自衛隊から五輪メダリストが生まれる理由 知られざる「自衛隊体育学校」の歴史と誇り

平野貴也

「自衛隊体育学校」は陸・海・空自衛隊の共同機関として1961年に朝霞駐屯地に創設された 【写真提供:自衛隊体育学校】

 東京五輪に出場する日本代表選手は、それぞれに会社やチームに所属し、記事などで選手名の後ろにカッコ付きで紹介されていることが多い。その中に「自衛隊体育学校」というものがある。1964年の東京大会以降、日本が出場したすべての五輪に選手を派遣。前回2016年リオデジャネイロ大会でも競泳男子800メートルリレーの江原騎士、陸上競技の男子50キロ競歩に出場した荒井広宙(当時所属)が銅メダルを獲得するなど、これまでに20個のメダルと17名の五輪メダリストを輩出している。そして今回の東京五輪には、国別代表制度が完全に廃止されたアトランタ大会以降、過去最多17名の選手を送り出す。自衛隊体育学校とは、いかなる組織か。自衛隊がスポーツの強化組織を持つ意味は何か。選手は、どのような暮らしをしているのか。第31代学校長を務める豊田真陸将補に話を聞いた。
 

選手全員が自衛官。職務として競技専念も、1年ごとの更新

自衛隊体育学校の第31代学校長を務める豊田真陸将補(撮影時のみマスクを外しています) 【写真:平野貴也】

――まず、体育学校が創設された背景や理由、運営方針を教えていただけますか。

豊田 体育学校創設の経緯には2つの背景があります。1つは、自衛隊草創期、陸・海・空の3自衛隊が個別に実施していた体育指導者基幹要員の育成を、専門的かつ一元的に実施する機関を設置するというものです。もう1つは、1964年の東京五輪開催が決定して以降、前哨戦と位置付けたローマ大会の結果が芳しくなかったことから、選手強化が急務であるとし、「防衛省(当時は防衛庁)・自衛隊が五輪でメダルを獲得できる選手を養成する」としたことです。創設過程における2つの背景は、現在も体育学校の任務の核であり、「部隊等における体育・格闘指導者の育成」と「オリンピック等で活躍できる国際級選手(メダリスト)の育成」を2本柱として校務を運営しています。

――選手は自衛官という立場で、競技活動が職務となり、選手生活に専念していると聞いています。

豊田 その通りです。所属選手は全員が自衛官であり、起床、朝礼や食事など決められた日課時限での行動や、品位を保つなど隊員としての義務が課せられます。その上で、職務として競技に専念することになります。選手としての契約は1年ごとの更新となりますが、競技生活を終えた後のいわゆるセカンドキャリアについても自衛官としての身分が保証されます。競技者として実績を残した者は、引退後も競技に携わっています。たとえばレスリングでは、アテネ五輪の銅メダリストでもある井上謙二監督(日本代表男子フリースタイル監督)のほか、3人のロンドン五輪メダリストである小原日登美コーチ、米満達弘コーチ、湯元進一コーチが後輩の指導に当たっています。また、ロンドン五輪のボクシングバンタム級銅メダリストの清水聡選手のように、自衛隊を退職して活躍の場を外に求めることも可能です。

――競技活動が職務ということですが、どのように評価されるのですか?

豊田 実績によって昇任するシステムになっています。五輪出場、世界選手権やアジア大会でのメダル獲得、あるいは全日本大会での優勝等の条件をクリアすることにより、幹部になることができます。ボクシング男子ライト級の成松大介選手や、射撃男子ライフルの松本崇志選手らは1等陸尉の階級を持つ幹部です。また、選手の実績に基づき、4カ月に一度の格付けを実施しています。SA級、A級、B級を設定し、海外大会への参加、練習後のケアの優先順位などの待遇に差をつけています。五輪出場者はSA級に該当します。所属選手は、1年ごとに20名程度の選手が入れ替わります。選手生活を全うし、自分で引退を決めることができる選手がいる一方で、多くの選手は引退を勧告されるという厳しい世界でもあります。体育学校入校に際しても、選手の能力により待遇に差があります。競泳男子800メートルリレーの代表となった高橋航太郎選手は、学生時代の記録が足りず、海上自衛官として入隊し、一般の隊員として教育を受けた後に体育学校に入校して五輪代表をつかんだ努力家です。
 

充実の設備とサポート体制。他の好条件を蹴って選ぶ選手も

自衛隊体育学校全体の外観。世界トップクラスのトレーニング環境が整っている 【写真提供:自衛隊体育学校】

 自衛隊体育学校は、1964年東京五輪に向けた選手強化のインフラの一つとして発足した。何度かの変更や追加を行い、現在は夏季種目ではボクシング、柔道、射撃、アーチェリー、ウエイトリフティング、陸上(マラソン、競歩)、水泳、近代五種、カヌーにラグビー女子を加えた11種目が強化対象となっている(冬季種目はバイアスロン、クロスカントリースキー)。公務員として安定した収入を得ながら競技に専念でき、セカンドキャリアの心配も不要。こうした条件は特に、射撃や近代五種など企業などがバックアップしにくいマイナー種目の強化に対する貢献度が高い。施設も「もう一つのナショナルトレセン」と呼びたくなるほど充実している。

――他の実業団やチームと比較して、体育学校が持つ特長は何だと思いますか?

豊田 給料や待遇に関し、条件の良い企業チームは数多く存在します。体育学校は国の機関ですから、この点についてはかなりの制約(限界)があります。体育学校の唯一無二の特長は、競技活動に関するサポート体制や練習施設などの環境が充実しており、選手が24時間365日練習に打ち込み、強くなることだけに専念できる場所であるということです。これは胸を張って言えます。レスリング男子フリースタイルに出場する乙黒圭祐選手、拓斗選手は体育学校から初となる兄弟同時での五輪出場ですが、弟の拓斗選手は、今春の大学卒業時に、好条件での進路を数多く提示される中、兄の圭祐選手がいて、メダリストの監督やコーチがいる自衛隊体育学校を選択してくれました。世界の頂点に立つためにはどこが最良かという基準で体育学校を選んでくれたことを大変うれしく思っています。

――近代五種に出場する岩元勝平選手から、「五種すべてを1カ所で行えるのは、体育学校がある朝霞駐屯地だけ」と聞きました。施設の充実度が目を引きます。

豊田 カヌー以外のすべての競技の練習場が、朝霞にあります。加えて、トレーニング施設や体のケアをするための設備も整えています。近年は、研修施設等も新設され、外部から強い練習相手を呼ぶことも可能になりました。数年前にできたプールは、国内4つの国際規格プールの一つですし、全天候型の射場も日本一であると自負しています。射撃の日本代表チームからも、本番直前の練習場所としての使用依頼を受けています。競技に没頭できる非常に恵まれた環境がここにはあります。やや話は異なりますが、今はコロナ禍で中断していますが、体育学校の道場を開放して少年少女のちびっこレスリングなども開催しています。また、体育学校ではありませんが、柔道女子78キロ級に出場する浜田尚里選手は、鹿児島県にある陸上自衛隊国分駐屯地の柔道教室で競技を始めた選手です。ジュニア年代への貢献は、トップ選手の育成とは異なり、スポーツを楽しんでもらう、スポーツ競技人口のすそ野を広げていくということが目的になりますが、それはトップ選手を数多く抱える体育学校が担う役割でもあるとも考えています。施設が生かされ、そうした中から第2、第3の浜田選手が育ってきてくれればうれしいですね。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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