの人に認めてもらえるように、競技に打ち込んできた。世界選手権を連覇、ギネス記録となる主要国際大会の年間11勝、世界バドミントン連盟が選ぶ年間最優秀選手賞の受賞。結果を出すことで、再評価を受けてきた。

 日本のファンはその姿を見てきたが、五輪でしかバドミントンに触れない人たちには、五輪で示すしかない。自国開催で、一度は道を誤った自分が頂点に立つことで、自身が救われるだけでなく、競技者は本来どうあるべきか、道を誤った者はどう進むべきかを証明する。そういう舞台だった。いくつもあった対策を実行できなかった理由は、五輪が特別な舞台だからか? と聞くと、桃田は「負けたくない、勝ちたいという気持ちが強すぎて、空回りしてしまった部分はあるかなと思います」と認めた。

 試合に敗れた瞬間、桃田はコートにひざをついて固まった。競技人生を取り戻してから目指してきた夢の舞台は、わずか2試合。33分と52分、計85分で終わってしまった。メダルマッチで期待を受けて、テレビで多くの人に見てもらうことさえかなわなかった。それでも桃田は、自分のリスタートを支えてくれた人への感謝を何度か繰り返した。

「たくさんの方に応援していただいて、期待もしていただいていたんですけど、良い結果が出せずに申し訳ないなという気持ちでいっぱいです」

「本当にいろいろなことがあって、それでもいろいろな人のおかげで、こういう緊張感だったり、舞台を経験させてもらえたのは、周りの人のおかげなので、そこは感謝したいなと思います」

 5年前の桃田に、この言葉は言えなかっただろう。そうした成長も多くの人に五輪という舞台で見てほしかった。酷だと思ったが、目に涙をにじませながら気丈に答える桃田に「今後は?」と聞いた。「ちょっと今は、まだ考えていないです」と言ったときの表情には、こんなはずじゃなかった、答えが見つからないという困惑が浮かんでいた。納得できるはずはなく、その思いは、見守ってきた誰もが同じではないだろうか。

 東京五輪だけを見た人に「桃田、ダメじゃん」と言われたら、返す言葉がない。勝負の世界は、結果がすべてだ。しかし、そこに至る経緯を見させてもらった身としては、悔しくてならない。いくつもの試練を乗り越えてきた強さは、決して幻ではない。だからこそ、20年1月の交通事故、今年初めの新型コロナウイルス陽性判定による長いブランクの中でも期待を受けてきた。22年東京開催の世界選手権なのか、24年パリ五輪なのか。東京五輪予選敗退という、この結果を知る誰もが想像し得ない、この経験を乗り越えて強くなった桃田賢斗を見せてほしい。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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